少年Aだったかもしれない私達からの決別行
正直な話、どうでも良かったので適当に決めた。
その気持ちが現れていたのか、いつまで経っても引越しのダンボールは片付かないし、夜は適当にパスタを茹でて掛けるだけだとか、適当に切り身を焼いて食べたりだとか、生活を作れる気が全くしなかった。
少しだけ、時間が欲しかった。
誰にも後ろ指を指されることもなく、横たわって天井の木目を見ているだけの甘えた時間が必要だった。
大学から徒歩15分、近道を通れば本当にそんなもんだが、実際は高架をずっと歩いて、辿り着く先は古びた裏門。当然のように、行きも帰りも誰とも会わない。
同期と帰るときは、わざわざ回り道をしていたのは、秘密だ。
リズムを作るまで、長い時間がかかった。
大学からは近いが、大学の最寄駅からは離れ、全く別の路線の方が近い。大学は行って帰るだけで、特に何の感慨もない。
無限とも言える時間。滞留する日々。
今日は渋谷、明後日は新宿、明々後日は池袋、毎日毎日、昔から暗夜を共にした悪友が近くにいるのが、ただ救いだった。了解、了解、了解。それだけで時間は埋まる。
幼い酒に溺れながら、スーツ姿のビジネスマンを見て、
「あんな大人には、なれないよな」
一体俺らが、何を知っていたというのだろう。
自分達を棚上げして、束の間の自由に陶酔していた。
空っぽだった。
そんな事は言われなくても分かっていたけど、理解するための時間が、その時の私には必要だった。
*
部屋に溜まって行くのは決まって書類ばかり、情報を遮断する為、テレビも置かず、携帯も古いもので、遊びに来た同期にはよく、留置所みたいな部屋と揶揄されていた。
昼間の街は嫌いだった。その癖外の空気を吸わないと落ち着けない性分だったから、よく外を歩き回った。
つまらない街だ。
よくあるスーパーと、チェーン店が軒を連ねる商店街、家の裏手に横たわる事件現場さながらの鬱蒼とした森。坂を登れば錆びついたトタンが露わになった木造家屋、控えめに見ても、終わってる。
坂道はそのまま、2つ前の駅まで続いている。坂のてっぺんには、なんの変哲も無い中学校があって、所謂通学路になっていた。
坂道を登り始めてすぐの中腹に、それはある。
鬱蒼とした緑地へ続く、長い長い階段。
私は密かに、それを13階段と名付けていた。死刑台までの13階段、そこはわざわざ行かなくても察しはついた。
登った先にはおそらく、フェンスに囲まれた電波塔か、給水施設、フェンスの周りにはそこを溜まり場にしている近くの学生連中が投げ出したエロ本や漫画雑誌、ペットボトルから古タイヤ、錆びた自転車などの不法投棄されたガラクタ。
そしていつの日か、そういう鬱屈したところで、つまらない事件が起きて、忘れ去られる。
知ってる。そういった場所、私だって良く行ってた。人の目が届かないそんな場所、ちょっと歩けばどこにでもあって、人の闇が、そんな所で声を上げる。
*
今思えば考え過ぎであるような気もする。
かつて、全国紙に載るような凶悪犯罪の舞台となった街に住み、過敏になり過ぎた大人達によって歪められた自己認識が、そんな事ばかりを想起させる。
結局、誰もが罪を犯す訳では無い。
なのに皆、事件の犯人の様な顔をしていなければならない。マスコミと、学校内外の大人と、両親と。
自分達と同じ年代の子供が罪を犯せば、自分の子供もいつ罪を犯してもおかしくはない、とか、毎朝の新聞、ワイドショーで流れる、大人達が理解できなくなった10代の犯行。90年代から2000年以降、そんな話は限りないほどある。
そして、住んでいた街で起こったのは、自分の仕事を利用して、それとは知らせないように多くの人々を殺める。そんな事件。被害者のなかには、同年代の子も含まれていた。
小さな街が日々フラッシュに晒され、毎日通る道が、テレビによって映される光景は、ただ吹雪の舞うこの街ではないように見えた。
昔からずっと訪れていた悪友の家の近くには、いつだって報道陣が詰めかけていた。そこから見る景色は、わざわざテレビで流すまでもなく、良く見知った光景だったのに。
過敏に成らざるを得なかったのだろう。
増える凶悪な犯罪に対し、それに対処してこなかった大人達が出来ることは余りにもない。そして、重々知り過ぎているのだ。人が邪に沈む時、その時は簡単に訪れる、と。
結局、誰もが犯罪を犯す訳ではない。
人を殺める訳ではない。
けれどその考えはこういった人気のない場所で、いつだってぽっかりと口を開けている。
毎日、毎日"悲しい事件"の話ばかり朝礼で上がる度、茶の間で両親が心を痛める度、自分達は容疑者でもないのに、同じ年代というだけで罪の意識を背負わされてきた。
私は、後ろめたかった。間違いなく、その可能性を持っていたから。
私だけではない、きっと、知らなかっただけで大人からすれば、同じ世代の人たちは皆、少年というだけで、腫れ物と同じ見方をされていた。
*
まるでただ、生かされているだけのような初めての生活は、妹が上京してくる事と、物件の更新時期で、2年で幕を下ろした。
それからその場所に行くことは無いし、13階段を登ることは、最後までなかった。
だから13階段の先には、本当は何があるのか知らない。
人の闇に過敏であった日々も、もう過ぎた。
それは、自らを猥雑な世界に沈める事で過剰な思考が入り過ぎるようになって、ディテールまで見なくなったからかもしれない。
それに、都内近辺では毎日のように事件が起きている。決して喜ばしい事ではないが、少なくともあの小さなベッドタウンで起きたあの事件より、一撃の影響は大きくないだろう。
それ程まで、我々は人の闇を恐れていた。
あの2年間は、過敏になり過ぎた認識から、一歩だけ遠のく為に必要だった。
今はそう思う。
そして、今、私がつけているフィルターはなんと一元的なものだったのだろうと思う。私の主観は、曇っていた。だが少し踏み出せば、変わっていたかもしれない。
けれどあの時、13階段を登っておけばとは思わない。
過去のそうしなかった選択肢が、今選び取った選択肢に勝る事はあり得ない。
少なくとも、自分一人の人生の上では、そうだ。
人の闇と結び付いた時間があって、そこから一歩離れる時間があって、ようやく夜の闇を埋め尽くす人の営みを見ることが出来る。
あの時、登っていれば安い陶酔の場所にしかならなかったかもしれない。
もし違った人生を歩んで、誰もが眩しく見える、そんな明るい生活をしてたら、見向きすらしなかっただろう。
少なくともこの文章は書けない。
闇がどれだけ深かろうとも、人の営みがそれに負けることは無いのだ。今はそれを信じたいと思う。
私には、犯罪心理など分かりません。
しかし、動機となるべき理由は、残念ながら世の中には無数にあります。
一つ一つ、いつか全て、潰せますように。
本当は違う。だがそれは今、形にできるものではない。
今はただ、そうなるかもしれなかったすべての同世代の人々と同じように、この誤った自己認識から、決別する。
※該当地域が過去、なにかしらの事件現場であったかどうかは不明です。
全体的には、そこそこに治安は良く、住みやすい街ですが、ひったくり、防犯の看板をよく見かけるので、ゼロではないでしょう。
リスクのない街はありません。その上で、自分で出来る対策は、打てるだけ打ちましょう。