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原罪とは?
はじめに
「我々は皆、罪人である」
聖書に記されている聖句ですが、コロナ詐欺にも加担していない、何も犯罪行為を犯していない僕らにとって「罪人?」と言われてもピンときませんよね
そこで、今回は聖書に記されている「原罪」を解説していきたいと思います。
それではどうぞ。
僕らは罪人である
![](https://assets.st-note.com/img/1728959534-eKuETwxSBiG7apMNrtYmAJhg.jpg?width=1200)
原罪とは?
聖書は性善説ではなく性悪説。
つまり人間は誰でも、罪の性質を持っていると書いています。
天使だったサタンが堕落した理由も、はじめは素晴らしい存在だった人類が罪人になった理由も、本質的には同じだったというところが興味深いです。
さて「罪」の問題を解決する方法はただ一つ。それは何でしょう?
「原罪」とは、人間であれば誰もが持っている「罪への傾向性」のことです。
人間の評価については、性善説と性悪説がありますが、聖書は「性悪説」に立っています。
人はすべて心の中に「悪への傾向性」を持っているというのが、「聖書的人間観」です。
原罪について、3つ申し上げます。
1番目に、最初に「罪」を犯したのは、悪魔です。
悪魔は、聖書では「サタン」とも言います。悪魔は、最初は「最高の天使」として創造されました。
その天使が、堕落して悪魔になったのです。
堕落した原因は何かというと、傲慢です。悪魔はあまりにも美しかった。そして、自分が神のようになろうとした。
これがポイントですね。
「自分が神になりたい」と思って神に反抗したことが、悪魔が犯した罪です。
2番目に、悪魔に誘惑されて、アダムとイヴが罪を犯しました。
これは創世記3章に出てきます。
アダムとイヴは、エデンの園に置かれていました。
神(エンキ)はアダムに、「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」と告げました。
つまり、一つの例外を除いて、どの木の実を食べてもよかったのです。
サタンは最初、イヴに近づいて、彼女を誘惑しました。
アダムは神から直接命令を聞いていましたが、イヴはアダムから間接的に聞いていたので、サタンは女の方が騙しやすいと思ったのかもしれません。サタンがイヴを誘惑した方法は、「これを食べれば、あなたも神のようになる」というものでした。サタン自身が「自分も神のようになりたい」と思って堕落したわけですが、彼はそれと同じ動機付けを使って、女を誘惑しました。
女は「食べてはいけない」と言われていたものを食べ、次に夫のアダムにも与え、アダムもそれを食べました。これが、アダムとイヴが犯した「罪」です。
つまり、罪の本質は「神への反抗」です。
何が善で何が悪であるかは自分で決めるという態度は、自らを神とすることです。
3番目に、そのとき以来、人類はアダムの「罪の性質」を継承して誕生するようになりました。
つまり、アダムとイヴから生まれた子どもは、「同じ性質」を持って生まれてくるようになったということです。
その孫もひ孫も、全部同じです。
人類の先祖はアダムとイヴですが、その子孫として僕の両親が生まれ、僕の両親から僕が生まれました。
僕は、遺伝的に両親の「肉体的性質」を継承していますが、それと同じように、内面的にアダム以来の「原罪」という「罪への傾向性」を宿して生まれてきました。
聖書は、「罪の支払う報酬は死です」と教えています。
この場合の死というのは、「神との断絶」のことです。
つまり、「原罪を宿したままでは、人は永遠の滅びに行くのだ」と警告しているのです。
僕たちの今の状態は、先祖アダムに繋がっている状態です。
イエス・キリストのことを「最後のアダム」、あるいは「第2のアダム」と言います。
聖書が提供する「救い」は、最初のアダムとの関係を断ち切って、最後のアダムであるイエス・キリストに繋がりなさいということです。それが、イエス・キリストを信じるということです。
イエス・キリストに繋がるなら、この方の性質を自分の内に宿すことになるので、「原罪」の問題は解決されます。
「すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです」(コリント人への手紙第一15:22)
つまり、イエス・キリストを信じるということは、「最初のアダム」との関係を断ち切って、「最後のアダム」であるイエス・キリストと繋がることなのです。
まとめ
この原罪から解放されて、三大罰「労働・出産・死」がなくなる時が「終わりの時」となります。
終わりの時とはキリストの地上再臨が起きる時ですね。
これまでの人生の総決算が「終わりの日」という事になります。
現行法を犯さなかった方は「千年王国」、ロンメルやニュルンベルク裁判の対象者は千年王国には行けずに「地獄」行きとなります。
聖書を知らなくてもイエスを信じなくても、人として正しい生き方をされてきた方々は「千年王国」に行けるという話になります。
僕のブログを継続して読んでこられている方々は、きっと千年王国に入れますので、安心されてください。
それでは今回はここまで。
ありがとうございました。
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