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[note17]愛犬が虹の橋を渡った日にアニマルウェルフェアについて考える
2020年3月10日、つまり昨年の今日、愛犬のキャリーが虹の橋を渡った。
その時もFacebookにはキャリーとの思い出や感謝の気持ちなど、その時の感情をそのまま書いたことを覚えている。今日はキャリーのことを思いながらアニマルウェルフェアについて、少し考えてみた。
ペットのことをコンパニオンアニマル(伴侶動物)と呼ぶようになったのはいつからだろう。それまでの上下に近い関係から、人間と生活を共にする家族や友人のような位置づけとなり、人間と対等で共に相手を尊重し、助け合って生きる関係へと変化していったことが背景にはある。
動物に関係する問題は複雑で、論点が多様になるので今日はアニマルウェルフェアと犬の殺処分の問題について考えることにした。少々、重いテーマだと思うが、知るきっかけになってもらえると嬉しい。
【アニマルウェルフェアとは!?】
1960年代頃から主張されるようになった「人間が動物に対して与える痛みやストレスなどの苦痛を最小限に抑えるなどの配慮により、動物の待遇を改善しようとする考え方」を指す。もともとは家畜動物を対象としていたが、現在は動物全般に対して使われ、5つの自由が定義されることで知られる。
1、飢えと渇きからの自由(新鮮な水、健康や活力を維持できる食べ物)
2、不快からの自由(避難所や快適な休息場を含む適切な環境)
3、痛み、怪我、病気からの自由(予防または速やかな診断と治療)
4、正常な行動を発現する自由(自由な空間、適切な施設、同種の仲間)
5、恐怖と苦悩からの自由(精神的苦痛を避ける状態や対処の提供)
こうした中、2019年度の統計では日本全国で年間5635頭の犬が動物愛護センターなどで主にガスによる窒息死で命を奪われている。これは犬の殺処分ゼロを目指して活動する特定NPO「Peace Wanko Japan」のウェブサイトからの引用である。Facebookなどでも設立の契機となった夢之丞(ゆめのすけ)の動画を見たことがある人もいるかも知れない。殺処分対処となった犬や猫は、通称「ドリームボックス」と呼ばれるガス処分機で命を落とす。元々は眠るように亡くなってほしいという願いから名付けられたとされているが、現実はそのようにはなっていない。
犬や猫が行き場をなくした背景は無責任なブリーダー、完全に商業化した一部のペット事業etc様々な背景がある。少なくともこうした状況、犬や猫の殺処分の現実はアニマルウェルフェアにおける5つの条件を満たしているとは言い難い。もちろん、そこには殺処分を担う人にとっての精神的な苦痛も含まれると考えられる。
最近、駅などで見かける日本動物愛護協会とACジャパンによる「その一目惚れ、迷惑です」という広告からも分かるように動物を受け入れるためには、一定の覚悟が必要となる。自分自身は果たして、キャリーに対して責務を全うできただろうか。昔から犬は好きだったが、本当の意味で責任を負ったのはキャリーと過ごした4年間だけだった。消化器系に対する悪性リンパ腫という非常に難しい疾患を持ってしまったキャリーの最期の瞬間まで責任を果たすことはできただろうか。
もっとできたことがあるかも知れない。逆に、それ以上のことはすべきではなかったのかも知れない。思い返すと今でも色々なことを考える。キャリーの11年間がワンだふるな時間であったのなら、少しは責任を果たせたのかななどと考える。そして、今、キャリーが虹の向こうで今元気に遊んでいることを願わずにはいられない。
キャリーがいなくなって、少しでも「殺処分問題」の解決に貢献できないかと考えるようになった。そこで昨年から先述したNPOに対して、僅かながらサポートをしている。資金提供だけが貢献の形ではないことは理解してるが、今できることを考えて、まずは寄付という形をとることにした。後は、こうして何らかの形で物事を発信していくことが問題に目を向けてもらう契機になると良いと思う。何事も知ることによって、それが行動につながる。知ることがなければ、その問題は社会に存在しないことになる。
今回はアニマルウェルフェアと犬や猫の殺処分の問題を考えてみたけれど、社会科教師として、色々な社会問題が「存在しないこと」にならないように微力ながら取り組みたいなと考えている。
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