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「鳥羽の日」に思いをはせるホテル「ニュー美しま」と戦後の「観光」

10月8日は「木の日」であるとともに「鳥羽の日」です。

三重県の鳥羽といえば「鳥羽SF未来館」ですが、それに匹敵する名所(※独断と偏見によります)がテレビ番組「仮面ライダーストロンガー」や「探偵物語」のロケ地にもなった国際観光旅館「ニュー美しま」。

別館・新館ともにもう営業していませんが、そのモダーンな建物はいまも健在です。そんな「ニュー美しま」と、その前身である「美しま」について、綴りつつ「鳥羽」に思いをはせたいと思います。

モダーン旅館「美しま」別館

「美しま」との出会いはヤフヲク。たまたま見つけた「鳥羽ホテル美しま」のリーフレットです。RC造3階建の建物がなんともモダーンで思わずポチっとなしたのでした。

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この「美しま」は、坂手島に建つ「ニュー美しま」とは別モノで、もともとこちらにあった本館・別館からはじまった旅館なのだとか。写真右のリーフレットが、木造2階建の本館だけの時代のもの。左のやつが、本館横に新築されたRC造3階建の別館です(リーフレットでは、昨秋完成を見ました(中略)近代建築」とアピールしています)。

このRC造の別館、きっと新築時には相当にモダーンでカッコよかったことでしょう。実はこの別館、いまも現存します。すっかり廃墟なのと、一部増改築がなされているので気づきませんでしたが。。。後に、本館を解体し、本館部分に別館を増築することで「鳥羽ロッヂ美しま」に生まれ変わります。さらに今はその増築部分を取り壊して今に至っています。

リーフレットの写真では「美しま」の前面道路は海に面して、船がついていますが今は埋め立てられて鉄道敷とミキモト真珠島の駐車場になってます。これではリーフレットに謳われてる「客室からの眺めはさながら伊勢志摩国立公園が『美しま』の庭園の如き眺め」ではなくなっています。

実際、この埋め立て工事にからんで「美しま」は近鉄・鳥羽市と裁判沙汰になったのだそう。1969年に津地方裁判所が出した判決文をみると、近鉄と鳥羽市は大阪万博からの観光客流入を見込んで短工期・低予算で鉄道敷設を強行したみたい(美しま側の主張)。

白亜のホテル「ニュー美しま」

ところで、「美しま」といえば鳥羽駅付近から対岸の坂手島を眺めると妙に目立つ白亜のホテル建築「ニュー美しま」です。これは先のリーフレットとは別の建物。岸壁に設置された「ニュー」と「美しま」の看板が妙に印象に残ります。

そんな「ニュー美しま」、伊勢志摩の観光文化史的にも重要な位置を占める施設と勝手に思ってます。というのも「仮面ライダーストロンガー」(第21話ならびに第24話、1975年8月23日、9月13日放送)のロケ地として当該界隈で有名だから。

さらには名作ドラマ「探偵物語」の第21話(1980年2月12日放送)でもロケ地に選ばれ、松田優作がタイアップ感バリバリなセリフ「ホテルニュー美しまに戻ろうぜ」を口にすることでも知られます。

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「探偵物語」第21話(1980年2月12日放送)

そんな「ニュー美しま」ですが、

魅力低減を受けてなのか、あるいは高度成長、レジャーブームに乗ってなのか、ホテル「美しま」は坂手島の北西に「白亜の7階建」ホテルを建設します。この土地はもともと東雲荘旅館が建ってたのを譲り受け本館とあわせて営業していたとか。

坂手島へのアクセスは航路なので、専用桟橋あるいはミキモト真珠島から専用船「南十字号」が出ていました。大仰な感じが鳥羽国際ホテルや鳥羽グランドホテルにはみられない「大」旅館な趣で魅力的です。近代的観光はこうでなくっちゃ。

しかも、別館同様に競合するホテルよりも配置計画的にもファサードデザイン的にもかっこいいのは何なんでしょう。オーナーが最先端のデザインを重視(有難がった?)したことが感じられます。ただ、残念ながらもう「ニュー美しま」には宿泊することができません。2010年代中頃(?)に廃業した模様。

「仮面ライダーストロンガー」では二話にわたってロケ地に選定された「ニュー美しま」。この頃の特撮モノは、地方の観光地がロケ地になるのがとても多い。この頃、特撮とレジャーブームがマッチングしていました。

特撮モノのロケ地が「聖地」として観光コンテンツ化する「特撮ツーリズム」といった視点もありますが、それよりも特撮モノがこれといった必然性もないまま全国各地の観光地をロケ地に選定して撮影されたことに興味を覚えます。

本館・別館・新館それぞれの建設年

さて、リーフレットは手に入れたものの、本館も別館も新館もそもそもの建設年が目下不明です。なぜか手元にあった1997年発行の『伊勢志摩るるぶ』(JTB)掲載の「ニュー美しま」広告に「おかげさまで45周年」とあるので創業は1950年代はじめみたい。

さらに本館のリーフには「国鉄推薦」の文言があって、別館のそれには「日本観光旅館連盟」の名称があります。国鉄推薦旅館連盟が名称変更されるのは1957年ですから、別館は1957年以降でしょう。

新館=「ニュー美しま」はというと、少なくともストロンガー放映の1975年には存在。国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスをたどっていくと1960年代後半に造成が進んでる様子が。1973年には建築物がすっかり完成していることが確認できます。

なお、ホテル敷地は幕末に異国船対策として造営された砲台跡と重なり、建設に伴い失われたらしい。ひょっとしたら鳥羽市史あたりになんか書いてあるかもしれません。あと創業時のオーナー・小久保健蔵が戦時中の徴用船の船主だったりと気になる点が多々。

そんなこんなで、本館が1950年代はじめ、別館が1960年代はじめ、新館が1970年代はじめみたいな時期なのかな、と推察されます。「美しま」の歩みは1946年の国立公園指定から現在までの伊勢志摩観光文化史とまるっと重なる歴史では中廊下と思うわけです。

「鳥羽の国崎の別荘地」

先述したように、ホテル「ニュー美しま」現役時代の雄姿は、ドラマ「探偵物語」第21話(1980年2月12日放送)で拝むことができます。いやはや「ニュー美しま」カッコよい。ほかにも昭和期鳥羽の観光地らしいやや淫靡な空気も見れたりして面白いのですが、そしたら思わぬハッケンが。

ドラマ終盤で松田優作と風吹ジュンがパールロードに向かう場面が登場します。二人は鳥羽展望台の有料望遠鏡を使って「鳥羽の国崎の別荘地」を探すのですが、そこでおもむろに登場するのが、アルミ製ユニット工法のレジャーハウス「サンレポー」の群れ!

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「探偵物語」第21話(1980年2月12日放送)

昭和電工グループが開発・販売した「サンレポー」(1972)は1974年末までに900棟ほど販売され、その多くが三重県内に建設されたといいます。ドラマで登場する「国崎の別荘地」には100棟以上が建設・分譲されたようで、ほかにも南伊勢町にもあった模様。

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サンレポー広告(昭和電工・昭和アルミニウム)

大阪万博からオイルショック前までのごく短い期間に、プレハブ住宅のなかでも、その大半を工場で生産できるユニット工法は、地方に建つ別荘として期待されたようです。ただ、この「国崎の別荘地」もGoogle先生に教えてもらったところ、もう数棟しか残ってないみたい。

そんな幻の「サンレポー」群を、まさかドラマ「探偵物語」で拝見することができるなんて思っても見ませんでした。これもまた、伊勢志摩における観光文化史の重要な1ページといえます。

「鳥羽の日」に考える「観光」

高度成長期終盤に坂手島に建つ旅館を建て替えてできた「ニュー美しま」。年代不明のリーフレットをみると、この頃の観光旅館がこぞって増改築工事で新設したオーシャンビューなロビーだとか、ムーディーなナイトサロン、団体客様の定番・大宴会場、豪華お刺身舟盛り、プールなどなどがひと揃え設けられています。

「ニュー美しま」リーフレット(発行年不明)
「ニュー美しま」リーフレット(発行年不明)

同時代にたくさんの旅館・ホテルがつくられて今に至るわけですが、「ニュー美しま」は地元生え抜きな出自のためなのか、何事も大仰で垢ぬけない感じが、鳥羽国際ホテルや鳥羽グランドホテルにはみられない「大」旅館な趣で魅力的です。近代的観光ここにあり!

観光地としての「伊勢志摩」は、記紀神話の古からの来歴を語りながらも、実は戦時から戦後にかけて「編集」されてきた物語を消費する場所だと思います。起源二千六百年の記念造営として進められた伊勢の神都計画、伊勢神宮を守るため進められた「伊勢志摩国立公園」指定、GHQの将校相手に「真珠」のブランディングが進められた賢島などなど。そして、はめを外し恥をかき捨てるエロスの場としての「観光地」。

「ニュー美しま」(や「鳥羽SF未来館」)はそんな物語を味わう好個の対象でしょう。それは決して皮肉で言うのではなく、むしろそこがめちゃくちゃ面白い。戦後の伊勢志摩を支えた「観光」とはなんだったのかを考えたい「鳥羽の日」なのです。

(おわり)

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竹内孝治|マイホームの文化史
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