【学び】無知の恥を知り無駄を学ぶ
以前に紹介したこともある、『真実を語る黒子』さん(以下、黒子さん)のインタビュー記事が素晴らしかったのでご紹介させていただく。
まずはこちらをお読みいただきたい。
私自身、とても共感できるお話であった。
黒子さんは常々、
『知識は「外れないメガネ」誰からも奪われない宝物』
と仰っておられる。
これを私なりに解釈すると、知識をつけることで見えるものが変わってくる、より広く深い視野を持てる、ということであろうと思う。
以前にも書いたことではあるが、例えば目の前にリンゴがあるとしよう。
特に知識のない者から見れば、それはただのリンゴでしかない。好き嫌いだとか、美味しそうだとか、それくらいの感想は持つかもしれない。
リンゴに関する知識を持つ者には、その品種であるとか生産地であるとか、大きさやキズのあるなしでその値段がわかるとか、酸味が強いものなのか甘みが強いものなのか、などといった情報を得られることになろう。
リンゴひとつでこれだけの差が生まれることになる。
ただ、これが良い悪いで言うと、たいていの場合、どうでもいいことである。
役に立つ場合もあれば、何の役にも立たない場合もある。
リンゴの味がわからなければ齧ってみれば良い話だし、品種が知りたければスマホをかざすだけで情報を得られる時代である。
では知識をつけることに意味なんかないんじゃないか、と思う方もおられるだろう。
ところが、そのリンゴは非常に珍しい、他の品種によく似た、毒を持つリンゴだったらどうだろうか。
味を知ろうと齧ってみたらお陀仏である。
そんな訳あるかい、と思われるかもしれないが、リンゴは例えで、実際にはそんなこともあるのである。
無知ゆえに危険性を察知できないことも、知らずに危険な物事に足を突っ込むことも、現実では大いに有り得る話だ。
そういう時に知識は身を助けることになる。
ところが、一口に知識と言っても、身の回りにあるものだけで膨大な量になる。すべてを完全に知ることは、どんな天才でも無理だろう。
知識がなくとも生きてはいけるし、それがある意味、健全な社会でもあると私は考えるが、少なくとも物事にはすべて歴史的背景があり因果関係があって、今、目の前に存在している、と知ることで、物事を鵜呑みにすることはなくなるだろう。
自ら考え、選択する。
それを怠るのは人間性を捨てるに等しい。
そして、選択するためには、知識がある方が絶対的に有利なのである。
…と、ここまで知識の有効性について語ってきたのだが、本来、「知識を得る」ことは楽しいことなのだ。
知らないことを知る、新しい知見を得る、そうすれば世界は広がり、様々な可能性をも獲得できる。それが楽しくないはずがない。
知識をつける=勉強する、ということに苦手意識を持つ人が多いが、勉強するという意味を狭く考えてしまっているのだと思う。受験のための勉強、資格取得のための勉強…そういったイメージしか持てていないのではないだろうか。
勉強、つまり学びは一生涯続けることができる。
そしてテキストに頼らずとも、何からでも学ぶことはできる。
学んだことは役に立つことばかりではないが、役に立たねばならないものではない。
そのことに気づけていないだけなのではないか。
効率化を重視される現代において、無駄を省くことは良しとされているが、それで上手く回るのは仕事くらいである。
人間は仕事をするために生きているのではなく、生きるために仕方なく仕事をしているだけなのだ。
そも、人間なぞ無駄の塊である。人間など存在しなくとも世界は何も困らない。何なら地球環境のためには人類は存在しない方が良かったとも言える。
そんな人間にとって、存在と共に許された無駄な在り方というものを、私は深く愛している。
人生には無駄が多いほど豊かになる、とすら思う。
わかりやすい例えとしては、芸術がある。
絵画であったり彫刻であったり、音楽であったり。それらは生きる上で必ずしも必要なものではない。
(人類が社会を形成し、文化を築く上では重要な役割を果たしているのだが、ここでは個人レベルの話として)
だが、それらに一切触れることなく生きるのと、触れることで感動したり共感したりしながら生きるのと、では大きく異なるだろう。
それが人生の豊かさというものではないだろうか。
ただ生きる為だけに生きるのではなく、楽しみながら生きてゆく、人間とはそういう生き物である。
楽しみの大半は無駄なものである。
だが、無駄を楽しむことができるのは人間だけなのだ。
例え役に立たない知識であろうと、学んでみれば楽しいものだ。そして学ぶことで、楽しみの範囲は広がるものなのだ。
何かひとつでも興味のある事柄があれば、是非学んでみてほしい。
それは貴方だけの知識になり、ゆくゆくは知恵となって貴方の人生の助けになるだろう。
無駄のある豊かな人生を送られる方が増えることを願ってこれを記す。
貴方の人生が無駄に彩られ、いつか来る最期の時に、
「悪くない人生だったな」
と思えますように。