偶像崇拝とは?
はじめに
皆さんは「推しの子」という漫画をご存知でしょうか。
あらすじを説明すると長くなってしまうので、ざっくり説明すると好きなアイドルの子供に転生するという話です。
芸能人が結婚するという報道がされるとSNS界隈では「今、死んだら⭕️⭕️の子供に転生するかも?」なんて冗談をポストしているアカウントが散見されますが、彼らの願望を具現化した物語という事になります。
ストーリーは、芸能界の暗部や、もっと深い部分でデクラスを担っている点もありますが、基本的にイルミナティ側のプロパガンダ作品です。
ジャニーズやAKBといった芸能人を応援する、俗にいう「推し活」。
これも聖書的に言いますと、偶像崇拝となります。
今回は聖書で禁止されています偶像崇拝について、解説していきます。
それでは、どうぞ。
なぜ、偶像崇拝が禁止されているのか?
人生がどん底の頃、僕はある一人のサッカー選手に救われていました。
その名は歴史上最高のサッカー選手である「リオネル・メッシ」です。
同世代、同じ左利き、背格好も似ている、プレースタイルも同じという事で、サッカー選手になりたかった自分の夢を彼の姿と重ねていたんです。
週に2回ほど行われるバルサの試合が、僕の唯一の楽しみと言っても過言ではありませんでした。
14年前、埼玉スタジアムで代表戦を観戦できた時は本当に嬉しかったです。
このメッシ選手に心酔していた僕も偶像崇拝を行なっていた事になります。
もちろん、彼も例外ではなくロンメルとなっています。
それでは、なぜ聖書では偶像崇拝を禁止しているのでしょうか。
偶像崇拝とはつまり、神様をイメージして作られた像(絵画や彫刻など)などを拝むことですね。
聖書には、以下のように偶像崇拝を禁じている箇所がたくさんあります。
「4あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。 5それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。」
(出エジプト記20章4、5節)
繰り返しになりますが、
偶像崇拝とは神様をイメージして作られた像(絵画や彫刻など)を拝むことです。
奈良の大仏なんかを思い浮かべていただければ、イメージしやすいのではないでしょうか??
日本人には、偶像というのはとてもなじみ深いものなんですね。
仏壇を拝む
神社で参拝
お金に執着
タバコ・酒に依存
食べるのに夢中
ゲームが好き
アニメ・漫画をよく見る
パチンコ・ギャンブルをする
ショッピングを楽しむ
アイドル、グラビア、ジャニーズ、ロックスター、芸能人、ハリウッドの過激な追っかけ
ポルノを見る
占い
趣味に大金をかけている
音楽を楽しむ
仕事人間になる
映画を見る
恋愛依存
といった神様以外のものを拝んだり最優先してしまったりすると、それも偶像崇拝になります。
例えば、”お金が全てだ!”と思っている人は、お金という偶像を崇拝してしまっているわけです。
どれも誘惑がすごいものばかりですね。
偶像崇拝が禁止の理由
①人間の手で造られたものだから
聖書には私たち人間を含めたこの世のあらゆるものは、創造主なる神様によって造られたと記されています。
「こうして天と地と、その万象とが完成した。 2神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。 3神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。 4これが天地創造の由来である。」
(創世記2章1~4節)
一方で、偶像というのは人間の手で造られたものであり、
それを崇拝するというのは聖書の考えからすれば決して許容できないものです。
なにしろ、真の神様がいるのに人間が勝手に神を造ってそれを拝んでいるのですから。
これほどの真の神様への侮辱はありません。
身近な例で例えると、結婚して奥さんがいるのに恋人を作って浮気しまくっているみたいなものですね。
まとめるとこんな感じです。
人間が造った神様を拝む
➡偶像崇拝
人間を造った神様を拝む
➡聖書信仰
聖書に、こう書かれています。
「10だれが神を造り、またなんの役にも立たない偶像を鋳たか。 11見よ、その仲間は皆恥を受ける。その細工人らは人間にすぎない。彼らが皆集まって立つとき、恐れて共に恥じる。」
(イザヤ書44章10、11節)
人間の手で造れるほど、神様はちっぽけなお方ではないということですね!
②神様は唯一のお方だから
日本では多神教的な考え方が根付いており、たくさんの偶像が日本中にあります。
“八百万(やおよろず)の神”という考え方もあるため、もはやその数は把握しきれないほどでしょう。
しかし、聖書では、本当の神様はただ一人です。
天地を造られ私たち人間を造られた創造主であり、この世界で唯一の存在なんですね。
「4さて、偶像への供え物を食べることについては、わたしたちは、偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、知っている。」
(コリント人への第一の手紙8章4節)
ですから、聖書からすれば、それ以外の神様は全て偽物です。
その意味では、日本には偽物の神様で溢れているということになりますね。
③偶像自体に何の力もないから
先ほども言ったように、偶像というのは所詮人間の手で造られたもの。
そのため、聖書では偶像自体には何の力もないと考えます。
これは、自分がこねた粘土に何の力もないのと同じですね。
当然、人間のお祈りや願い事を叶える力もありません。
実際、聖書には偶像に人々が願い求めても何も起きないシーンが描かれています。
「彼らは与えられた牛を取って整え、朝から昼までバアルの名を呼んで「バアルよ、答えてください」と言った。しかしなんの声もなく、また答える者もなかったので、彼らは自分たちの造った祭壇のまわりに踊った。」
(列王記上18章26節)
また、聖書は偶像についてこう語っています。
「彼らの偶像はしろがねと、こがねで、人の手のわざである。 5それは口があっても語ることができない。目があっても見ることができない。 6耳があっても聞くことができない。鼻があってもかぐことができない。 7手があっても取ることができない。足があっても歩くことができない。また、のどから声を出すこともできない。」
(詩編 115:4-7)
まとめると、偶像は、
・しゃべれず
・目が見えず
耳が聞こえず
匂いもかげず
歩くこともできない
ということですね。
本当の神様というのは全知全能なるお方であり、偶像とは似ても似つかないということですね。
「27イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。」
(マルコによる福音書10章27節)
本物の神(エンキ)とはアヌンナキであり、ETなので、死者を蘇らせたり、無から有を生み出したり、常識では考えられない出来事を起こしていたので、そう思われていたのでしょうね。
④神様を制限しているから
聖書からすれば、偶像を造るというのは、神様という存在を人間が制限していることに他なりません。
あんなにちっぽけな像に、神様を閉じ込めているんですから。
これは、巨大なゾウを小さなカップに押し込もうとするようなものです。
また、例えば、日本なら神様にも、縁結びの神様、長寿の神様、受験の神様、商売繫盛の神様などそれぞれの役割があったりしますよね。
しかし、これは、神様は特定の分野でしか力を発揮できないと言っているようなもの。
ところが、聖書では神様は全知全能であり、神様が働くことのできない分野などありません!
つまり、真の神様ならたったお一人でも、
恋愛を成就させることも
寿命を伸ばすことも
受験を成功させることも
商売繫盛させることも
すべて朝飯前ということ。
「19また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。」
(エペソ人への手紙1章19節)
ですから、偶像によって、勝手に神様という偉大な存在を制限してはいけないのです。
⑤神様の存在に対する不安があるから
人間はそもそも、なぜ偶像を造りたがるのでしょうか。
その大きな理由の1つは、神様を目に見える存在にしておきたいからでしょう。
何しろ、本当の神様は目には見えません。
これまでの支配者層にとってはバレては困るものでしたからね。
だから、それが人間にとっては不安でたまらないのです。
旧約聖書の“出エジプト記”には、指導者のモーセが山に登っている間に、
イスラエル人たちが勝手に金の子牛を造り、拝んでしまうシーンが出てきます。
「7主はモーセに言われた、「急いで下りなさい。あなたがエジプトの国から導きのぼったあなたの民は悪いことをした。 8彼らは早くもわたしが命じた道を離れ、自分のために鋳物の子牛を造り、これを拝み、これに犠牲をささげて、『イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である』と言っている」。」
(出エジプト記32章7、8節)
これもモーセが中々帰ってこず、イスラエル人たちが不安になったから起こった事件でした。
このように、人間には神様を目に見える形にしたいという欲求があります。
しかし、聖書からすればこれは神様に対する不信仰な態度です。
神様は目には見えずとも確かに存在している。
だからこそ、それを信じられるかが試されているということですね!
まとめ
色々と偶像崇拝が禁止されている理由を述べてきましたが、一言で言うならば、偶像崇拝は悪魔崇拝だからです。
聖書には主、つまり神以外を崇拝する事を禁じています。
偶像崇拝の例で挙げられたものが全て、イルミナティが作り出してきた俗物的なものばかりだからです。
これまで僕らが生きてきた社会は悪魔が支配してきた世界であり、俗世間で行われているありとあらゆるものが偶像崇拝であったと言うことになります。
ホワイトハットは神の軍隊であり、Qプランは神の人類救出計画です。
千年王国で「労働、出産、死」から解放されるというものは、悪魔が作り出した制限が終わる事を意味します。
これで、ティア5、ティア4B、金銀銅、仮想通貨で儲かると吹聴している輩が、どちら側かわかって頂けたのではないでしょうか。
しかし、これらの偶像崇拝を全て禁じてしまうと三次元世界では何もできませんし、楽しめませんので、犯罪でなければ自分の機嫌を取る範囲で楽しんでもいいのではないかと思います。
ただし、律法は守ってくださいね笑。
それでは、今回はここまで。
ありがとうございました。
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