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くるりホールツアー2025「Quruli Voyage」の感想〜くるりはいつも旅をする〜

くるり ホールツアー2025 Quruli Voyage 〜くるりと弦楽四重奏〜 」

 くるりがまた新たな旅に出ました。新たな、と言っても脈絡の無い突発的な旅ではなく、今までの旅路を一度振り返り、整理してなぞるような旅です。ツアータイトルにあるようにVoyageとはもちろん旅のことですがニュアンスとしては航海、船旅という意味が多いに含意されているようです。コンセプトとして海外でレコーディングした楽曲を核にして、過去に弦楽器や管楽器を使用しライブで披露した楽曲のスコアを再構成しお披露目するというものでした。ライブやコンサートは一期一会であり音源化、映像化されたものもありますが、やはりその時々の出会いは体験した方々にとっては貴重なものであり、体験できなかった方々には垂涎ものであります。そういう意味で今回のツアーも一期一会ではありますが、往時の演奏に再会できた方もいらっしゃったり、念願の叶った方もいたのではないでしょうか。

 先に軽く触れましたがVoyageは主として航海や船旅を指すことが多いようです。実際的にくるりメンバーが船でどこか異国へ旅をしてレコーディング等々したことはないはずですが、不思議とくるりの楽曲には海や船旅を連想させるものが多いのです。電車や汽車はもちろんドライブがモチーフとなっている曲も多いことから、まずは近距離遠距離関係無く、また心理的、時間的な隔絶感も関係無く旅というテーマが根底にあるバンドだということは首肯していただける感覚かと思います。しかしこと異国への(海外や外国といった行き先のイメージをしやすい単語ではなくあえて異国という少し不思議さを湛えてる言葉を使いますが)旅をイメージさせる乗り物はくるりとしては船なのでしょう。波の上をゆらりゆらり、時には嵐にも遭遇するでしょうが、定時的、定位置的な旅程ではなく太陽と星と羅針盤を頼りに音楽を探求するのです。その先々で出会う人、音、言葉があるのです。

 さて、『THE PIER』というアルバムがあります。題名の意味は桟橋でいいでしょう。個人的にはくるりのアルバムの中で最も「異国情緒」を感じさせるアルバムだと思います。『NIKKI』や『ワルツを踊れ』ではないのか?という疑問は当然あるでしょうし自問自答もしますが、ここでいう「異国情緒」というのはロンドンやウィーンと言った定位置としての外国の風景ではなく、日本海からリスボンまで各地に寄港しながら人や音楽に出会う船旅をする憧憬なのです。もちろん収録曲の「Remember Me」などのくるりの中でも白眉と言えるような楽曲がウィーンでレコーディングされていたりなど、具体的な行動を挙げていけば実景が浮かび上がるでしょう。しかしあえてここではその実景は今回のツアーの中で灯台的役割を担っていると思うことにしたのです。憧憬とは言いましたがくるりの航海はあてどない旅では無いのです。音楽というバンドにとって最も重要な目指すべき灯台が異国の諸所にあり、そこを紡いでいくことで今回のツアーのような一本芯の通ったライブが可能となる、極めて動的なバンドなのです。

 音楽が在る、その実在においていくつの付随した事実や仮定を上げることができるでしょうか。響く媒体、響かせる発音体、音という現象に意味づけをしたナニモノか、鳴き声と声を使い分けることのできた人類の発生、さらにそれらを重ね合わせ重層的なコミュニケーションにしたこと、楽器の発見・発明、、、事実と仮定でも枚挙にいとまがありません。現代のくるりの音楽について、人類史において連綿と続いてきた音楽を感じるのはとても自然なことです。近現代に留まらない中世ヨーロッパのクラシック、古楽、また、音楽それ自体が歴史を内包するあらゆる地域のトラディショナルやプリミティブ、民謡、ブルース、ロックンロール、エレクトリニカetc…時間と空間を超えて様々な楽曲に命を吹き込み現代に再生する音楽家、それがくるりの革新的な道程です。個人的な感想において新曲「La Palummella」にはパンクロックの反骨、抑圧への反動、ロックンロールの鋭さ、教会音楽のような荘厳さや祈りを覚え、聴けば聴くほど歌、楽器の奏でる音が一つ一つ丁寧に羽ばたいており、ナポリの地において育まれた民謡がいかにくるりの楽曲に生まれ変わり、ダニエレ・セーペとその仲間たちにより愛と平和という普遍のテーマを静かに内包させていったかを感じ取ることができます。

 彼らが今回のツアーでスコア、つまり楽譜、五線譜にそれぞれ自分たちの音楽を再構築し、演奏したことは現代のロックバンドによるセルフカバー以上のクラシック的コンサートのような試みと捉えていいのではないでしょうか。音楽は演奏するモノがなければ再生されません。録音媒体を機械にかけて再生するというのは、演奏者にとっては録音が流れる以上の出来事ではありません。聴く人間がどうとらえるか、なのです。
 今回のツアーで最も核心であることはくるりが自分たちの楽曲をリアライズさせたことです。クラシックの特徴は名曲、名作曲家の作品はいつの時代においても何度でも誰でも演奏でき、いつでも技巧を持った演奏家集団が存在し、聴衆が存在することです。しかし、現代のロックバンドは商業的な枷(著作権等々法規・人権の話を商業的な枷というには語弊があるかもしれませんが)があり、楽曲の所有者というのが明確(ときには複雑化・硬化している)です。ベートーヴェンを「カバー」する、とは誰も言いません。くるりから数曲選んだ規模の大きい演奏会というのを有料コンサートレベルで実施することは、くるり自身以外のバンドはほぼできないでしょう。そういった意味でも自分たちの作品をあるテーマにおいてまとめ、お披露目する、それを「音楽の再生」と自信をもって言える場を作り出したこと、改めてそれがくるりの今回のツアーでの核心であり、自分たちの音楽を再度生み出すことなのです。

 さて、ここからはセットリストに触れながら感想を述べていくことにしましょう。パンフレットに各楽曲の説明は書いておりますので、名古屋と札幌で聴き、個人的に感じたことを書いていきます。



1:ハイリゲンシュタッド
 この曲を知るまでこの題名である単語、調べると地名であること、ベートーヴェンが遺書を書いた場所であることなど全く知りませんでした。『ワルツを踊れ』の1曲目であり、今回のオープニングにおいて弦楽四重奏の出初式としてはこの上ないイントロダクションでしょう。原曲よりも際立たせた緊張と緩和が期待を否が応でも膨らませてくれます。今日はずっとこの方々がくるりを弾いてくれる!という喜びを感じました。

2:サンタルチア
 岸田さんが歌いたい、ただそれのみに尽きる(とは言いすぎか)イタリア民謡です。コンサートでイタリア民謡が2曲も聴ける日本のロックバンドはくるりだけ!「La Palummella」が寂しくならないような配慮も感じます。
 身体が波のように、会場が風吹くように揺れだし始め、さて、我々はQuruli Voyageに出発したようです。

3:ブルー・ラヴァー・ブルー
 軽快に船は出航いたします。水先案内人はやけに機嫌がいいようです。それもそのはず、青い空、白い雲、青い海を感じさせるようなリズムで宵の闇、夜を明かして朝焼けを感じさせる歌詞の曲に乗客もノリノリです。暗くて明るい曲、のちの曲で言及されていましたが、その矛盾がくるりの楽曲に現れる特徴のひとつでしょう。

4:アナーキー・イン・ザ・ムジーク
 これは、またくるりによくある自虐的要素の楽曲かと思います。シンプルな良きモチーフに肉付けしていったら奇怪な怪物が出来上がっていたといえばいいでしょうか、歌や歌詞はこの際気持ちよければいい、ハマる言葉があればいいといった様相さえ見えます。この曲を弾き切る佐藤さんのストイックなベースは個人的に憧れます。鍵盤や弦のエネルギーを爆発させ切らない、導火線がずっと続いていくようなもどかしさはアウトロの終わりとともに我々の心を木っ端みじんにします。

5:さよなら春の日
 北海道民にとって春は出会いや憂鬱の季節であり、別れや旅立ちはそれほど感じないものです。この曲のおおらかなバイオリンはそんなローカルな気持ちをふっと吹き飛ばし「春」への郷愁へと誘ってくれます。なんとなく潮風交じりの桜吹雪、桜餅が出来上がってしまいそうですが、涙の塩辛さと桜の甘さをドラムとコーラスが際立たせてくれます。

6:アマデウス
 私の心象風景として真っ白い空、黒一本の地平線、ヒースの荒野にパイプ椅子が二脚あり、膝を詰めてアマデウスと語り合う私がいます。静止しているかと思いきや音も無く風切るバイク(あえてのバイク、なぜか昔からこの曲の時速200㎞を越えて真っ青な荒野を駆け抜けるナニモノか、はバイクのイメージなのです)が、タクシーのように横に止まっては通り過ぎる。
 ライブではなく曲のイメージを書いてしまいましたが、眼前で演奏されている楽曲でさえ音源のイメージ通りとなる、これも素晴らしいライブ表現のひとつであり、私にとっては常にこういう風景をもたらしてくれる最高の楽曲の一つです。

7:GUILTY
 「暗くて明るい曲」の一番手です。「アマデウス」からの「GUILTY」なんて並びは自分でも何回聴いたことでしょう。一つ一つの楽器のフレーズ、歌唱、歌詞、コーラスがクサくなりそうなものですが全くそんなことはなく、奔流の寸前、瞬間的な激情を絶妙にそれぞれのトラックが支えあい、ドラムが大地を怒りのままに叩きつけ、ワールズエンド・スーパーノヴァの希望よりも遥かに遠くそして一瞬瞬く希望を映し出してくれます。一度だけ神様に音楽の才能を授けてもらうとしたら、こんな楽曲を作ってみたいものです。
 暗くて明るい曲とは何か、岸田さんの歌詞と佐藤さんの受け止め方によりくるりの「暗くて明るい曲」が出来上がるのだと思います。岸田さんだけでは暗くて暗い、佐藤さんだけだと暗かろうが明るい、そんな曲になってしまいそうです。制作当時は4人体制ですが、そんな二人がちょけずに向き合うと鍔迫り合いのような緊張感のある楽曲ができあがるのでしょう。そういった意味でくるりの詩人は岸田繁であり、その第一の読み人は佐藤征史なのです。

8:Remember Me
 岸田さんの歌唱が心に響く、出会った人とは離れることはあっても別れることはないと励ましてくれるような曲です。弦楽四重奏の手により原曲に近しい演奏はこの曲を初めて聴いた時の感動を難なく思い出させてくれました。誰の心にもある郷愁を託すとしたらこの曲しかありません。ここから[時間]をテーマにした曲を続けるということです。

9:京都の大学生
 時間を旅する人にくるりはこの曲の登場人物を選びました。1人称、2人称、3人称視点が入り乱れる複雑な楽曲です。視点、というのも時間においては重要な要素と考えます。誰の時間を過ごしている曲なのか、彼か彼女か脇役か。出かけていくお嬢さんを見ていた方は帰りの遅いことを気にも留めず、テレビでも見ているのでしょうか。随分と長い1日が経ったように見えますが、それでも1日は1日です。お嬢さんは彼氏とこの日だけで別れの未来を決めようとしたわけでもなさそうで煙草に命運を託しましたが、なんと別れていないかもしれないという見解が岸田さんから提出されました。それが次の曲へとつながります。

10:Time
 断然、前述の彼氏と彼女が幸せになった世界線の楽曲です。優しく二人を包み込むように演奏される弦とウキウキのお散歩をしているドラム、寄り添うようなボーカル。「今」から明るくて不安な「未来」へと想いを馳せる二人を応援する温かな楽曲です。

11:スロウダンス
 このツアーの中で最も再構築された楽曲ではないでしょうか?テルミンパートを弦にアレンジしたからでしょうか?(どの楽器になっていたかは2回聴いても2回とも驚愕が勝ってしまい全く細かく聴けませんでした)好きな曲、いい曲だなと漠然と思っていましたが、こんなに変化が豊かに付けられる曲だとは思っていませんでした。最敬礼です。まだまだ各楽曲を掘り下げられますね。
 ここのタームにこの曲があるということは、「幅の広い今」を過ごしている二人を描いているという解釈でしょうか。過去も未来もほんの少しだけ共有できてしまう、一瞬より少し長い今のあいだにダンスを踊る、そんな深い間柄になるまでに二人はどれだけ一緒の時を過ごしたのでしょう。次の曲でその一端が示されます。

12:恋人の時計
 人間は時間を発見しました。そしてそれを可視化し機械化しました。時計です。機械式時計の部品一つ一つの動きを五線譜に置き、音楽化したかのように演奏される各楽器、音楽とは時間芸術であるとつくづく実感します。時間芸術とは?知らんがな、なんかありそうじゃん、だれか提唱してそうじゃん。
 まあ、なんというか[0秒]の音楽って存在しないじゃないですか。たとえ1音でも鳴ってから終わるまで少しの時間が経ちます(休符一つの曲でさえも始まりと終わりがあります、この辺の論争は誰かにお任せします)。この楽曲は刹那と永劫、両方の相対する要素を恋人同士が焦れている雰囲気にまとわせています。1秒の間がどれほど一瞬で、どれだけ長いか、針が止まったら時間も止まってしまうのではないか、時計があるからこそ時間のじれったさを感じてしまうのでないか、時間という概念があるからこそ、待ち合わせをしている二人が出会うまでにじりじりふんふんずらずらとしてしまうのではないでしょうか。しかし時間が無ければ、「京都の大学生」「スロウダンス」「Remember Me」といった時を伴った関係性の育みもないわけです。この時間タームでの楽曲に登場する人物の時間軸を考えてみましょう。どの曲が最初でどの曲が終わりか、それによって様々な未来や過去、現在が考えられるのではないでしょうか。Voyageもいよいよタイムトラベルの要素を含んでまいりました。

13:everybody feels the same
 時間タームを引き継ごうとするMCを轟音でかき消す(ステージ上では)寡黙な松本さんの強烈なギターイントロから始まった今回のfeels the sameですが、毎年のように背負う思いが多くなる宿命のある曲です。少し偏った解釈が入りますのでご容赦ください。「振り返ればお月様」、「背中に虹を感じて」、天候や時刻的には相反しているような描写です。愛するアーティストや人々が虹の橋をいろんな理由でどんどん渡って行ってしまう、それでも我々は未来へ進む、走る、泳ぐ、もがく、みんな同じ気持ちで。何を感じていたとしてもthe sameなんだと励ましてくれる、いつの時代にも必要であり、必然性のある楽曲です。松本さんのギターと弦楽四重奏が高らかに響かせる音は天まで届きそうでした。

14:taurus
 その天を見上げれば牡牛座が瞬いています。その星座の由来のせいか、ほのかなエロスを感じさせるこういった曲もくるりの魅力ある側面です。そして時の流れの終わりを告げるような転調、弦と各楽器の掛け合い、音楽の自由さを歌い上げて途端に内省的になっていく、ここからのくるりのくるりたる怒涛のセットリストの始まりを告げる入り口として、最高の瞬間にこの曲が置かれています。

15:飴色の部屋
 飴色は何色でしょう?なるほど玉ねぎを炒めると成っていくあの色です。当然部屋に差し込む西日がどんどん傾いてきている色でしょう。この色の感情は白と黒の間は灰色だけではない、少し輝きのある曖昧さと言えば伝わるでしょうか。音楽もピアノの白鍵黒鍵だけで分かれるだけではない、ドレミファソラシドの間にいくつもの音があり、ドレミファソラシドを鳴らす分だけ共鳴し合い聞こえてくる音もあるようです。弦楽四重奏とくるりチームがコンサートで音楽を奏でる意味を強くする曲です。

16:キャメル
 さて、ここで一度今回のメインビジュアルに目を向けてみましょう。道の奥の方にいませんか、ラクダが。馬かもしれません、見間違いかもしれません。それでも私はここにラクダがいることはとても自然なことだと思えます。なぜならこの曲があるからです。くるりの中で近年インパクトが急上昇している曲です。私個人は2019年のライブで初めて生で聴き、こんなに良い曲だったのかと気づかされました。
 そして今回「La palummella」のカップリングとして再登板となったわけです。ミックス違い以外でくるりが過去の曲をリアレンジ、それも独自に行うことは大変珍しいことだと思います。それだけくるりに愛情を注がれているこの曲は2024年にくるりファンとナポリ民謡を繋ぐ旅の相棒として、キャラバンのラクダのごとく何か大切なものを背中に載せながら行き来したわけです。そして2025年以降もくるりの旅を助けていく曲になっていくかもしれません。

17:心のなかの悪魔
 名古屋での岸田さんのMCで須原杏さんがこの曲を完成させてくれたとおっしゃっていた記憶があります。これから書くことはその揚げ足取りではないことはご留意ください。ただ、考えてしまったことなのです。それは芸術作品に「完成」や「完全」はありうるか、ということです。とてもここでは結論の出ない、悪魔のしっぽをつかむような話です。とにかく考えてしまったということだけは忘れずに、これからも創作物に触れていきたいと思います。
 この曲は個人的には大変好きな曲でございます。今回のツアーで聴けたことは幸せでございました。須原さんに感謝申し上げたいと存じます。この曲だけでどのくらい語れるか、一度挑戦してみたいものです。とにかく大好きな曲です。須原さんが心のなかの悪魔に天使の翼を授けてくれました。

18:Liberty&Graviity
 松本さんのサズ!以上!
それだけではあまりにもですが、今回のツアー楽曲中、最も完成度の高い演奏ではなかったでしょうか。あまりにも普通に凄いことをやりすぎていて、この曲がライブで演奏されることを当たり前に思っている自分はなんて贅沢なんだろうと思ってしまいます。アコースティックギター、エレキギター、エレクトリックシタール、ベース、キーボード、ドラム、ボーカル、弦楽四重奏、サズ、あと色々!夢中になって各人の演奏を聴き頭の中がぐちゃぐちゃにされて、残るものは幸福感ばかりです。

19:La Palummella
 目下くるりの最新リリース曲でありますが、ナポリ民謡であるといういかにもQuruli Voyageに相応しい楽曲です。原曲の成り立ちやどんな意味の曲なのかはまあまあ調べることができ、また、ナポリの歴史や風土、文化などにもテレビやネットで触れる機会が増えたのは、まさしくくるりと旅するくるりファンだなと自覚をいたしました。
 イタリアン、のように大きな一言でモノゴトヒトを括ってはいけない、だがしかし主語を小さくすればするほど境界線がはっきりしてきてしまうのも事実です。その境界線上を蝶のように羽ばたいていたくるりが、大海原を旅していたダニエレ・セーペ氏に出会ったのは果たして偶然でしょうか。韃靼海峡をてふてふが1匹渡っていくのは、なにゆえか。其の小さな翅と足、眼で仲間に出会うためではないでしょうか。そんな必然性を、いや互いの運命を信じていいような出会いを目の当たりにし、私は感動を禁じ得ないのです。そんな境界線上に人と人を結びつける音楽の中心があるのではないかと信じてしまうのです。その中心とはあらゆるルーツが伸びていく点ではなく、目いっぱいにルーツが伸びて満ちていくこの宇宙そのものでしょう。

20:ブレーメン
 くるりの文学、と言いたいくらいストーリーのある楽曲です。私たちはどのくらい名も知らぬ人の作った音楽の恩恵を受けているのでしょう。ありとあらゆる音楽、そして音楽家に感謝するように、高らかに演奏されるブレーメンはこのツアーのハイライトです。これ以上言うことはありません。

21:ジュビリー
 演奏しないわけにはいかない、とMCでおっしゃっていた曲です。こちらは音楽と人の歓びを感じさせる楽曲です。やはりこの曲の感想も長く書くのは野暮でしょう。

22:瀬戸の内
 新曲です。まだ2回聴いただけですので、岸田さんの内的風景がどこからやってきたのか、これから知るのが楽しみです。題名の表記も正しいかわかりませんので別の意味で記述はここまでにしておきます。

23:ふたつの世界
 石若さんのプレイにうっとりとしてしまいました。あんな風に人って楽器を演奏できるんですね……いやはや驚愕です。リリースされた時は楽しげでウキウキする曲だなあと思っていましたが、それどころではありません。弦楽四重奏とリズム隊、ギター、キーボード、ボーカル、それぞれに展開の高みがありなおかつ全て調和しているという超絶技巧な曲です。リリース当時に批評家達が一様に「今までにない曲」とおっしゃっていた意味がようやく分かった気がします。全く油断していました、聞き込みが足りませんでした。

24:奇跡
 また会いましょう、と常日頃MCでもおっしゃっている岸田さんですが、この曲に乗せている思いは温かく、慈しみ深く、ここで出会ったあなたたちを大事にしますからねとおっしゃっているように思えます。弦楽四重奏と演奏し壮大になるかと思えばそういう骨太の強さを現出させるのではなく、伸びやかな若草のような輝かしさを表現してくれて、本当に聴いてる我々に寄り添うように音色を響かせて、いつまでもこの時間が続いてほしいと願っているようなアウトロです。そしてまんまと我々はまた、くるりのライブへと足を運んでしまうのです。この曲が最後だと、終わったなあと終わってほしくないなあとまた来ようが同時に押し寄せてきて、余韻とはまさしくこのことだと思うのです。それが奇跡かもしれないですね。

 以上、全曲の感想を書くつもりは無かったのですが、せっかく2回行ったので何とかつづり切りました。相も変わらずの一筆書きで何の推敲もしていませんが、ライブに行った方、これから行く方、いつか行く方の目に留まればこれ幸いでございます。くるりチームの皆様、素晴らしいライブをありがとうございました!最後までの完走をお祈りしております!

                               <了>





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