10月8日
お久しぶりです。
約半年ぶりにnote書きます。
誰に向けてとか、誰かに読んでほしいとか、
今回はそういうものではないです
今の自分から一歩前に進むために、自分自身に向けた文章です。
まずはタイトルにした、10月8日です。
父が息を引き取りました。
52歳でした、体調はずっと悪かったです、でもこんなすぐいなくなるなんて思ってませんでした。
正直一ヶ月たった今でも、実感が湧きません。
父は自分の話はあまりしない人で、唯一話すことといえば説教まじりの野球の話でした。
ここ最近はその野球の話をすることも減り、父との会話は限りなく少なかったです。
だから実感も湧いていないのかと思います。
正直父のことは好きじゃありませんでした。
「父のようにはなりたくない」
そう思わせるような部分しか自分には見えていませんでした。
父が亡くなってから、父の昔の友人や職場の方々、親戚などたくさんの人が父の顔をみに家に来てくれました。
父が自分の話をしないからか、聞く話は知らない話でいっぱいでした。
職場の方からは
仕事がとてもできる人、全員に慕われていて悪くいう人はいない
と言われました。
正直少なくとも最近はそんな面影を家で見たことがありませんでした。
父は家以外では誇れる部分しかないような人でした。
これに気付いて、生きてるうちに伝えることができなかったことは本当に申し訳ないです。
きっと気付いても口にするのにはあと何年必要になったかわかりませんが。
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父が亡くなってから、1週間ほど仕事を休みました。
今では仕事に戻っていますが、身が入っていません。
自分の好きなこと、やりたいこと、人生を棒に振ってもやりたい仕事を今やれています。
なんでなんだろうなーってずっと考えてます。
この記事の流れからして父が影響してると思うのが普通です。
そう思ってしまう自分もいます。
でもこれから進もうと思っている道は、
自分の選んだ道ですし、亡くなった父も応援してくれた道です
今身が入っていない理由を父のせいにするのではなく、
父がいなくなってしまったからこそ、身を入れなきゃいけない
身を入れるだけでなく、これから先を父が安心してみていられるように生まれ変わるタイミングだと思います。
正直頭で考えてもこれが正しいのか、身が入らない理由は他にあるんじゃないか、なんでできないんだって自己嫌悪になることもありました。
無理やりでも、前に進まなきゃならないと思い、noteに書くことにしました。
自己満足な記事を書いてしまって申し訳ないです。
文字に残すことで、自分が変わってしまったとしても思い出すことができるということを半年前にnoteを書いていたときに気づきました。
この記事は、これからの自分が何度も救われる記事であると思います。
父に誇ってもらえるように、これからの一日一日を生きていこうと思います。