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#4 学生サッカー終了

どうも!たけです!今日も読んでいただいてありがとうございます!

今日はタイトルにもある通り、学生サッカーが終了したので僕が今までのサッカーで経験したことをご紹介出来たらと思います!

現在サッカーをやっている人もそうでない人も気軽に読んでいってください!

率直な想い

まず、ここまで頑張ってきてよかったなって思いました。
小学校1年生の時から父の影響でサッカーを初めて今日までの13年間、サッカーを辞めたいと何度も思いました。
泣きながら練習場に行ったこともあったし、練習中にプレーが上手くいかず不貞腐れた時もありました。それでも僕はサッカーをやめませんでした。

今となってはそれは僕にとって自信になるし、何事にも変え難い財産になりました。おかげでたくさんの人と出会えて、たくさんの経験を積むことができました。

小学生での経験

僕は地元の少年団の他に週に1回、サッカースクールに通っていました。
そのサッカースクールはとにかくサッカーの技術を向上させようというコンセプトのスクールでした。これは極端かもしれませんが、"下手なやつはいらない"と言わんばかりのスクールでした。

そんなスクールで僕はコーチの理不尽の標的にされていました。練習の最後にやるミニゲームはいつもコーチと同チームで、罵声を浴びせられていました。

「お前のミスで負けたんだ。」
「何のためにサッカーをやっているんだ。」
など。

本当にサッカーを辞めようと思っていました。
でも当時同じ少年団に通っていた友人が

「俺も頑張るから一緒にやろう。」

と声をかけてくれました。
その子のおかげで卒団ギリギリまでスクールをやめずにいられたと思います。

僕らがスクールをやめたあとに立て続けに数人がスクールをやめたらしく、そのコーチは指導者ライセンスを剥奪されたらしいです(笑)

ここで僕は仲間の大切さを学びました。今もサッカーに関わらず困っている人がいたら手を差し伸べるようにしています。


チームメイトとのギクシャク

中学生になり、僕は隣の市のクラブチームに入団しました。
そのクラブチームはとにかく走るチームで、練習前に毎日長距離ランがあり、練習後もクーパーランがありました。

僕は現在もスタミナに自信がありますがそれは中学生の時に培ったものが大きいと思います。

ある日、僕は中学校1年生にして3年生の合宿に呼ばれました。と言っても人数合わせで呼ばれたのでしょう。3泊4日で5試合やりましたが最後の試合の30分しか出られませんでした。

合宿後のオフ明けから1年生の練習に戻ると、チームメイトの中心の子の僕に対する態度が明らかに不自然なのです。無視されたり、イジメのようなことをされたり。

徐々に僕はチームでの居場所を失いました。そんな雰囲気だったのでプレーも上手くいかず、先輩の試合に呼ばれることも無くなりました。

そして紅白戦の日。事件は起きました。練習場に着き荷物を置いてトイレから戻ると僕のスパイクが消えていたのです。明らかに隠されていました。僕は紅白戦に出ることが出来ず、次の公式戦のメンバーから外れました。

そして翌週から僕は練習に行かなくなり、1ヶ月後にはチームを退団していました。

これは後から聞いた話ですが、僕をいじめていた主犯格の子もチームを離れたらしいです。今はサッカー自体もやめているとか。


サッカーの楽しさを知る

クラブチームを辞めてサッカーから少し離れていた時、サッカースクールで僕を支えてくれていた友人が僕のクラスに来て、半ば無理やり中学のサッカー部に連れていかれました。

結局僕は中学校のサッカー部に入部することになりました。今思えばその友人がいなかったら僕のサッカー人生はここで終わっていたかもしれません。チームのレベルは高くなくても、サッカーが楽しいと感じられたので僕はとても幸せでした。

中学校最後の試合もあっさりと負けてしまいました。何度も言います。

強くないんです。でも本当に楽しかった。
サッカーの楽しさを改めて学べた3年間でした。

高校入学

勉強が苦手な僕は中学校の部活を引退してから塾に通い詰めでした。
強豪校から推薦が来るわけもなく受験勉強をして実力で高校に入学しないといけませんでした。
僕の今までの人生の中で一番勉強したと思います。
努力したかいもあり、無事に高校に入学することが出来ました。

しかし安心したのも束の間。新型コロナウイルスが流行し、入学式の次の日から6月末まで休校になりました。楽しみにしていたサッカーが出来ず、悶々とする日々が続きました。
ようやく緊急事態宣言が解除され練習が始まりました。
顧問の先生は実はオーストラリアで元プロサッカー選手としてやってた人。練習内容も初めてやるものばかりでとても新鮮で楽しかったです。


部員一斉退部

自分らが2年生になり、将来の進路も考え始める頃。先輩たちが引退しました。
先輩たちが引退したショックはとても大きかったです。

そして2年生の大多数が燃え尽き症候群に陥り練習に来なくなりました。
最初は2年生だけで20人弱いた部員数も、僕らが引退するころにはマネージャーを合わせて5人になってしまいました。

ちなみに最後まで続けたメンバーは今でも定期的に遊びに行くくらい仲がいいです。

当時は続けてもなんのためにもならないと思っていましたが、今となっては続けていてよかったと思います。ここでも僕は継続の大切さを学びました。


サッカー専門学校入学

高校卒業後、僕は二つの進路で迷っていました。というのは僕の活躍を追ってくれていた大学から推薦がきたのです。練習参加もしました。実家からも通える距離で、環境も悪くはありませんでした。

ただ僕はもっとサッカーという競技を学びたいという意欲が強く、親元を離れサッカーの専門学校に進学することに決めました。

専門学校での2年間は本当に毎日サッカー漬けでした。僕以外の選手は強豪校出身の選手が多く、小学校から今までずっとレギュラーで試合に出ていた僕はベンチを温める回数が増え、悔しい思いもたくさんしました。試合に出れず上手くいかない自分が嫌で実家に帰り、練習をサボったこともありました。

それでも無事に専門最後の試合が終わりこの文章を書けているのは間違いなく両親をはじめとした周りの人のサポートのおかげです。
僕が精神的に追い詰められた時に電話をくれた先生、チームメイトのみんな。感謝してもしきれません。

僕がサッカーをここまで続けられたのはみんなのサポートがあってこそです。それを忘れずに日々生きていきたいです。


今後は

学生としてのサッカーが終わりました。そして就職はというと。
ありがたいことにサッカースクールの先生として働くことが出来ます。これも縁のおかげです。本当にありがとうございます。

そして身体が許す限りはこれからも社会人サッカーの選手としてピッチを駆け回りたいと思います。
応援よろしくお願いします!!


さいごに

ここまで長い文章を読んでくれている人はいるのでしょうか。きっといると信じて。ここまで読んでくれてありがとうございます。

サッカーという素晴らしいスポーツに出会えてよかったです。
これからも微力ではありますがサッカー界に笑顔と元気をもたらせるように日々精進して参ります。
よろしくお願いします!

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