
今こそ Netfrix で『SHOCKER』を世界発信すべし!(蜘蛛男と蝙蝠男2025)
令和仮面ライダーの最新作『ガブ』を一気見したが。。。『ガッチャード』『ギーツ』と分かり易い良作が続いたのでちょっとまだ見どころが掴めない。この時間帯本来の視聴者である子供たちも敵味方含め理解できているのだろうか?お菓子コーティングで誤魔化し、大人向け?ストーリーを展開したいのならばやはりそれは別のメディアで堂々と作成して欲しいのだが。
それはズバリ!悪の組織側から描く物語『SHOCKER』である。
私はこれまで仮面ライダーについて以下の記事を書いてきた。
・石ノ森章太郎先生は何故日本独自のヒーロー『仮面ライダー』誕生にあたり、敵役最初の怪人としてアメコミの雄『スパイダーマン:蜘蛛男』と『バットマン:蝙蝠男』を選んだのか?
・庵野秀明さんは何故『シン仮面ライダー』にて石ノ森章太郎原作にも敬意を払った上で、ラスボス怪人だけはオリジナルの『蝶オーグ≒超男≒スーパーマン』を選んだのか?
アヴェンジャーズが日本上陸するまで日本におけるアメコミヒーローの覇権はマーベルやDC等の概念は未だなく、スーパーマン、バットマン、スパイダーマンがBIG3だったと思う。あくまで推測の話でしかないが石ノ森先生はまるで力道山が戦後日本にプロレスという新しいジャンルを披露する際に敵役としてシャープ兄弟(実際にはカナダ人)を選んだようにまだ馴染みのなかったアメコミヒーローを和風悪役に選んだのだろうか?庵野さんの蝶オーグは石ノ森ヒーロー『イナズマン』がモデルと噂される。その上で庵野さんらしいオマジュナイ(オマージュ+おまじないの岡田斗司夫氏造語)と捉えるのは考えすぎだろうか?
2010年代あれ程熱狂の渦にあったMCUだったが『エンドゲーム』の達成を期に、コロナ禍での安易な乱造生産とマルチバース疲れが相まって停滞期を迎えている。一方でそれは『悪のオーナー:Mrマクマホン』でも描かれていたハルクホーガン時代への反動で爆発した Atiitude Era の如くアメコミ系の実写作品は悪の主役全盛時代を迎えたともいえる。賛否ある映画『JOKER』や配信ドラマ『ペンギン』等がその例である。石ノ森先生はそんな時代にまたも遺産を残しておいてくれたのである。『SHOCKER』こそが今創るべき石ノ森レガシーなのである。
3年前仮面ライダー50周年の一環として何故か『BLACK SUN』がリメイクされた。余談になるがこの作品突っ込みどころ満載だったが、中でも個人的一番ガッカリしたのは折角変身シーンが観れたシャドームーンがリアル志向で格好悪かった事である。あの格好良い平成ライダー路線を先取りした敵役ライダー?への変身が無かった事がオリジナル唯一の悔いと言えたのでこれは本末転倒だった。それはさておき1972年当時の学生運動を起とする社会情勢・事件を想起させる背景描写は大人ライダーとして評されるものだった。
奇しくも今年 2025年は 1995年から30年後の世界である。リアル社会でも1970年代の学生運動・安保闘争を経て。。。世紀末的世界観に再び乾いた若者たちが自己啓発や新興宗教に救いを求めた時代の果てが1995年である。
『BLACK SUN』での反省を生かした上で東映は今回こそ出し惜しみしない本気の大人ライダー作品として『SHOCKER』を世界に向けて発信すべきでありそれができるのはやはりアマプラより Netfrix な気がするのだ。
悪の組織『SHOCKER』。大幹部はともかくこの作品はもう飛蝗男(仮面ライダー)、蜘蛛男、蝙蝠男の3名を主役に絞って良いと思う。特に飛蝗男こと本郷武と蜘蛛男にはBL感、蝙蝠男は一歩引いた感じの3人の友情が中心。しかし正義≒『SHOCKER』の在り方に疑問を持った本郷は蜘蛛男の熱い説得にも応じず遂に対決。その結末を知った蝙蝠男は本郷抹殺に執念を燃やす的な展開は映画よりもドラマシリーズ向きな気がする。これも余談だが私は未だに『ダビンチコード』はドラマシリーズで再作成すべきと思っている。
さて蜘蛛男のデザインだが不謹慎を承知の上で『阿修羅』的なものが日本発信の決定版として良いのではないかと思う。短絡的に言えばキン肉マンのアシュラマンでありスマートなのは興福寺の観音阿修羅像のような凛とした姿でも良い。阿修羅を敵とする文化の相手国文化をテーマとした研究家が蜘蛛男改造前のパーソナルに相応しい。SUNでもシンでも最初の怪人として嚙ませ犬とされてきた蜘蛛男を和製スパイダーマンとして今こそ世界発信する事がショックを与える事でもある。スパイダーバースにやられる前に。。。
蝙蝠男についてはデザイン的なものでコレというものが残念ながらまだイメージできない。しかし蝙蝠男についてはやはり『吸血鬼ドラキュラ』を崇拝するサイコパス的な要素を是非取り込んで欲しい。蜘蛛男を殺された後の蝙蝠男がドラキュラの館のような舞台で陰から本郷と冷たく対話するシーン等も考えただけでゾクゾクする。観たいのはそういう本気の映像である。もし日本のお偉いさんがまた中途半端な妥協を促すようであれば、それこそ映画『力道山』みたいに韓国で作成されても良い。要は萎んだMCUや『JOKER』へのアジアからのアンサーこそが『SHOCKER』なのだ。
前回の記事でも書いたが既にAI時代の波が確実にせまっている。昨今『虚構が現実に負けた』的にエンタメを表する意見がある。間違ってはいないと思う一方でリア充とヲタでまだまだ住み分けができてるのでSNS等にはそこまで脅威を感じない。むしろAIである。私もIT業界の端っこにいる技術者として実は最近までAIにしても結局は『三体』で描かれたアレと懐疑があった。そもそもデジタルとはディジット=符合で表す世界なので究極的にはアレに違いないのだろうが最新版を利用して少なくともパフォーマンスはもうそんなレベルじゃない事に愕然とした。もはやオールドメディアは石器時代のものとなり動画配信サービスももうすぐそうなるのかもしれないくらい近い将来に我々はAI中毒になっているだろう。なので東映さん!もう出し惜しみなんかしてる場合じゃないのである!我々がAI版仮面ライダーを数分で何度も作り直しながら簡単に楽しめる世の中になる前に凄い作品で世界にショックを与えられるのはもう今しかないのである。とやや大袈裟に脅かさないと動いてくれないんだろうなぁ。。。