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京都音楽博覧会2024の、感想文

彼らがまた、旅から帰ってきた



 君はこの街に来るようになってから何年経つかな。そうか、もう3年になるのか。なに、何年前からだろうが関係はないんだ。毎年「旅人たち」が帰ってくるのを待っているんだろう?みな同じ気持ちさ。ずっと前からいる人も、まだここに来て日が浅い「旅人たち」に会ったことのない人も。

 「旅人たち」が旅を始めたのはいつからだったって?難しい質問だな。旅をしているから「旅人」なんだ。いつの間にか旅が始まってて、「旅人」である限りは終わりもないんだ。君だってそうじゃないか。いつからここにて来て、いつまでいるつもりなのか。さっき3年と言ったね、それもこの街へ身体と来るようになってからだろう。心はずっとここに来ていたはずだ。君も「旅人」だよ。この街に繋がる空を、同じ空を見上げていたんだからな。

夢の中

 「旅人たち」はいつでも友とともに帰ってくる。今度一緒に帰ってくる友も、やはり夢の中で出会っていたらしいんだ。彼らは夢を追いかけて旅をしているとも言えるし、夢の中を旅しているとも言える。ここに戻ってきて、そしてまたすぐに次の夢を見つけるだろう。あるいはもう見つけて、夢を見ているのかもしれない。それでもここで数日過ごすときには、友とともに美しい夢を見せてくれる。私たちも彼らの夢の中の住人なのかもしれないな。そして、彼らの夢は私たちの夢でもあるんだ。

 友がどんな人たちだかわかるかい?「旅人たち」が夢で出会った人でもあれば、「旅人たち」を夢に見た人たちでもあるんだ。彼らの旅は行く当ての知れない道程に見えるかもしれないが、決してそうではないんだ。色んな人たちの夢、自分たちの夢、その夢を道標にしているから絶対に迷うことなく友のもとに辿り着き、そして迷うことなくこの街に帰ってくるんだ。



 またなんだってそんなことを聞くんだい。この街の名前の意味だなんて。と言いたいところだが、正直言うと私も詳しくはわからない。どうも「昨日と明日の間」とか「その日に向かう」とか、そういう意味にも捉えられるらしいが、そんなことは誰も気にしてはいないさ。ここはどこにでもある街なんだ。特別と言えることはただ一つ、「旅人たち」と一緒に夢を見る人の心には必ず在るということだ。君の心にも私の心にも。名前を口に出して心地が良いはずだ。こんなに気持ちのいい名前はないよ。

 「旅人たち」もこの街は必ず帰ってくる場所だと言っている。いや、彼らの旅はここからでなければ始まらないんだ。だから必ず帰ってくるんだ。たくさんのお土産を携えてね。それで、私たちも彼らが帰ってくるときは心を尽くしてもてなすんだ、彼らの友も一緒に。この街は彼らの故郷でもあり、旅立ちの地でもあり、友を迎える場でもあるんだ。だから、この街は私たちの夢とともに、永遠にあり続けるんだ。街の名前の意味はわからないが、街の意義はわかってくれたかな。「キョウ」という名前の意義が。

奇跡

 あっという間だったな、「旅人たち」とその友と過ごす時間は一瞬で終わってしまう。また彼らもすぐに次の旅に出てしまったな。でも仕方がないんだ、彼らは生粋の「旅人」なんだ。君の心には何が残った?メロディーか?詩か?風景か?そのうちに一番大事なものがなんだったか、自分で見つけられるはずだ。彼らは友と一緒にずっとそういう音楽を鳴らし続けてくれている。そうだな、私は今回の帰還は彼らにとっても、宝石よりも美しい奇跡みたいな出来事だったと思うよ。私の中にはその奇跡が残ったよ。これから生きていく中で未来を明るく照らし続けてくれるよ。

 君もどこかまた遠くのほうに旅に出るんだろう、そしてまた戻ってくるんだろう。いつでも来るんだ、いつでも居ていいんだ。きっと、いつでも想ってくれるんだろう。いつまでもずっと想っていてくれるんだろう。それは願いになって、やはり奇跡になるんだろう。この街の日差し、風、匂い、音楽が響いた青空と夜空、夢の道標みたいな緑の塔。全てが奇跡になって、そういうすべてのことがらがあって、夢がかなうというんじゃないかな。「旅人たち」も夢をかなえ続けているよ。そしてまた、ここに還ってくる。その名の通り巡り巡ってくるんだ。

くるり、とね。
                                     終

#京都音楽博覧会2024
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#くるり

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