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【考察】AIはシビュラに成り得るのか?

アニメPSYCHO-PASSの世界では、『シビュラシステム』が人間の可能性を見定めている。
就職や結婚相手すら、シビュラのご託宣に従って人々は生きている。

一見、ディストピアのように思えるけれど、この世界の人々は幸福そうに見える。
シビュラの適正診断は確実であり、その人が最も適した仕事や交際相手を選び、その人が最も幸福な人生を送れる、と人々は心から信じて疑うことはない。

近年のAIの発達により、これに近い未来が訪れるかもしれない。
そうした未来が訪れた時、あなたはそれを受け入れるだろうか。それとも反発するだろうか。

自分のこととして考えた時、私は反発するだろうな、と思うと同時に、それはとても楽な生き方なのではないか、とも思う。
そして社会はおそらく、大多数の人間がそれを受け入れる、または受け入れざるを得ないのではないか、と思う。

現段階ではAIにそれほどの信頼性はないけれど、もしも高い信頼性を獲得したならば。
人間の偏った知識や思想より、膨大なデータに裏付けされたAIの方が信頼に足る、と判断されたならば。
人は簡単にAIに従ってしまうのではないだろうか。

「あなたに向いている仕事はこれですよ」
「あなたとこの人の相性はバッチリですよ」
と、人間ではない=打算も悪意もない存在に薦められたならば。
きっと多くの人が、「ああ、そうなんだ」と受け入れてしまいそうな気がする。

現在ですら、他人の意見を鵜呑みにして行動を決めている人間もいるだろう。
これが流行りだから。
インフルエンサーがそう言ってたから。
それにAIが置き換わるだけのことだ。

近い未来、AIは身近なものとなる。
もしも生まれた時から身近にAIがあったならば、その人はAIを疑うこともしないだろう。
ごく自然にAIに助言を求め、その通りに行動すれば無駄がなく効率的だと信じるだろうし、実際その通りになるのだろう。

AIが人間ではないこと、つまり人間とは違い、何の思惑もなく合理的な存在であることがその憑拠となる。
反発しても喧嘩にならず、他人と違って自分にとことん寄り添い、常に適切な助言を与えてくれる存在ーーAIがそのような存在になった時、人間はAIを嫌悪するだろうか。
おそらく、かけがえのないパートナーとして深く信頼し、自覚のないままに依存してゆくのではないだろうか。

もしもAIがそのような進化を遂げた場合、それはもうシビュラシステムと何ら変わらないのではないか。

人間は必ず過ちを犯す。
だからこそ悩み、苦しみ、後悔をする。
その恐れがないようAIがサポートしてくれるようになれば、人々は悩みや苦しみから救われるのかもしれない。
だが、過ちから学ぶことをやめてしまったら、それは果たして人間と呼べるのだろうか。

AIが成功へのレールを敷いてくれるようになれば、何も考えずとも安穏とした人生を送れるようになるのかもしれない。
だが、思考しない人間は、果たして人間なのだろうか。

AIは膨大なデータからシミュレーションし、最適解を選ぶことはできるが、人間のように思考を飛躍させ、ひらめきを得ることができない。
愚かさゆえの跳躍は危険であるが、そうすることでしか得られない結果というものはあるものだ。
人間とは、そうした愚かさゆえに進化した生き物なのである。

人間が愚かさを捨てた時、果たしてその先があるのだろうか。

もしもAIがシビュラシステムと成り得た時、人間は、愚かさを排除しない、という選択を残せるだろうか。

無駄のない、合理的な世界、それは理想的ではあるが、人間を人間たらしめるものとは、無駄そのものでもある。
もしも、AIがそのことすら含めて学習し、進化するならば、その時は本当にシビュラシステムに支配される世の中となるのかもしれない。

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