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『A』に至る道と愛(棚橋引退試合に相応しい相手を考える)

2025年は『A(エース)』時代終焉の物語である。WWEではジョン・シーナが年内引退を発表し『17度目の世界王座戴冠を果たすことで18度の王座戴冠を果たせる者に時代を託す』御旗の元にレッスルマニア41のメイン出場を目指している。奇しくも同時代を強い精神力と責任感で駆け抜けた団体エース同士もう一人の雄棚橋弘至選手も来年1・4での引退を宣言。2025年が実質現役生活の最終章となる。今回は棚橋選手を通して20世紀プロレスファンの立場で新日本プロレスについて思う事を語ってみたい。

昨年末久々に新日本プロレスワールド(動画配信サービス)に加入しかなり大雑把ながら新日本50年以上に渡る歴史を見直した。アプリリニューアル後久々に戻ってきた事で数年ぶりに観た猪木・坂口vsゴッチ・テーズは大袈裟では無く至高の名勝負だった。20世紀ファンとしてついつい現代プロレスに想う所は多々辛口となってしまうのだが、久々に日本のプロレスをちゃんとまとめて観た事で何かが解決出来た気がする。前記事でも書いたが新日本プロレスは『猪木サーガ』『棚橋サーガ』と分けて観るのが幸せである。

この感覚は10年くらい前に平成仮面ライダーを受け入れ現在に至る令和ライダーまで楽しめるようになった事に近い。食わず嫌いさえ克服してしまえば実は昭和末期のライダーよりも平成以降のライダーにこそ石ノ森章太郎さん本来の多様な試行錯誤を感じられたのだ。最近ではアギトや龍騎みたいな斬新作と同じくらいクーガのテレ朝ドラマ感っぽいノリが心地よく感じるし、マルチバース疲れの今だから余計にディケイドの早熟も感じる。『平成』冠を巧みに乗じて仮面ライダーは時代にリニューアルできたのである。

その平成ライダー好きでも知られる棚橋選手よりも橋本・武藤に『A』を感じる方も多いだろうが、新日本の株式を過半数保有していた時代は結局は猪木さんの支配下にあった時代である。レッスルマニア40年まで(昨年)の歴史を私は『ヴィンスサーガ』と称したが、新日本がオーナー会社傘下となり1・4ドームが『レッスルキングダム』呼称となる前までの時代は『猪木サーガ』として以降の『棚橋サーガ』と分けるべきである。新日本においては『A』=座長として捉えるともう少し納得頂けると思う。

そして偶然のような必然で新日本の『A』座長は宿命で結ばれている。棚橋選手が時折語る自らの名前エピソード『父が猪木さんのファンだったので本名の猪木寛至から1字とり弘至になった』は割と有名な話である。しかしこれは壮大な法則になってしまったとも言える。オカダ・カヅチカのAEW移籍で新日本の次期エースが問われているが、これはあくまでも前述の橋本・武藤同様に『棚橋サーガ』内の主役交代劇としかしばらくは機能しないだろう。もし新日本プロレスが50年~100年まで続くのであれば新しいサーガを紡ぐ座長の名前は『~至』で結ばれなくてはならない。創始者猪木さんは『道』を残し、棚橋選手はリングの中心で『愛』を叫んだ。

さて最後にまだまだ先の話だが棚橋選手引退試合の相手は誰になるのか?
私は前記事では中邑真輔に至る流れを期待したが、棚ポ(棚橋選手のpodcast)等でうっすら匂わせているのはやはり海野翔太選手が現時点では第一候補になるのだろう。そこに冒頭のシーナ的解釈を加味すればIWGP世界王者として海野選手を迎え撃つのが最も理想的である。昨年ザックに勝利していながらまだ権利を行使してないのも一つ伏線でもある。棚橋選手は目に見えないブリーフケースを常に持ち歩いているとも言える。一方で今年の1・4での海野選手を思えば『IWGPは遠いぞ』レベルでは無い事もまた事実であるのでそんなに簡単な物語ではないのだが。。。

私が最も好きなレスラーの引退試合は敬愛するテリーを差し置いて意外にも高田延彦さんがPRIDEのリングで行ったものである。もちろんそれは遠足同様にセレモニー終了し退場が終わるまでが引退試合という前提である。
この日の田村戦の内容・結果については全く語るべくものはないが、引退試合にかつて『真剣試合をしてください』と詰められた弟子的な後輩を選び完敗後長めの退場で時代を託す後輩桜庭選手にバトンタッチしたあの演出だけはまだ誰も真似の出来ない達成だったと思う。もし猪木さんの引退試合がドン・フライ相手では無く橋本あたりに完敗し、ボンバイエが流れるなか次に入場する高田にバトンタッチする演出を観れたら。もちろんこれは対抗戦が行われる前で無ければならなかったが。。。ただそうしたら『道』は無かったのである。『デデデ』同様に全ての実現は無理なのである。

海野翔太への非難の中で映画『アントニオ猪木を探して』での『僕には怒りは無いです』発言がある。実は最近これを見直して私の中で少し印象が変わった。これは怒り≒闘魂的なものが僕には無い的に解釈されている事が多いように感じる。そういう印象に切り取られたとも言える。しかし冷静に今観ると例の猪木問答の時のような会社への不満的な怒りは今の僕等には特にありませんと言う風に見える。そう感じた理由は1・4で隠しきれなかった海野選手の自ら?観客?への苛立つ姿である。正直私も1・5を観た直後には海野選手から感じられなかったものをゲイブが魅せてくれたと脊髄反射してしまった。しかしそれは単にライオンマークとコブラツイストに過ぎない。やや冷静になった今は実は海野選手の苛立ちにこそ『闘魂』や『愛』を超えた新日本イズムを感じる。黒のショートタイツか?チャラ男長髪のロングタイツに戻すか?恥をかき開き直れる今こそ海野翔太最大のチャンスである!




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