プーチン大統領,ネオナチ批判の重いツケ 侵攻3カ月
ゼレンスキー大統領がインタビューで「ロシアは3日で征服できると思っていたが、3日でも3週間でもなく、3か月続いている」と答えて善戦ぶりをアピールしました。
反対にプーチンは私みたいに大統領とも言われず呼び捨てにされる場合も多くて、世界のヒール役を買って出ている感じですね。
やっぱり戦争という手段が大問題なんですよね。
しかし、プーチン本人はこの戦争を
ナチス・ドイツに勝利した歴史と重ね合わせ
て何とか正当化しようとしています。
今日はそんな彼が主張することを
*唯一の正しい決定
*バンデラ主義者の非難も
*米武器貸与法、復活
とみていきながら
「ネオナチ」批判を繰り返すプーチン氏が、手痛いしっぺ返し
を負ってしまっていることを確認していこうと思います。
*唯一の正しい決定
プーチンが是が非でも結果を出したかったのが、5月9日、モスクワで開かれた第2次大戦の対独戦勝記念日の軍事パレードでの勝利宣言ですね。
苦境が続くこの戦いですが、第2次世界大戦で当時のソ連がヒトラー率いるナチス・ドイツに勝利した歴史と重ね合わせ、ロシア国民の愛国心をあおって侵攻を正当化しようとしているのです。
しかし、記念日当日の演説では
戦果を誇示することも、
国民に総動員をかけること
もありませんでした。
そこで繰り返し語ったのが
唯一の正しい決定と侵攻の正当化
を主張した事でした。
ウクライナに侵攻した当初は非ネオナチ化と称し、政権の転覆すら模索していたのですが、実際はこの主張と逆の結果が出ているのです。
*政治家ステパン・バンデラの存在
が大きく関わっています。
ネオナチとともに言及したバンデラ主義者はバンデラのシンパを意味しています。
バンデラはどんな人物だったかといえば
「ウクライナ民族主義者組織」の指導者で、ウクライナ西部を中心に戦前はポーランド支配、その後はソ連支配からの独立を求めて武力闘争やテロ活動を主導しました。
しかし、1959年、滞在先のミュンヘンでソ連国家保安委員会(KGB)の工作員によって暗殺されたのです。
プーチンはKGBだっただけに因縁を感じますね。
ウクライナでは91年末の国家独立以降、バンデラを英雄視しています。
そして2013年に親ロ派のヤヌコビッチ政権が欧州連合(EU)との連合協定の調印準備を停止したことから、市民による反政府デモが激化しました。
そこでヤヌコビッチ氏は翌14年にロシアに逃亡して、大統領選を経て親米欧派のポロシェンコ政権が誕生したのです。
ロシアはナチズムへの嫌悪感が昔から根強いですね。
ロシアは第2次大戦の対独戦で3000万人近い犠牲者を出しました。
父親は重傷を負い、母親は餓死寸前になったのです。兄は病死した事はナチスに攻め込まれたため積年の恨みを持っているのです。
*米武器貸与法、復活
プーチンのネオナチ批判は意外な所でもトラブルを生んでいます。
ラブロフ外相は、ゼレンスキー氏がユダヤ系なのに「ネオナチ」とみなす言い訳として、「ヒトラーもユダヤ系だった」と発言したのです。
そのことでイスラエルの激しい怒りを買い、プーチンが陳謝する場面がありました。
ゼレンスキー氏はウクライナに侵攻したプーチン氏こそが
ナチスの所業をまねている
と反論しています。
そして皮肉にも世界を敵に回したナチスを打ち負かしたロシアの戦勝記念日に、第二次世界大戦でナチスを苦境に陥れた、武器貸与法が、アメリカバイデン大統領によって復活させました。
この復活で各国からウクライナへの武器の貸与がより簡単になります。そしてロシアを更に苦境に陥れる可能性があるのです。
「ネオナチ」批判を繰り返すプーチン氏が、手痛いしっぺ返し
日本には「人を呪わば穴二つ」ということわざがあります。積年の恨みをさらっと水に流し、未来を向く事が求められているのですね。
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