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美作八十八ヶ所霊場めぐり 32番札所 正光寺

8月24日。
真庭市関の正光寺におまいりしました。


ご本尊は、阿弥陀如来。
御詠歌は、あな不思議 弥山にみ光 かがやきて ともにまいらん 弥陀の浄土に

美作八十八ヶ所霊場めぐりの冊子に
このお寺の名前を見つけて、行きたいと思っていた正光寺さま。

冊子に掲載されている写真は、檀家の人たちが年に何度か集まっているところの写真。しかも雨に日に撮影されたもので、客殿前に臨時の傘かけを設置したものと思われ、「なんでこんな写真を」と思って見た。
写真や画像に凝りがない人は、大勢いるが、一枚の写真を凝りに凝って撮る人もいる。
きっとこのお寺にまつわる撮影者は、前者なのだろう。
しかも
この日にしか撮影できなかったのだろう。
きっと、無住寺なのだろうと思えた。

そんな諸々、とても山深いお寺なのかなと考えていて、今日これから、清水寺を訪れる前後にあるとは思っていたので、気持ち的には半分くらい諦めていたのだ。

花の頃になると、醍醐桜が有名な方向に車を走らせる。
県道84号は同じ真庭氏の勝山に向かう道になる。

ナビの案内は清水寺に向かっていたのだが、緩いカーブを曲がるときにふと、目に入った少し年季の入った看板は、正光寺を案内していた。

少し通り過ぎたのだが、トラックがごうごう行き交うのをやり過ごし、バックする。

「ご縁があったんだ」

そこからは、南無大師遍照金剛の幟旗に案内されて、正光寺は冊子の画像で目に焼き付いていたのですぐに見つけた。

これこれ
ここここ

小さなお寺だけれど、ついたときにはとてもうれしかった。
ご縁をありがとうございます。

赤い屋根の本堂は、その昔(といっても時代的には新しい)村の人達のランドマークになった事だろう。
新しい客殿も地域の人たちが集まる場所になっていたのだろう。

各地域に、公民館や公会堂が設置されて久しいが、その昔には村の人たち、地域の人が集う場所だったのだろう。
そうある事が本来あるべき姿だったのではないだろうか。

御住職さま、和尚さまは、地域の中で知識人として村の人たちを導いたに違いない。
尊敬される存在だったに違いない。

こういう地域に根ざしたお寺は、想像をかき立てるものだ。


小さな石のお地蔵さままで、ちょこんと可愛らしく思える。
お金をかけて作ったものより、今日はこのお地蔵さまが愛おしい。

どうして
そんなにこのお寺に行きたかったのか。

冊子には
「当山は、仁壽三癸酉(853)三月に当山弥山より霊光煌々と輝いて、河島美作守菅原道勝は、不思議な霊夢をみて、弥山に阿弥陀如来が降臨彰向したので、麓に一宇を建立したと伝わり、不思議原山正光寺と呼びます」
とある。

どんな霊夢だったんだろう。
美作守は阿弥陀如来さまのお姿を見たのだ。
なかなかないよ。

主人の知人にはお風呂にはいると観音様が来てくれる、といってた人がいたが、またその話は後日できる時があれば。

大満足のお寺でした。

ご朱印をいただきました。

不思議原山 正光寺
真庭市関1237-1

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