私が父のアイスクリームビジネスを継承するまで
1986年、ロサンゼルスで私は生まれました。
しかし、私がまだ1歳の時、両親は離婚し、母と共に日本へ帰国することになりました。
一方、父はロサンゼルスに残り、日本製のおもちゃ屋を経営し、新しい家族にも恵まれていました。
父の会社は、最初は日本製のおもちゃを取り扱うToy Shopでしたが、工場を持ち自社で製造が出来るようになってからは、ユニバーサルスタジオなどの大手企業との取引が始まるなど、順風満帆な時期を迎えていました。
しかし日本のバブル崩壊の影響を受け、経営が厳しくなり、ついには会社を清算することとなりました。
しかし、父はそれでも諦めませんでした。
人々を笑顔にする仕事がしたいという夢を抱き、アイスクリーム事業に挑戦することを決意しました。
父はイタリア人シェフのもとで修行を重ね、アイスクリームとジェラートの技術を習得しましたが、満足することはありませんでした。
全国のアイスの有名店を訪れ、自分のアイスクリームを冷凍バックに詰めて持ち歩き、現地のアイスクリームと「Side by Sideの食べ比べ」を続けるなど、絶え間ない努力を続けました。
試行錯誤の末、父はアイスクリームのコクとジェラートのさっぱりとした味を見事に融合させた、ヘルシーでありながら満足感のある一品を完成させました。
このアイスクリームは、食べると自然に笑顔がこぼれるような、まさに幸せの味でした。
2005年、父のアイスクリームはロサンゼルスで開催された食品展で金賞を受賞し、その名声は瞬く間に広がりました。
そして2010年には日本に戻り、東急東横線の元住吉駅にてアイスクリーム店をオープンしました。
日本でも「ヘルシーだけど満足感がある」として多くのお客様から高評価を得て、2015年には美食女子グランプリという40名のグルメ女子審査委員が評価をする大会にて、金賞を受賞するまでになりました。
そして約30数年の歳月が流れたある日、私は父と再会しました。
最初のキッカケは、父がアイスクリーム店のオーナーとしてテレビの取材を受けているシーンをたまたま妻が発見し、父が日本にいる事を知りました。
その事実を知った時は、正直赤ん坊のころから会った事のない父の存在を、完全に他人と認識していたため、「そうなんだ」くらいにしか感じていませんでした。
それから数年経った後、とある小説を読み、私も自分のルーツを知っておこうと、せっかくなら父が元気なうちに会って話をしてみたいと思い立ち、母の友人を辿って父と会うことになりました。
最初に再会した時は、なんとなく雰囲気が似ていて、他人ではないなと精神レベルで感じたことがとても印象的でした。
もちろん、言葉にすることが難しいグッと込み上げる何かを感じたのも覚えています。
そして今までから現在までの道のりをお互いに話し合い、定期的に連絡を取る間柄になりました。
それから父はアイスクリームを毎年節目のタイミングで我が家に送ってくれて、私達家族も心から美味しいと感じていました。
そして2023年の年末、父はアイスクリーム事業から引退することを決意しました。
父の引退を聞いたとき、私はこの素晴らしいアイスクリームを世の中から消してしまうのはとても勿体ないと感じました。
また後継者が不在という現実も重なり、私は父の開発したアイスクリームのレシピを引き継がせてもらう形を取り、新たに展開することを決意しました。
私は社会人になってから、IT業界で営業として働いていました。
それは稼ぎが良かったからですが、心の中ではより人々の生活に近い分野で仕事をすることも楽しそうだという思いもありました。
アイスクリームは、人々にひとときの幸せを提供できる素晴らしいスイーツであり、父の情熱を引き継ぐことで、多くの人々に笑顔を届けられると確信しました。
父と過ごした時間は少なかったですが、その情熱と信念は私の中に深く根付いていました。
今までの経験を活かしながら、父のアイスクリームビジネスを成功させることで、より多くの人にひとときの幸せを提供していきたいと、心から願っています。
私の挑戦はまだ始まったばかりですが、これから多くの人達にRELAXアイスクリームをお届けできるように邁進していきます。
RELAXアイスクリームの特徴は様々なところに書いていますが、
「低糖・低脂肪・卵不使用」でヘルシーに作られているにも関わらず、食べた時にほのかにコクも感じられる、上品な味わいです。
食べて美味しいと感じていただいた方は、是非良い口コミや拡散をしていただけると嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。