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sinh11
評価が怖くて発信を躊躇している人に贈るイケハヤさんの言葉
何かを文字にして不特定多数の人に晒す、という行為は恐ろしいことではあります。だって、「なんだ、この程度の思考力なのか」「つまんないこと書いてるな」「浅いな」と思われる可能性がある。「こいつ、自分好きなんだな」「自意識過剰だな」なんてことを思われる可能性もあるでしょう。
最近、僕は意識してSNSで発信しようとがんばっているけど、その背中を押してくれている言葉があります。『武器としての書く技術』でイケダハヤトさんが書いている「人間なんてどうせバカ」という言葉です。
以下、少し引用します。
人間なんてどうせバカ
人間なんてどうやったってバカで無知なんですから、変に賢く取り繕う必要なんてありません。自分のバカさ加減を知り、高めていけばいいだけの話です。バカだと思われそうなことでも、いざ発言してみたら、意外と評価されたり、共感されたりすることもありますしね。
「完璧な文章」なんてものは、そもそもありえないのです。「今」完璧だと思えたとしても、「1年後」に見たら「何浅いこと言ってるんだ……」と思うことは、ぼくも頻繁にあります。だとしたら、今の完璧にこだわるのなんて、バカみたいな話です。それでは一生書くことはできません。
完璧でなくていいのです、今、自分がたどり着ける限界点を切り出しましょう。バカにされる恐れさえ払拭すれば、執筆は自分の「現在地」を客観的に認識するすばらしい機会となるはずです。ことばを吐きつづけるためには、「バカだけどバカなりに頑張っている姿を見せる」という意気込みが必要です。
人はみんな多かれ少なかれプライドがあるので、バカにされることは嫌なものです。文章にして不特定多数の人の評価に晒すことは「己の才能の限界を知る」ことにもなる。だから恐ろしいのは当然と言えるでしょう。
でも翻って、発信しなければ才能は磨かれるのか? 実力は上がっていくのか? と言えば、むしろ逆でしょう。発信することを躊躇して、内にこもればこもるほど、マーケット感覚も文章力も鈍っていきます。
まず、裸になる。己の限界を晒す。認める。そこからがスタートです。
評価は恐ろしいもの。しかし、評価を恐れて発信しなければ何も始まらないというのもまた現実なのです。