フランク・ロイド・ライトの愛した朱色|自動車・エマソン・理想都市
1867年の今日、6月8日は建築家フランク・ロイド・ライト(1867-1959)の誕生日です。ライトはル・コルビュジエ(1887-1965)とおなじく自ら自動車を設計してしまうほど乗り物大好きだったことで知られます(図1)。漂うチキチキマシン感。
図1 愛妻オルギヴァンナと愛車にて(文献2)
ライトを被写体とした数多の写真には、自動車に乗った姿やトラクターの運転風景などがたくさんあります。ライトにとって、自動車は愛すべき乗り物。そして、たぶん自動車は彼が理想とする「アメリカ」でもあったんじゃなかろうか、とも思ったりします。
理想都市と自動車
そんなライトが乗る真っ赤(チェロキーレッド)な愛車は、リアウインドウを塞いだ改造車(図2)。
図2 ライトによる愛車の改造案
その改造の意図をライトはこう言ったといいます。「私は後ろを振り返らない」と。あの有名な雨漏れで新築パーティーが台無し事件。ちょうどテーブルに雨がしたたる状況に怒る施主へ「テーブルを動かせばいい」と平然と返したライトらしい名言です。
そんな車を愛して止まないライトが、自分の大好きを詰め込んだ理想都市「ブロードエーカー・シティ」(図3)。
図3 ブロードエーカー・シティ(文献3)
ライトは大恐慌下の1932年、建築教育と農業実践を行う私塾「タリアセン・フェローシップ」をスタートさせます。23人の弟子たちとともに取り組んだ課題が、ライトが考える理想都市モデル「ブロードエーカー・シティ」。
ライトは、都市が過密になることを避けるために、都市機能を田園に融合させようとしました。住民皆が農地を持ち、大地に接した生活を行う。このあたりにはジェファーソン仕込みの農村民主主義の考えがこだましているのだそう。
タリアセンに集った若者たちと寝食を共にしながら、ライトは「ブロードエーカー・シティ」の大きな都市模型を制作します。この都市模型に散在する建築群のなかには、なんだか見覚えのある作品もちらほら。そう、この都市はライトが手掛けた建築が組み込まれ、そして、ここで夢想されたアイデアが後に現実化する。ライトの建築魂のホームベースのような場所なのでした。
ドローイングには、広大な農地とローコスト住宅「ユーソニアン・ハウス」(ライト版国民住宅)や高層ビルのほか、不思議な乗り物があちこちに登場。家庭用のヘリコプターやカタツムリみたいな自家用車(図4・5)。
図4 ブロードエーカー・シティ内の乗り物たち(文献3)
図5 乗り物の設計図(文献3)
ライトといえば「落水荘」だとか「帝国ホテル」みたいに手の込んだ高級感ある一品モノが有名だけれども、その一方でこの手の量産タイプのプレハブ住宅やプロダクトも大好きでした。
この「ブロードエーカー・シティ」をプロモーションするライトの著書『リヴィング・シティ』は1958年に刊行されました。
同書は1932年の『消えゆく都市』から『民主主義建設の時』と改訂を重ねて最終版に至ったものです(図6)。
図6 ライトの都市関連3著作
『消えゆく都市』刊行から25年の歳月をかけて、ライトが亡くなる前年まで続けられたその改訂作業から考えるに、ライトにとって思い入れのあったテーマだったことがわかります。
あまりに唐突な引用
そんなライト理想都市論の集大成『リビング・シティ』には巻末付録としてとある文章がつけくわえられました。アメリカを代表する思想家ラルフ・ウォルド・エマソン(1803-1882)(図7)のエッセイ「農業」です。
図7 ラルフ・ウォルド・エマソン(Wikipediaより)
エマソンはアメリカ超越主義思想の中心人物。この思想は、アメリカがその文化的独自性を初めて獲得したロマン主義思想だといわれます。その影響は、宗教、文学、美術だけでなく、建築・都市にも及んだことが指摘されています。
エマソンのエッセイは3著作のなかでも『リビング・シティ』ではじめて登場します。その前の都市関連著作『民主主義建設の時』には、巻頭に詩集『草の葉』で知られる超越主義詩人ウォルト・ホイットマン(1819-1892)の詩が引用されていました。これが削除された上で、「ラルフ・ウォルド・エマソンの農業についての随筆より」なる巻末附録が2頁2段組にわたって収録されています(図8)。
図8 『リビング・シティ』巻末付録(文献3)
出だしはこんなかんじ。
農夫のすばらしさは、労働しながら創造することが彼の務めであることだ。すべての職業は、最後には彼の素朴な活動にかかっている。彼は大自然に密接し、大地から食物を手に入れ、食物でなかったものを食物にする。史上最初の人間は農夫であり、また、すべての歴史的な気高さは土地の所有とその使い方にかかっている。人々は重労働を嫌うけれども、しかしすべての人々は、耕作に対してある特別な思いを持っている。それと同時に、人々は、耕作が人間の本来の仕事であるが、それをしばらくの間、他の人たちにまかせなければならないある事情によって耕作することを免除されているにすぎないと感じている。農夫が彼に供給する穀物の返礼に、彼が農夫に提供するなんらかの生産の技術を、もし彼が持っていなければ、彼は本来の場所たる農園に戻らなければならない。この耕作という仕事はあらゆる点において原始的な魅力を持ち、造物主たる神に最もそば近くあるのだ。
ライトがエマソンや彼の弟子ソロー、そしてホイットマンといった、いわゆる超越主義者たちをこよなく愛したのは有名ですが、それにしても、なぜいきなり巻末付録にエマソンの文章が登場するのか、彼自身まったく説明を付していません。
とはいえ、そこで綴られるエマソンの言葉(ライトはエッセイ「農業」の一部を抜粋しています)を眺めていると、ライトが「ブロードエーカー・シティ」に生きる「ユーソニアン」たちが、田畑を耕しながらどう生きてほしいと願ったのかが伝わってきます。
都会生活と、都市の悪徳によって害され、犠牲者はこう決心する。“私が傷つけた子どもたちよ、さあ、田舎へ戻ろう。そこで治療を受けて回復するために。私の子ども部屋だったはずの田舎が、今では彼らの病院なのだ”と。
農夫は大自然に調和し、自然のものである長い忍耐力を身につける。
都市は常に、田舎によって元気をとり戻す。都市の中堅をなす者たち、商取引や、政治や、あるいは実用芸術の第一線に立って活躍する男たちや、美と才能に恵まれた婦人たちは、かつての農夫の子どもたちであり、孫たちである。
ライトは自分の大好きを詰め込んだ理想都市を語る著書に、自分の大好きなエマソンを加えたかったこと。そして、なかでも農耕の崇高さを謳った「農業」でなければいけなかったのはたしか。
ライトにとって「朱色」は重要なアクセントカラー。ドローイングに書き込まれた朱色のロゴは、浮世絵の落款印に由来します。ライトへ流れる日本文化。それとは別にアメリカ超越主義の思想はめぐりめぐって日本の白樺派へも影響を与えたといいます。
フランク・ロイド・ライトの愛した朱色。自動車はもちろん大好きなチェロキーレッド。そして巻末付録も文字は唐突に朱。農業、そしてエマソンは自動車とならぶ、真の民主主義を実現する重要なファクターだったのでしょう。
参考文献
1) Richie Herink,The Car is Architecture:A Visual History of Frank Lloyd Wright's 85 Cars and One,Fideli Publishing Inc.,2015
2) Lois Davidson Gottlieb,A Way of Life:An Apprenticeship With Frank Lloyd Wright, Images,2001
3) Frank Lloyd Wright,The Living City,Horizon Press,1958
(おわり)