終戦記念日を終えて知ってもらいたい日本の過ち
終戦記念日になると毎年テレビの特集で「原爆の悲惨さ」「沖縄戦での非道さ」みたいなことが放送されて、戦争は本当にダメだと思います。
でも一方で日本人がアメリカの被害者のようにばかり放送されているようにも思えます。
太平洋戦争の名目は「アジア各国の列強からの解放」を掲げていて、韓国、台湾、中国、ビルマ(現ミャンマー) マレーシア、インドネシア、フィリピン などへ軍事政策として乗り込んで戦争を繰り広げていて、彼らにとっては、自分たちで始めた戦争ではないことから日本を「戦争の加害者」として認識しています。
そこで今日はエピソードとして2点
「マニラの戦い」で起きた惨劇
フィリピン6代目キリノ大統領の慈悲
を紹介しながら歴史を振り返りたいと思います。
*日本は戦争の被害者なのか?加害者なのか?
原爆投下日や終戦記念日が近づくと、毎年テレビで色々な特集が組まれて、悲惨な戦争当時の記録フィルムを目にします。
どれも非人道的だったり、なぜ軍国主義に陥ってしまったか?など社会問題を考えるいい機会ですが、どの立場も「日本は戦争の被害者」的な立場でつくられている気がします。
本当にそれが全てでしょうか?
もちろん記録フィルムだから事実であるのですが、一方で加害者の側面があまり語られていないと思うんです。
太平洋戦争の大義の一つに「アジア各国を列強から解放する」を挙げて日本は戦争をしていました。
なので、アジア各国を軍事的な制圧を試みました。
韓国、台湾、中国、ビルマ(現ミャンマー)、マレーシア、インドネシア、フィリピン などがそうですね。
私はフィリピンと関わりがあるので、歴史を調べた事があって、それは加害者以外の何ものでもない事実がたくさんありました。
アジアの人はとっては、それが事実だと思います。
*マニラの戦いの惨劇とキリノ大統領の慈悲
ここで2つの歴史的な出来事を紹介します。
日本ではあまり取り上げられない事件です。
理由は多分戦後日本は罪に対して謝罪して賠償をしたから両国間で解決した問題として、触れられなくなったからです。
又、日本はODAの援助などで継続的に支援をしていて、今も両国間は良い関係です。
でも事実は消せないのです。
マニラの戦いの悲惨さ
終戦を前にした1945年2月3日から3月3日まで1カ月間首都マニラで日本軍とアメリカ軍が激しく争い日本軍が敗退した事件です。
この頃は敗戦ムードが漂い、
「どうせ負ける、負けたらひどい目に合わされる」
と自暴自棄になる上司が多かったそうです。
なので戦争の混乱のさなか、フィリピン人女性のレイプや民家からの物品略奪が横行しました。
1か月で10万人のフィリピン人がマニラで亡くなったそうです。
キリノ大統領の慈悲
この混乱の中で、後に6代目大統領になる「エルピディオ・キリノ」の妻と長女は銃殺され、2歳の3女は母親の横で泣いているところを日本兵の剣で刺殺されたそうです。
後で駆けつけたキリノは3女の遺体をトランクにつめて、自分で安全な所まで避難して埋葬したと記録があります。
そのキリノが6代大統領に選ばれて、経済再建を課題に取り組んだときは、ちょうど戦争犯罪で収容されている戦犯の裁判が多く開かれて、重い処罰を受ける日本へおが多かったそうです。
重大な犯罪で収監された人が多い「モンテンルパ」の刑務所は冤罪で罪を問われる人が多くいる中14人の日本人が死刑になりました。
その時の絶望した気持ちを囚人の日本兵は歌にしたのが「モンテンルパの夜は更けて」で歌手の渡辺はま子さんが歌って、南国捕らわれた兵士を憐れみ大ヒットしました。
画家の加納辰夫が200通の嘆願書と歌手 渡辺はま子との
ヒット曲「モンテンルパの夜は更けて」のオルゴールをキリノ大統領を訪問して手渡したときオルゴールの悲しい音色を聞きながら、この曲が絶望に包まれた日本人の心境の歌だと知ると、熟考したあと
私は、妻と3人の子供、5人の親族を日本人に殺された者として、彼らを赦すことになるとは思いも寄らなかった。
私は、自分の子供や国民に、我々の友となり、我が国に末永く恩恵をもたらすであろう日本人に対する憎悪の念を残さないために、これを行うのである。
やはり、我々は隣国となる運命なのだ。
私は、キリスト教国の長として、自らこのような決断をなし得たことを幸せに思う。
と大反対を押し切って105名の兵士の恩赦を実行して帰国させたのでした。
*事実をしっかり知る事で見えてくることも変わる
結局この戦争での死者は
アメリカ兵164,996人死亡、
日本兵348,925人死亡
フィリピン人は民間を含めて100万人以上死亡
で、その加害者はアメリカと日本です。
なぜなら、この戦争はフィリピンが仕掛けた当事者ではないからです。
まるで隣の家からやってきて、私の家で夫婦げんかでお皿を割って、記念の宝物も壊されて出ていかれた気分です。
でも、後日謝りにきた日本を許してほじくり返してこなかったフィリピンは懐が深いと感じます。
事実を知る事で戦争への見方も変わってきたところがあります。
それ故知る事を止めることが、一番成長を止めることだと実感しました。
音声配信の内容の要約になります。
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合わせて聞いて欲しい過去放送
2020年12月11日放送
フィリピンの情報サイトを立ち上げました。
幅広く情報発信しています。ご覧くださいませ
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