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リカちゃんとプレハブ住宅|幻の「インスタントハウス」

書籍だけにしておけばいいのに、家づくりグッズ沼に足を踏み入れつつある今日この頃、ヤフヲクにて「リカちゃんインスタントハウス」なる商品を入手しました。

いまもつづく「リカちゃん人形」や「リカちゃんハウス」(初代の「リカちゃんドリームハウス」)は1967年の発売。もう少しで60周年を迎えようとするロングセラー商品です。

そんな「リカちゃん人形」と「リカちゃんハウス」誕生の経緯は、開発にかかわった小島康宏『リカちゃん生まれます』(集英社、2009年)が充実しています。

発売開始された1967年といえば、世は高度成長の真っ最中。持ち家の大衆化と着せ替え人形の大衆化はまるで戦前から戦後の住宅史を圧縮したかのような展開を見るようでとても興味深いです。

当時、日本で先行して販売されていた着せ替え人形といえば、なんといってもアメリカのマテル社製「バービー」と、アイデアル社製「タミー」。そして、中嶋製作所製「スカーレットちゃん」。サイズも約30センチでグラマー(死語?)な体つきをしていました。そう、「リカちゃん」はそれらとは大きく異なり、小さくてスレンダー。

「バービー」や「タミー」は日本人がはじめて体験する着せ替え人形として受容されます。多彩なドレスやアクセサリーがついたもので、購入層はもっぱら都市部の富裕層だったといいます。いってみれば、「バービー人形」とは「洋風住宅」であり、国産の「スカーレットちゃん」は「文化住宅」だったと言えるのでは中廊下と。

ただ、着せ替え人形大衆化を促したのは、なんといってもタカラ社製「リカちゃん」でした。

リカちゃんドリームハウス

いまからは想像できないのが、もともと「リカちゃん人形」を開発しようとしたのではなく、キャリングケースないしはドールハウス(後の「リカちゃんハウス」)をつくろうとしてプロジェクトがスタートしたということです。

タカラ社長の佐藤安太(人生ゲームの「和様化」でも注目すべき人)に呼び出された小島は「アメリカでは着せ替え人形を入れるキャリングケースが売れているらしい」からそれをつくれとの命を受けます。キャリングケースは開くと部屋になるという代物。ようやくその実態が判明した結果、これはデカすぎる…という問題でした。

狭い日本の庶民住宅に、アメリカの住宅事情にあわせたケースは大きすぎる。そこで日本の庶民的な住宅事情にあわせたハウスのサイズが逆算されますが、それだと「バービー人形」はスケールアウトする。じゃあ、人形もつくるしかない、というのが実際の展開だったのです。狭い日本の住宅にあわせて「ハウス」が、そして「リカちゃん」のサイズが決まったのでした。

このあたりの展開は、なんだか戦後日本で、欧米の「リビングキッチン」を理想としつつも、政府の住宅建設予算の限界から「ダイニングキッチン」へと変容し、最小限空間の探究が課題となったことと似ています。しかも、オリジナルとは大きくことなりながらも、それが機能主義という理念ではなくって「舶来由来」のあこがれとして受容されたのもまた似ています。

もちろん「リカちゃん人形」の造形もまた、その後の成功の大きな要因となりました。「擬バービー」でなく、かといって日本人形回帰でもなく、購買層である小学生の女の子たちに人気のあった雑誌「りぼん」に少女漫画を描いていた牧美也子に協力を要請します。

実はこの着せ替え人形を少女漫画の世界観で満たすという方向性自体が、そもそも開発を主導した小島らが、着せ替え人形畑ではなかったがゆえの発想ともいえます。それはプレハブ住宅草創期の開発者が建築畑ではなく、だからこそ旧習にしばられず着想できたことともよく似ています。

その後の「リカちゃん」商品開発と住宅商品化の相似性は…もうこのあたりでやめておきましょう。さてさて、高度成長期、女の子たちは「リカちゃん人形」と「リカちゃんハウス」を介して家庭生活を疑似体験したのでした。それもまた、ひとつの「マイホーム」の練習だったのかもしれません。

リカちゃんインスタントハウス

さて、ずいぶん回り道をしましたが、今回、入手した「リカちゃんインスタントハウス」について。リカちゃん&ハウスが発売された翌年にあたる1968年に、「リカちゃんインスタントハウス」なる商品が発売されました。

リカちゃんインスタントハウスA型

リカちゃん人形発売時、人形は買ってもらえてもハウスは高価でなかなか手に入らない状況があったといいます。いわば「ドリームハウス」は富裕層に許されたアイテム。そこで普及版ハウスとして期待されたのであろう商品が、この「リカちゃんインスタントハウス」です。厚紙の組立構造を採用したことで安価、かつ狭いわが家でも遊ぶことが可能というウリだったようです。

セールストークは「女の子の新しいあそび、リカちゃんインスタントハウス」。なお、商品はトタン屋根のA型、石綿スレートのB型の2種類が発売されたようです。

リカちゃんインスタントハウスB型

その頃のプレハブ住宅市場では「インスタント」という言葉も、「~型」という型式名称も凹凸のない矩形平面も1960年代はじめ頃のやや古びたトレンドになっていました。

また、「インスタントハウス」が家型にこだわった結果、たぶん人形遊びの使い勝手としてもあまりよくなかったのでは中廊下と思われます。その証左として、その後の「リカちゃんハウス」シリーズは、「ドリームハウス」に代表される舞台の書き割り(ドリフの大道具)タイプ、あるいは「ゆったりさん」と呼ばれる間取りタイプ(間取りに少し壁が立ち上がっている)に収斂していきます。

さらに「インスタント」はもとより「プレハブ」も再登場することはなく、「リカちゃんハウス」はその後、邸宅とマンションに分化していきます。例外としてプレハブ住宅は、2014年のパナホームとのコラボ「おしゃべりスマートハウスゆったりさん」が唯一で、しかもアピールポイントは「スマートハウス」(ARマーカーを読み取ると動画やクイズが楽しめた)。

おしゃべりスマートハウスゆったりさん

そんな経緯のせいなのか、INAXでかつて開催された企画展の小冊子『リカちゃんハウスの博覧会』(INAX、1989)や、リカちゃんシリーズの正史ともいえる『生誕30周年記念リカちゃん完全カタログ』(ぶんか社 1996)と『公式リカちゃん完全読本50th ANNIVERSARY』(講談社、2017)、リカちゃん人形研究の権威・増淵宗一の『リカちゃんの少女フシギ学』(新潮社、1987)等でも全く言及されません。黒歴史なのか…。

とはいえ、では「リカちゃんインスタントハウス」は重要ではないのかといえばそうともいえません。同商品が当時、世間から広く注目を集めていたプレハブ住宅をモチーフにしつつ、しかも「リカちゃんドリームハウス」を手に入れられない購買層に訴求した価格帯であったにもかかわらず「なぜ売れなかったのか」そして「プレハブはなぜリカちゃんシリーズに受容されなかったのか」を問うことで、実は住まいへのあこがれ像に迫れそう。

もっと勇み足すると「リカちゃんハウス」を住宅事情と絡めて語る『リカちゃんハウスの博覧会』にみられる、藤森照信、布野修司、石山修武、隈研吾、高橋公子などなど建築家たちや、先に触れたリカちゃん人形研究家の増淵宗一といったお歴々の語り方は、いま読むと80年代のジェンダー規範や消費文化批判に足元をとられてしまっている感が強い。

それから30ウン年たっているけれども、実はこの手の話題に言及する際に、80年代のフレームがいまだに引きずられているのもたしかです。それらの語り方を全否定するでなく、とはいえバブル期なればこそのボードリヤール風な斬り込み方を書き換える時期にきてると思うのです。

「商品化住宅批判」の燃料ではない「リカちゃんハウス」の住まい学へ向けて。

(おわり)

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