高度経済成長期の「受胎告知」|1961年「ナショナルテレビ・カタログ」を読む
たまたまヤフヲクで手に入れた松下電器産業「ナショナルテレビ・カタログ」。1961年版のそれは、ポータブルタイプのものから、ステレオテレビ、カラーテレビなど各種商品が掲載されたものです。
その表紙にはテレビをはさんで男女がなんとも不自然なかっこうで写っていて、構図にこだわった絵画みたいだなと。ああ、そうだ、これはまさにバルテュスの「トランプ遊び」では中廊下と気がつきました。
松下電器産業のカタログは1961年。そしてバルテュスの「トランプ遊び」は1973年の制作です。
日本好きなバルテュスとはいえ、まさかナショナル家電のカタログをモチーフにしたわけではないでしょうから、ともに不自然なくらいまでに画面構成を考え抜いた結果、はからずも同じ境地に到達したということなんでしょう。
あるいは、古典絵画を範としたバルテュスが、特にピエロ・デッラ・フランチェスカをこよなく愛したことを思うと、実はキリスト教絵画あたりに、松下電器産業とバルテュスがともに参照した元ネタがあるのでは中廊下と思えてきます。
じゃあ、その元ネタとはなんでしょう?
広告写真の登場人物はふたり。左の赤い服の男と右の青い服の女。この左・赤/右・青の人物が対になったキリスト教絵画の定番といえば、やはり「受胎告知」でしょう。つまり、登場するふたりは、赤=大天使ガブリエルと、青=聖母マリア。
「受胎告知」のモチーフは、フラ・アンジェリコやレオナルド・ダ・ヴィンチ、そしてピエロ・デラ・フランチェスカ、ヤン・ファン・アイクなど多くの画家たちが手がけてきました。
時代が下るにつれて、特にエル・グレコあたりから人物の配置や構図はバラエティに富むようになります。たとえばこれ。
バルテュスも松下電器産業も共に、画面左にガブリエル、右にマリアという古典的な人物配置を踏襲しています。
「受胎告知」は二人の人物のほか、聖霊の存在を天上からの光や、鳩で表現するのも定番です。マリアは聖霊によって身ごもる。そんな物語をふまえると、ふたりの中央に置かれた「人工頭脳テレビY7」はキリストを、そして「超高感度ハイファイ」は聖霊を意味するとおもうと合点がいきます。女性がテレビのダイヤル(もはや死語)をまわすのも納得です。
1950年代後半に「三種の神器」と謳われたのは、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫。そして60年代になって「3C」あるいは「新・三種の神器」とされたのがカラーテレビ・クーラー・自動車。新旧ともに「神器」としてあがめられたのがテレビであったことを思うと、テレビ=キリスト説は俄然説得力を帯びてくるではあーりませんか。
そんな「神器」としてのテレビが「買うもの」ではなく家に「やってくるもの」として認識されていたことを吉見俊哉が指摘しています(吉見「テレビが家にやって来た:テレビの空間 テレビの時間」初出2003年)。
マリアがそうしたように「受け入れた」のです。その受け入れ場所とは茶の間であり、後にリビングとなった家族がつどい、くつろぐ(ことが理想とされた)場所。
言い換えるなら、茶の間やリビングにつどい、くつろぐ家族=「子・父・母」でなりたつ近代家族を家族たらしめたのがテレビ。この「子・父・母」は「イエス・ヨセフ・マリア」をモデルとした「聖家族」と対をなしているのは言うまでもありません。
そんなこんなで、1961年の「ナショナルテレビ・カタログ」は、戦後の家族と住まいの基本構造をいまに伝える歴史的資料なのでした。
(おわり)