僕の東京を更新して
東京から地方に転属になってからは、仕事で年一回訪れるぐらいの場所に変わったが、私は東京が好きだ。自分の人生のその時々で変化し、新しい顔、新しい街の明かりを見せてくれるそんな街。
きっとまた、訪れる時の自分は変わっていて、その時も見える景色は変わる。何度も、何度も更新して、その度に懐かしくなる。
初めての上京は19歳の春。
大学進学のためのありきたりな理由での上京だったが、反面やっと帰ってきたんだとも思った。
物心ついてから小学1年生まで、神奈川県の百合ヶ丘に住んでいた。山の稜線に家がへばりついたような、そんな街。自己紹介ではややこしくなるので地元は仙台と答えているが、本当に故郷だと思っているのは百合ヶ丘だ。ここで私の人生の大半が決まってしまったし、ここを離れた事で、その大半を失ったと思っている。
初めての友達、幼馴染み、悪ガキだった時の思い出。百合ヶ丘を離れた時、全て心の底に封印した。
だから仙台での幼少期は、虫喰いのような記憶しかない。
上京して初めて住んだ部屋は、そこから程近い大学の近く、安いからという理由で選んだ半地下のワンルームだった。
その頃の私の東京は新宿、渋谷。
昼間は大学まで山登りして通い、夜は同じく地元から出てきた高校の友人と新宿、渋谷に駆り出す日々。特に何をするでもなくウィンドウショッピングして、夜は飲みとカラオケ。家に帰ってからは暗い部屋でwordで小説を書く。刹那的なのか何なのか分からない日々を送っていた。大学生になったからといって何者かになれるわけではない。そんなことを分かっていたからこそ、学業だけ、遊びだけでなく、向かっていく夢や理想がある生活は充実していた。今思えば壮大な時間つぶしだったのかもしれない。
次に住んだのは神奈川県の奥地、町田を越えた辺りの家賃激安の地区。有名な大学のサテライトキャンパスが何個があって、それ以外はくたびれたそんな街だった。その頃の東京は町田、下高井戸、下北沢。
大学3年の、忘れられない仲間たちとの日々。苦労。
他の誰かにしたら苦労でもなんでもないかもしれないが、大学に入学したての妹との同居生活、足りない生活費と妹の学費を工面するためのバイト、そして入ったばかり出来たばかりの、暗中模索のゼミで気持ちをすり減らす日々。自分一人で進んでいるのではない日々。自分だけが前に進む為に努力するのではなく、誰かを立てつつ誰かを頑張らせつつ過ごす日々、ある意味それは充実だったのかもしれないけれど、すり減っていた。
長い首都圏暮らしの中で、一番長く過ごしたのが神奈川県の某高級住宅街。駐車場には必ずレクサスや高級外車が立ち並ぶような、そんな街。終わるとも、終わったとも言えずうやむやになった大学4年間の卒業から、社会人になって長く付き合ったので、思い入れは強い。別で記事を書けてしまうぐらい、ここには長く住んだ。そして私は東京が好きになった。毎年自分の立ち位置を確認するために訪れた東京タワー。毎日くたくたになるまで働きまくって、ああでもないこうでもないと本当の大暴れと言えるぐらい飲んで、毎度毎度新しく自分のことを話しているだけの縁なのに、不思議と同じ熱量で語り合った渋谷。
いくつも、いくつも東京は変わって、更新される度に大好きな街に、大切な街に変わった。
一人で仕事の重荷を感じながら眺めていた東京タワーからの景色は元恋人との思い出に更新され、大手町、有楽町、恵比寿は就活の時に途方に暮れていた街から、誰かと手を繋いでちょっと大人になったような気持ちになりながら歩く、そんな街に変わった。表参道駅なんて数えきれないほど歩いたけど、どこか気恥ずかしい気持ちになりながら歩く、そんな街になった。毎日通勤で通って、もう飽き飽きしたなんて思っていた渋谷で誰かと過ごすのは、ちょっと悪い事をしているそんなスリルがあった。
あまりにも長く過ごしすぎたから、書きたい事は沢山ある。
だけどきっと、私は東京が好きだった。
学生時代より長い時間を過ごして、たくさんのライフステージを踏んで、たくさんの人と出会ってそうやって更新し続けた東京が好きだった。
けれど一度は、嫌いになった。
物価が高いとか、電車通勤が面倒臭いとか、家賃が高いとか、そんな世間一般的なデメリットの裏に、もう二度と更新されない東京の美しさを、東京の灯りを大事にしまい込んで。
更新しないと決めたことの哀しみも苦しさも寂しさも、全部抱いて嫌いになった。
出て行った最後の日が想像通りに雨になって、ああちょうどいいな、なんて思ってしまった。
夢破れて都落ち。そんな日にはうってつけの雨。
何千回も歩いた、部屋までの15分が雨に滲んで、キャリーバッグが重たいな、なんてそんな思い出で終わったのは今となっては良かったと思う。
初めて住み始めたのが19歳の春。
そして、もう一度更新したいと思ったのが35歳の夏。
最初に更新される東京の街がどこになるのか、そんな事はまだ分からない。
思い出は更新されるが、そこに残してきた人達は変わらない。変わったのは関係性だが、今ならもう一度違った形で繋げるのかもしれない。それに、ここから先は全く知らない人たちとの新しい関係もあるのかもしれない。
もう30代も後半ではあるので、終の棲家というものは否が応でも意識してしまう。東京がきっとそのベストプレイスではない事は分かり切っている。
東京で必ず、何者かになれるわけではないけれど。
私にとって、そしてこれから上京する誰かにとって。
更新し続ければ、想いを作り続ければ東京は大切な街に変えられる。希望も、挫折もそこにある。
それらは全て、世界一の夜を形作るとされる"君"の唯一無二の人生の灯り。
何度だって更新しても、その美しさは変わらない。