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「建築士の日」に読みたい柴岡亥佐雄『楽しい我が家を建てる手引』

今日、7月1日は「建築士の日」。1950年の今日、建築士法が施行されたことにちなんで、日本建築士連合会が制定したのだそう。同法の目的が示された第1条には「この法律は、建築物の設計、工事監理等を行う技術者の資格を定めて、その業務の適正をはかり、もつて建築物の質の向上に寄与させることを目的とする」とあります。

そんな「建築士の日」に読むのにふさわしい小冊子があります。建築士法がまさに施行された1950年7月発行の雑誌『婦人世界』の付録、題して『九万円から三十五万円まで 楽しい我が家を建てる手引』です。

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図1 『楽しい我が家を建てる手引』

わずか4坪から12坪(店舗付15坪も)の模範プラン7例を掲載し、さらに解説がつづきます。全42頁におよぶ冊子の著者は建築家・柴岡亥佐雄です。戦後、住宅や施設など多方面での設計活動を展開し、専門誌から婦人雑誌まで幅広い媒体に文章を発表しました。そんな柴岡による本冊子の解説は実録風というか、物語仕立てで家づくりのプロセスとポイントをまとめています。

楽しい我が家を建てる手引ー目次ー
家を建てることに決めました
敷地を決める
専門家に設計を頼む
どんな家をつくるか
設計の打合せ
工事にかかるまで
工事現場で-山川さんの”新築日記”抄

ちょっと柴岡亥佐雄が描く「山川さんちの家づくり」をのぞいてみましょう。

山川さんちの家づくり

敗戦を迎え戦場から復員してきた山川さんは疎開先の家族を呼び戻して借家住まいとなります。でも、その借家からも追い出されることに。都営の鉄筋コンクリートアパートも倍率が高く抽選に漏れてばかり。

そんななか、疎開させていた荷物を売り払い、同じく売りに出していた故郷の家と土地も買い手がついた。さらに、会社からも少しばかりお金を借りて、住宅新築計画が建ち上がります。

山川さんは奥さんの学校友達だった建築家・立野さんに助けを求め、共に進める家づくりがはじまります。発足直前の住宅金融公庫を待っていられないので、建設資金は自力調達などなど、公庫へ目配せした記述が入っているとともに、際立っているのが建築家・立野さんの存在。この付録が出た1950年は、住宅金融公庫が設立された年であると同時に、建築基準法や建築士法もスタートした年なのです。

戦前まで「持ち家」を持つことは、農山漁村のほかだと都市部の富裕層に限られたものでした。戦後復興の過程で、政府は庶民の「自力建設」によって圧倒的な住宅不足を補う(補わせる)道を選び、1950年には住宅金融公庫がスタート、そして1960年代半ば頃から住宅ローンが取り扱われるようになり、「持ち家」を持てる層が一気に拡大していくことになります。

山川夫妻と立野さんの以下の会話は、この付録冊子に込められた意図をよく伝えています。

山川さんは、「立野さん、ビルディングや進駐軍の住宅などを設計なさるのならいいでしょうが、私達の家のような予算も少い小さな建築の設計ではお気の毒ですね」、奥さんも「お金をかけないと、いい建築はやはり出来ないでしょうね」と傍からいいました。立野さんは、「そんなことは全然ありませんよ。小さくとも安くとも生活のある建築は設計し甲斐がありますし、むしろ、もっと一般が遠慮なく私達に相談してほしいですね」と答えました。
(『楽しい我が家を建てる手引』、p.17)

庶民の住宅に積極的に関与する建築家。この立野さんの言葉は、柴岡亥佐雄のメッセージでもあります。柴岡はこう続けます。

専門家に相談して無駄のない住みよい住宅を作った方が本当でしょう。いきなり請負や大工に注文したのでは、設計や工事も、どこで手を抜かれるか素人には判らなくて困ります。それに工事につきものの、契約や支払いのいざこざがありますが、建築家は建主と請負者との公正な立場に立って解決する役目を持っています
(『楽しい我が家を建てる手引』、p.17)

なんだか今日の視点から見ると大工さんが不憫ですが、当時の状況といえば、膨大な需要増に直面し、参入障壁の下がった大工・請負者の質低下が深刻化していました。欠陥住宅の温床と化してた上、そこまでいかないにしても、事前に図面も作成されず、予算もあいまいという家づくりの慣例は、いまだ貧しい庶民にとっては受け止められないリスクを持つものでした。

そんな時代背景を受けて、庶民住宅にとってあるべき最低限の水準を求める「建築基準法」、そうした住宅が生まれるべく庶民や工務店を導く職能を保証する「建築士法」、健康で文化的な生活ができる住宅の建設資金を貸し出す「住宅金融公庫法」が1950年に制定されたわけです。

まさに「われわれ建築士は、社会の発展のため最新の指導者たるべし」。建築士は個人にとっても社会にとっても財産となりうる住まいを産み出すべく、未成熟な住宅供給市場から庶民を守る防波堤でもあったのでした。

さて、山川さん一家の家づくりも、建築家・立野さんのサポートのもと、もろもろの届出、図面作成、見積確認、契約といった一連の流れが丁寧に描かれます。さらに着工後には木造住宅のつくりや仕上げ材などにも話が及びます。庶民にとって未だ馴染みのない家づくりの「補助輪」として、この付録小冊子が位置付けられていることがよく伝わってきます。

次の世代のために

この山川さん一家の家づくりを貫くもう一つのテーマがあります。それは「子供中心」ということ。

家へ帰ると山川さん夫婦は、設計を依頼する前に、自分達の要求をはっきりさせておかなければと思いました。子供中心の健康な家をつくること―それはもう二人で決めた根本条件です。
(『楽しい我が家を建てる手引』、p.17)

たとえば、山川さんと立野さんの打ち合わせの場に長女・若菜さんが入ってくる場面があります。山川家は子供が3人。若菜さんは小学校5年生。彼女の思い描く家はどんなものでしょう。彼女はこう考えます。

若菜さんには子供らしい夢があって、明るい美しい家に住み、庭には砂場や池があって、綺麗な花壇には花が咲いている。子供達だけの部屋があって、可愛い机や椅子をおき、棚にはお人形を飾りたいとかねがね空想していたのです。
(『楽しい我が家を建てる手引』、p.14)

子供らしくも切実な住要求ではないでしょうか。いやおうなく我慢を強いられた戦争の時代を経て、新しい社会がつくられつつある当時にあって「子供」は未来へ向けた大事な希望です。そんな「子供」の成長を守り支えることも「建築士」の役割だったと言っても過言ではありません。

小5の若菜さんが通う小学校では、ちょうど理科の単元で「家」が扱われていた時代です(図2)。子どもの大事な成長の場であり、民主主義を育む場でもある住宅。「家」と「子供」が不可分な関係に置かれたのも1950年代の日本社会でした。

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図2 小学5年生、理科教科書

建築士と子どもといえば、関野克『建築のいろいろ』(筑摩書房、1951年)も思い出します(図3)。同書は全100冊も刊行された「中学生全集」の一冊として、建築とは何かがわかりやすく書かれた本です。著者・関野克は建築史や建築保存の分野で知られる人物。

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図3 関野克『建築のいろいろ』

お話は中学3年生の正雄くんと中学1年生の明子さんという兄妹に叔父の建築士がやさしく語りかける内容です。やはり、建築士法が成立した翌年とあって、建築士を周知する意味もあったのだそう。

建築は単なる人間のいれものではなく、人間の生活が中心であり、医者は人間の真実の姿を、生活の面で見きわめている。という考えから、正雄と明子の父親を医者としました。
昨年から「建築士法」がおこなわれ、医者や弁護士とおなじように、国民は、建築の設計・施行(ママ)の管理を、建築士の手にまかさねばならなくなりました。建築士の社会的な役割は、それだけ重くなったわけです。この本の中に、正雄君と明子の叔父さんとして、一人の建築士を登場させたのは、建築士のもつ建築についての重要さとその人間的使命とを、みなさんによく理解していただきたいためです。
(関野克『建築のいろいろ』、p.183)

建築士の叔父さんは日本、次に西洋の建築史を甥たちにやさしく話していきます。そして現代建築が取り組む問題について語ります。この叔父さんと甥たちの対話を挟むように、叔父さんは「はじめに」と「むすび」では読者に直接語りかけます。

中の人、柴岡亥佐雄

さて、建築家・立野さんの「中の人」たる柴岡亥佐雄は1911年生まれ。東京帝大建築出身で、あの詩人&建築家・立原道造の同期かつ大友人でした。ちょっと柴岡の編著に掲載された編者経歴を引用します。

明治44年生まれ、父の職業と家族数の変化により現在まで20回転居、幼時より住宅の設計に興味を持ち、旧制一高入学の際既に建築家を志す。昭和12年東大建築科卒業、清水建設設計部および研究室を経て、昭和24年独立、戦後の住宅改良発展に関し、設計およびマスコミを通じて、住生活と住宅について啓蒙活動を続けて来た
個人住宅百数十件のほか、住宅金融公庫、住宅公団、建設省、各都道府県の独立住宅、集合住宅の標準設計、団地設計を手がけて来た
(中略)
日本建築学会編設計資料集成戦前版、戦後版の住宅の項、各出版社発行の住宅関連図書、百科全書の住宅の項分担執筆他、彰国社版建築学大系独立住宅の著書あり。住宅金融公庫選定住宅平面図集の初回改訂版より最新版に至るまで標準設計図を分担作成してきた。
(柴岡編『最新公庫住宅実例集』)

柴岡が住宅、特に庶民住宅を主に手掛けてきたことがわかります。また、積極的によりよい住宅へ向けた啓蒙活動も展開してきた。小冊子『楽しい我が家を建てる手引』も、雑誌附録とはいえ丁寧に家づくりのプロセスとポイントを解説するもので、啓蒙活動への熱意と創意に裏打ちされた内容だとわかります。

ただ、小冊子の著者が柴岡であることを知る手がかりは、目次部分にチラッと記された氏名のみで、まったく目立たない。経歴の後半部分に挙げられた柴岡が関与した書籍をながめるとわかりますが、そのほとんどが資料集成や百科事典での共著とあって、あまり表だって柴岡の名前がでることがありません。精力的な啓蒙活動にもかかわらず、柴岡はほとんど前面には出てこないのです。

柴岡が著者名に掲げられた数少ない本が『最新公庫住宅実例集』(井上書院、1966年)です(図4)。「公庫融資でこんな素晴らしい家が建てられる」という副題に沿ってたくさんの事例が掲載されているのですが、巻末には「公庫融資個人住宅について:建て主・設計者・施工者へのアドバイス」と題した無記名の文章が127頁にわたって掲載されています。もちろん著者は柴岡でしょう。

ちなみに、この本の推薦者として名を連ねるのは住宅金融公庫建設指導部長・木子清忠です。代々、宮中の修理職棟梁にあったあの「木子家」に連なる木子幸三郎の三男が清忠でした。

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図4 柴岡編『最新公庫住宅実例集』

先の編者経歴にもあったように、柴岡は公庫住宅の標準設計図を多数分担作成したといいます。公庫住宅を育んだ木子と柴岡。『最新公庫住宅実例集』に木子が寄せた「推薦のことば」にはこう記されています。

住宅を計画する際に何らかのヒントなり、参考にするための案内書として、私たち(=木子と柴岡たち)は個々住宅の設計図まで整備された小住宅の平面図集を10数年前から刊行し、数回の改訂を経て今日に至っているが、年間相当数の図集や図面の購入申込みがある。これは一面住宅の設計や相談についての建築家の協力や助言が不足していることを物語っているものだと思う。
上記の図集に掲載されている小住宅の設計の中には、柴岡亥佐雄君やその他少数の奇特な建築家の案になるものが相当数含まれている。この図集の声価が認められているのはこれらの方々の陰の協力が大いによっていることと思う。
(木子清忠「推薦のことば」)

ここで木子が語っている「小住宅の平面図集」とは、住宅金融公庫が選定し、住宅金融普及協会から発行された『木造住宅平面図集』やその改訂版を指します。たとえば次の図5は『新版・木造住宅平面図集:住宅金融公庫選定267種』(住宅金融普及協会編、新建築社、1965年)です。

新版・木造住宅平面図集

図5 『新版・木造住宅平面図集』

戦後の圧倒的かつ絶望的な住宅難から生じた膨大な住宅需要に対応するためには、一軒一軒をはじめから設計していては到底間に合わない。ちゃんとしたプランニングができる建築士だってそんなにいない。そこで登場したのが、一定の質を確保した平面図がたくさん収録された『平面図集』なのでした。そのなかからお気に入りのプランをみつけたら、住宅金融公庫の融資手続きや確認申請に必要となる図面一式が購入できる仕組みでした。

柴岡はその『平面図集』に掲載された標準設計図を作成するチームの主要メンバーだったのでした。つまりは、建築家・柴岡亥佐雄の設計であることを意識しないままに、日本全国に柴岡が設計した住宅がポコポコと建ったということ。なんだか、そのつつましい立ち位置は、柴岡がデカデカと名前を掲げた単著がほぼないにもかかわらず、よりよい住宅を実現する啓蒙活動を精力的に展開したのと似ています。

そんな柴岡は彰国社刊『建築学大系28独立住宅』の執筆も担当しています。ちょっと同書の初版・新訂版の背表紙を比べてみてください(図6)。

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図6 『建築学大系28独立住宅』の初版と新訂版

新訂版のほうがめちゃくちゃ分厚いです。初版から新訂版になるにあたって、太田博太郎「日本住宅史」と渡辺保忠「西洋住宅史」が追加されたのも一因です(二つあわせて160頁程)。だけれども、それにも増して柴岡亥佐雄の担当パート「独立住宅」が初版時から180頁程も加筆され、合計で356頁に及んだため。庶民住宅の質向上のために尽力してきた柴岡の熱意と気迫を感じられる一冊。本人いわく、これでも編集の都合上、割愛した部分も多々あるそう笑

『楽しい我が家を建てる手引』。パッと見ごくごく普通なタイトルですが、その著者である建築家・柴岡亥佐雄が生涯貫いた良質な庶民住宅建設へ向けた啓蒙活動と、名前がほとんど表にでないかたちで、全国あちこちで展開された公庫住宅の家づくりを下支えした設計活動を知ると、「山川さんちの家づくり」に込められた思いがジーンと心に染みます。

柴岡亥佐雄がそうだったように、建築士が担う使命を胸に、大々的に名前を掲げるでなく、でも、身の周りの良質な住環境形成に寄与してきた、たくさんの建築士の存在に思いをはせつつ、そんなプロフェッショナルのみなさまに「いつもありがとうございます」とエールを送りたい「建築士の日」です。

(おわり)

参考・引用文献
1) 柴岡亥佐雄『九万円から三十五万円まで 楽しい我が家を建てる手引:婦人世界七月号付録』、婦人世界社、1950年7月
2) 文部省『小学生の科学 第5学年用:よいたべ物をとるにはどんなくふうをすればよいか すまいやきものは健康とどんな関係があるか』、東京書籍、1949年
3) 関野克『建築のいろいろ:中学生全集』、筑摩書房、1951年
4) 柴岡亥佐雄編『最新公庫住宅実例集』、井上書院、1966年
5) 住宅金融普及協会編『新版・木造住宅平面図集 住宅金融公庫選定267種』、新建築社、1965年
6) 彰国社編『建築学大系 28独立住宅』、彰国社、1963年
7) 彰国社編『新訂版・建築学大系 28独立住宅』、彰国社、1977年

■詳細目次■
家を建てることに決めました(借家の悩み/雑然とした復興/立派な都市計画を/無駄な物を売払う/住宅金融公庫/新しい住宅に美しい夢を/ラチがあかない)
敷地を決める(どんな土地がよいか/法律も調べて)
専門家に設計を頼む(建主と設計者/人によって好みがある/建築家の役目)
どんな家をつくるか(大切な生活の方針/タタミかイスか)
設計の打合せ(スケッチで相談する/日当りのいい台所/勝手口とゴミ捨て/開放的な台所/ハッチは案外不便/台所からみえる子供部屋/子供も自分で整頓する/主婦の仕事は一所に/洗濯流しと洗面流し/浴室の位置/寝室には日が当るように/食事と寝る所は別に/寝台は二つ以上/洋風にするとお金がかかる?/大工の作った寝台/居間は何をするところ/書斎の欲しい人は/玄関はお面ではない/子供の出入口/便所が一番困る/水洗式便所にしたいが/予算をかける場所)
工事にかかるまで(届を忘れないよう/請負人を決める/図面が出来て設計料は余計か?/見積書が出来て/契約は念入りに)
工事現場で-山川さんの”新築日記”抄(縄張りの日/基礎工事の日/農家の改造/棟上の日/木造の話/屋根がついた/壁がついた/水道屋、電気屋は何時仕事をするか/床が張れた/鼠は防げるか/建具が入る/造りつけの戸棚は家具より安い/塗装工事終る)

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