1秒も無駄にしちゃいけない
こう歌ったのはBUMP OF CHICKENの『ガラスのブルース』です。
んんマジその通り、そんな話納得はしているけども、これって明日死んでも後悔ないように全力で生きていこうっつう刹那派の話なのか、長期的な事を考えて今を無駄にする事なく明日につなげようっつう長期戦略派の話なのか、よくわからんので書いてみます。
例えば、何の話でも良いのだけど人生で一番頑張った時で行きます。Aさんは高校生の頃の部活の話、Bさんは社会人1年目の話、Cさんは現在進行形で頑張っている事の話。年齢は同じ、とする。
もちろん話し方、語彙、熱量、エピソードのクオリティとか色々あるのだけど、これだけの情報量だと、Cさんが一番良く見える。
本当は一つだけの括りをなくして全部載せで話すのが良いのだが、全時期、一つずつ頑張ったエピソード出して一定のクオリティが出せるかといえば、そうでもない。
もちろん僕は面接官ではない。けれど、人のエピソードトークを聞く時に、どうしても「あんたもう社会人やろ、そんで学生の頃の話すんのか、マジか?」と思ってしまう性格の悪い部分がある。
本人にとって、本当に大事な話であるのは分かる。何度も反芻して、ようやく喋れるようになった事は、わかる。
喋らないのが正解なのかもしれない。
高校時代にしか、頑張っている事の例を出せないなら、それ以外の全ての時間を無駄に過ごしている。社会人1年目の時間にしか、頑張っていないのだとしたら、それ以外の全ての時間を無駄に過ごしている。
だから、全てのライフステージにおいて語れるように、1秒も無駄にせず、全力で生活せねばならぬ。そんなのしんどい。
もう一つの価値観がある。明日の為に、今をかなぐり捨てることだ。
受験中の学生とか、浪人生とかが良い例なんじゃないかな。今精神的に腐ってるとか、社会的になんの貢献もしてなくとも、良い。明日、もしくは近しい未来、復活する。大器晩成型ですね。
こちらも目標とかを長期間持ち続けなければならない点においては、しんどい事に変わりはない。成功するまではただの浪人なので、嫉妬心、自己否定なんぞが渦巻くことこの上ない。だけど成功するにしろしないにしろ、苦労話は後々役に立つことが多い。特に同じような経験をしている若人に話すときは、よくよく聞いてもらえる。
ここまで書いた。きっと回答はどっちでもいい。しかしながら人って割合、死にさえしなければ、何もしていなかったとしてもいつの間にか誰かしらの先達になってしまう。
その時に何も残せない、何も語れない人間になってしまうのはきっと良い年の取り方ではないんだろう。そんなことを刻んでおく。与えられた時間をしっかりと焼き、使い切って、また明日、また来年、こんにちわする為に。