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民主化と廃城|愛知県旧額田町役場

2年前のお話し。たまたまGoogle先生が見せてくれた岡崎市役所額田支所(旧額田町役場)を見て、これめっちゃカッコイイやん、ということになり直に見に行こまいとGoogleマップで場所を確かめてみたらビックリ。更地やん!そうです、気づいたときにはすでに解体されていたのです。

この建物、1964年竣工の逸品で、愛知県岡崎市内(額田町は2006年に岡崎市へ編入)屈指のモダーン建築だったのでは中廊下と勝手に思っています。もっとはやく見学しておくべきだった。。。なお表紙画像にお借りした遺影はwikipediaより拝借しました。

額田センターへ

1964年竣工の旧額田町役場は、2006年の岡崎市との合併以後は、額田支所として使用。でも、耐震性能不足が問題視され、2012年末閉鎖されます。

その後、額田支所のほか、図書館、市民交流施設、森の駅情報館などが複合した施設を鉄筋コンクリート造で新築する建設計画が建ち上がりますが、林業がさかんな土地柄もあって、地元産木材を用いる方向に転換したそう。

新しい施設=額田センターの設計は、かの青島設計(かつての青島設計室)が担当し、2017年末に竣工とあいなりました(図1・2)。

図1 額田センター完成予想図(内田市長ブログより)

図2 額田センターこもれびかん(内田市長ブログより

旧額田町役場のようなモダーンな庁舎建築は、お約束の「耐震性に難アリ」にて閉鎖・解体が多々みられます。同時に市町村合併に伴う公共施設再配置ブームもモダーン建築消失を加速化していることでしょう。そういえば、同じ境遇として、愛知県内でも旧・新城市作手総合支所庁舎(1972年竣工、市町村合併前の作手村役場)(図3)も作手総合支所(図4)として生まれ変わりました。

図3 旧作手村役場(出典:つくでスマイル

図4 作手総合支所(出典:つくでスマイル

額田、作手、それぞれの新庁舎が竣工していますが、そこにはモダーン感ある意匠の力はありません。

民主化のバロック

でもそれってある意味で「民主化」の徴(しるし)。かつての公共施設、特に庁舎建築はいわば地域のお城として設計された「封建遺制」だったわけで、だからこそステキな意匠をまとっていました。

そして、それゆえに岡崎市の一部となった額田には、もう「城」はいらない。廃城というイベントは新しい岡崎市にとっては必要な儀式なのです。

あまねく民主化された現代社会において、封建的な意匠マンセー建築は市民に「説明がつかない」。それこそ、先日解体された東大阪市旭町庁舎(旧枚岡市庁舎)のエントランスなんか説明しようがない笑、カッコイイけど(図5)。

図5 東大阪市旭町庁舎(旧枚岡市庁舎)

では「説明がつくもの」とはなにかというと自ずと設備だとか断熱になる。意匠や仕上げ材料には費用が割けづらいとなると、自ずと公共施設は「おしゃれなパチンコ屋とハートフルな老人ホームとスマートな工場を足して3で割った建築」になる。

そう思って先に挙げた額田や作手の新施設、あるいは近年の公共施設を観察すると、これはこれで面白い。木を使うことで、気を遣っている感がかもしだされているのも共通します。そのあたりは、隈研吾の建築を連想させます。

この民主化傾向は、目下のところマニエリスムを経てバロックに至っているように思えます。民主的手続きを踏んでいます感の演出がどんどん技巧的・作為的になり、ついには手続きの過程自体が目的化し肥大化していくことに。そして、ますます建物にかける予算は少なくなっていく。

とはいえ「民主化のバロック」を経ないと新国立競技場や豊洲市場の二の舞になるので、これはこれで必要なのだろうけど。でも「説明がつくもの」に覆われた世界って、本当に豊かなのだろうかと思うと、やっぱりションボリーしてしまいます。

ちなみに、冒頭紹介した額田センターを担当した青島設計は、たとえば、弥富町立弥富北中学校(1979)(図6)だとか聖マリア修道院(1976)(図7)といった建築を立て続けに手がけていて、これまたすごくモダーン。同じ青島設計が手がけたとは思えないこの違いこそが、時代の隔たりでもあるんですね。

図6 弥富町立弥富北中学校(出典:青島設計HP

図7 聖マリア修道院(出典:青島設計HP

(おわり)

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