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俳句を愛することと褒められることを愛すること
先日の事
少し調べ物がありネットでもんじゃくっていると、偶然、夏井いつき先生のブログを見ることができた。
アイキャッチ画像とは逆の反インポスターとでも言うのだろうか、いわゆる俳句のパクリ騒動に最近翻弄されている。
私は、下手ながら俳句を楽しんでいる。自らどのような方向から見ても俳句のセンスはないと思っている。きっと当たってる。
俳句は鑑賞するのも楽しくて、色んな方の作った句を見て心情を覗き見た気になったり、風景を想像したり、音や匂い味までも想像していると楽しい。
このところ、身近な某氏の俳句がその人らしくないのに気付いている。
「最近句風が変わりましたか?」と聞いたりもしたのだが、濁されていたり、決して話そうとしない。
激似の句を2つ発見してしまった。
ありゃりゃ、これはもう確信犯でしょ。
似たような句を疑う(言い方違うかもですが)場面に遭遇したときには、そっと
「同じような句が、すでに〇〇で発表されていますよ」
と促すと言うことを聞いたことがあり、それを知らずに似ていた場合は、作者にも勉強になるし、確信犯だとしても〇〇で発表した方に謝罪をする。と、それが礼儀だと言われているのだが。
認めないね。そういう人は。
逆ギレされて、なぜか私は件の人には悪者になっているようだ。
もう
数ヶ月経った、某氏は私と話そうともしないし、こちらも気分が悪い。
そんな時に見た、夏井先生のブログ。多分数年前に書かれているものだ。
いつの時代もパクリはあるんだな。
なんだかスッキリした。
某氏は褒められる事を愛していて、俳句を愛してるんじゃないんだ。
きっと
本人も気づいているはず、句会などで褒められるのは、自分の作った句じゃないものなんだろうな。
、、、ご自分の作った句は、、、
あまりに稚拙ですよ。
と
稚拙な私が言っている、小さなくだらない世界と、俳句の寛大で壮大な世界。
だからやめられない。