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傘は左手でさせ、という教えから

私たちは、良くも悪くも周囲からの影響力の中でいきている

そして、どうしても家族の影響は大きい

母子家庭だったため実の父親の影響はさいわい?受けていないが、身近には非常に強い個性がそろっており、濃ゆい人格が充実していた(笑)

育ての親である祖父、祖母との同居環境は家業である土建屋であったため直接言葉にはなってなくとも、優秀な親方であることは良しとされる

いまでも「にんぷ」と聞くと土木に従事する「人夫」と変換される

優秀な親方とは何か?

ややこしい、いわゆる癖の強い土木作業員たちを理屈抜きに巻き込む人間力が求められるがこれはとても難しい。祖父は天才だったのだろう。自分には到底到達できない、いや いままでにそれだけの苦労や経験を積んでいないので困難だと思う。環境がひとをつくる、とも言うがマネできそうにない。

実務ではというと砕石の山をみて、ダンプ何台で運べるのかという見積、概算力が必要だ。そして言わずもがなの圧倒的な腕力、体力が欠かせない。

よって、幼少期から言われていたことは

この家では「算数と体育だけできておけ」ということ。

小学校のころはぽっちゃり系だったし、3月生まれだし(言い訳)、このいずれもが特別苦手だった。しかし、努力しないわけにはいかない。ある程度の年齢になるまでには頑張って、まあまあそこそこにはなった。はず。たぶん認めてもらえはしないけれど。

で。そして、”鍛錬の在り方”としていろいろなことを言われたが

そのうちのひとつが表題にある「傘をさすときは、左手(利き手ではないほう)をつかえ」だ。

雨の日に傘をさすならばあえて、意識しなければ使わない利き手ではない左手の筋肉を鍛える機会にしなさいということ。

祖父は左利きだった。柔道では有利に働いたようだが、不便もあったろう。要は、得意ではないものを日常生活の中で意識して使うことで鍛えておけ、というメッセージだったと思う。

運動不足解消にジムに通ったりする方法もあるが、コストもかけずに継続するには、日常の動作に負荷を取り入れること。階段を使う頻度をあげるとか、つま先立ちで洗い物をする、スクワットしつつ洗濯を干すなどなど、、

同時に、何気なくコツコツと努力を続けよということかと思う。人の目を気にせず、自分のルールとしてだ。

それ以上に考えさせられるのは、自分はこういった価値観を伝える「具体的」なメッセージを子どもたち後世に残せているだろうか?ということだ。どこかのおばあちゃんがトイレには神様がいるからきれいにしようねと言ったように。

大切な考えとは抽象的である。それを伝えるには具体的なアクションが必要だ。宗教儀式やお作法というのはそういった考え方や在り方を伝えるために具体的な所作に落としこまれている。

自分が実践し、腑に落ちたことしか説得力をもって伝えらえないと思う。何を言うのかよりも、何をするのかだ。

お父さんは確かに実践していたな、と子供たちの記憶にのこるような行動をしていこう。



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