#建築をスキになった話|というか建築でスキが広がった話
住宅メーカーの営業マンとして初めて契約してくださったお客さまは特に記憶に残っているもの。しかも1年半も売れない営業マン(歌えない歌手みたいな)だった私は尚更。
毎年、年賀状をやりとりするそのお客さまからある年に頂いた年賀状には、契約当時まだ保育園児だった娘さんが、地元の高専で建築を学んでいると書かれていました。
恥ずかしがり屋ながらも私に懐いてくれて、あるとき(たぶん3年点検の際?)、マグネットのおもちゃをプレゼントしてくれました。彼女が大好きだったアンパンマンのキャラクター「ローラ姫」(ドラクエじゃないよ)。いまでは某建設会社の技術職として活躍しているのだそう。なんだか不思議な感覚です。
一生に一度の大きな買い物である「家づくり」をお手伝いさせていただく。その過程を通して、学生時代には理屈ではわかっていても、実は腹に落ちていなかった「住宅にたずさわること」の責任や喜怒哀楽を知ることができました。
契約までは営業マンがお客さまに「お願い」するのに、契約後はお客さまから「お願い」されてしまう責任ある仕事。なんとなく建築学科に入り、なんとなく住宅メーカーに就職した自分にとって、それは生身の建築に触れ、そして、建築を本当に「スキ」になったキッカケなのかもしれません。
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といった自分語りもできますが、なんだかシックリきません。この話は全くのウソじゃないけれども、本当にそれで建築を「スキ」になったの?と問い直すと、どうかなぁ、と。今の時点から過去の出来事をあるストーリーに沿って再構成している違和感が自分にまとわりつきます。
それこそ、幼少期から自分をかわいがってくれた叔父が中堅ゼネコンの施工管理職だったとか、昔から段ボールで自作ドールハウスを作ったりする工作少年だったとか、離れを改修したときに大工さんにあれこれと教えてもらったとか、この手の話は何通り語れないこともない。でもやっぱりシックリきません。
建築をスキになった話を探して
今回、ロンロ・ボナペティ|建築ライターさんの呼びかけでいろんな人の「建築をスキになった話」に触れるステキな機会を得ました。
「じゃあ、自分はどうだろう」と考えるわけですが、なんだか上手く自分の「スキ」を語れない。なによりも書けたとしてもnoteにそぐわないテンションの低い内容になってしまうなぁ。そんな思いが渦巻きました。
というか建築が「スキ」というような感情が自分にはないのでは中廊下、とも思ったりします。サグラダ・ファミリアやサヴォア邸や待庵をみても建築のミューズはわたしに雷を落としてくれませんでした。
かと思うとTwitter上には建築が「スキ」なことがヒシヒシと伝わってくるアカウントがたくさんあって、とても面白く勉強になります。だからこそ、ますます、そもそもいま自分は建築が「スキ」なんだろうか、とわからなくなります。
高校3年生の春ごろ、なんとなく大学進学する気になっていて、しかも志望学科はなんとなく哲学とか社会学でした。授業も聞かずに読んでいた辻邦生『フーシェ革命暦』の影響でフランス革命ブームがきて、ジャック・ルイ・ダヴィッドの自画像のお告げで高3夏にわかに芸大へ行きたいと勘違い。絵画教室にも通い、でも、到底受験準備には間に合わず、なんとなく建築学科に入りました。
学生時代もやっぱり美術史や社会学の本ばかり読んで、建築といえば八束・多木時代の『10+1』と彼らのほか磯崎新や井上章一の書いた本に耽溺する日々。家に帰っても油絵は描くけど、設計課題は先送り。結局、提出前日の授業中にエスキスをはじめる始末。
時はまさに就職氷河期時代。さて、Uターン就職するには公務員くらいしかないと思ったものの、学習習慣がないことも祟り試験対策もせず、就職戦線終盤にたまたま内定をくれた住宅メーカーに入社することに。施工管理職を希望するもなぜか営業職に配属。「お前が営業か」と親や先生に心配されました。
そんなこんなで自分の人生には何とも計画性がありません。目標とか夢とか評価とかあんまり考えたことがないというか、ある意味、積極的負け犬主義、あるいはローテンションな前向きさでいままでやってきました(そりゃあ、売れない営業マンになるわな)。着地したところで自分なりにやる。目標がないから「こんなはずじゃなかった」感もあんまりないという利点(?)も。
「いまやらなければいけないこと」をやれない。すぐ、「いまやらなくてもいいこと」に逃げてしまいます。その上、集中力もない。そういえば、中学時代も「そんなことは大学入ってからやれ」と担任の先生によく言われました汗
自分のスキが広がる「建築」
そんな自分ですが、なぜか絵を描くことと文章を書くことはスキ(上手くはないけれども)。(絵はここしばらくお休み中ですが)とにかく書いているとき、ネチネチ推敲しているとき、そして何よりも「こんな風に書けるのでは中廊下」と妄想しているときが一番幸せ。三度の飯より。
それゆえなのか「こんなふうに書けるのでは?」と思える対象として建築をみています。かといって、そこには「探究心」的な立派なものがあるわけじゃない。建物そのものというよりも、建物がヒト・モノ・コトと取り結ぶ関係がスキだし気になる。たとえば「団地内地蔵」って近代と習俗が一体になってるのがとってもスキだけど、別に「団地」も「地蔵」もスキなわけじゃない。
話の展開としても、何かの魅力を伝えたり、上手くいく方法や考え方を紹介したりすることはほとんど興味がなくって、「AならばBと思われてるけれども、実はBを徹底すると、そもそもAとは全く逆のCに辿り着く」だとか、「AとBは一見したところ並立できないほど対立したものだけれども、なぜかそれが矛盾したまま成り立っている」みたいな「知った結果、前より分からなくなる」のがスキ。
あらためてnoteに書いたものを見直してみても、ちゃんと建物を論じたものはほぼなくって、建物にまつわる、住宅をめぐる何かをあれこれ書き殴っているのに改めて気づかされます。
でも、建築って、そういう自分の「スキ」な話の展開をしたくなるネタがてんこ盛りの世界で、それはそれで書くことに関する興味が尽きません。どんどん脳内noteの下書きが増えていく感覚。今では建築を「スキ」じゃない(かといって「キライ」なわけじゃない)からこそ考えられること、書けることもあるだろうと屁理屈をひねり出したりも。
建築は人が生きていくうえで余程でないと無関係ではいられない対象です。だから専門の学問も物理や数学もあれば、国語や社会、家庭みたいな分野もある。建築の仕事として以外にもいろんな関わり方ができます。働くにしても、スーツ着て働く仕事もあれば作業服着て働く仕事もある。人相手もあれば物相手もある。建築が多様であったことが、いまもこうして建築でご飯を食べていけてる最大の要因だとヒシヒシと感じます。
ここまで書いてきて結局、自分の場合は「建築をスキになった話」というよりも「建築でスキが広がった話」なのかなぁ、と。大学で建築を(とりあえず)学び、建築の世界で働く過程で、そんな建築たちを絡めてあれこれと考え、あれこれと書き連ねる自分の「スキ」の話芸は随分と広がりました。
こんな自分でも、建築で「スキ」が広がるくらい、建築は懐が深い。そんな建築だもの、もうそろそろ「建築をスキ」になってもいいのでは?なんかそう思えてきました。
(おわり)
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