『プロレスラーは観客に何を見せているのか』 1/13
TAJIRI選手の著書『プロレスラーは観客に何を見せているのか』を昨日ようやく読めた。おもしろくて一気に読んでしまった。自分のプロレス観戦のベースはやはりこの人なんだなぁと改めて思った。
感想文を書いてもいいのだけど、気になったフレーズを紹介することでその代わりにしたい。それだけ読んでも、十分興味が持てる内容だと言える。紹介する前に気になった、この本のベースにある「サイコロジー」という言葉は頭に入れておいて欲しい。心理学とかそんな感じの意味だけど、TAJIRI選手のプロレスというか、生き方を表現している言葉だと思うのだ。
さて気になったフレーズを紹介していきたい。
・「なぜ自分はそれをやるのか」その意味を考えてから、練習に取り組むことがプロとしてあるべき姿勢。
自分が何をやるのかを漫然をやっていても意味はない意味を考えることが必要だ。これはプロレスラーでなくてもどの人にも当てはまると思うのだ。
・プロレスにおけるキャラクターはその人がもともと持っている資質を活かしたものでないとうまくいかない。
本人が持っているものを活かしたものでないと、どんなにいいキャラクターであってもマッチしない。無理しているのがわかってしまってはうまくいかない。人に見せるのがプロレスなので余計にそうなのだろう。
・色気こそはリング上のキャラクターが放つあらゆる魅力の中でも極上のアイテムである。
見られるのが大前提のプロレスだから引きつける色気は必須だろう。それがない選手には魅力を感じられないのは当然である。
・当たり前のことを当たり前に展開する。
不自然な動きをしても絶対に無理がある。当たり前の動きを当たり前に展開させることを見せることこそがプロレスにおける「サイコロジー」なのだ。それを突き詰めるのがプロの仕事なのだ。
・誰か一人、突拍子もない発想をする変人でありながらも社会生活はわりとマトモに送れている、そんな人が最終決定権を持ち、大筋を決める組織が望ましい。
抜きんでた発想ができる人(あえて変人と言おう)がある程度まともであることが前提で、そういう人が最終決定権を持ち、流れを決める組織が望ましい。そういう人はやはり必要であるのはどの組織でも通じるところだと思う。全員が平均化した組織では成果はでないと思う。
・人間は何者かにならないといけない。
何かを訴えようとするときに自分が何者であるか言えないと聞いてもらえない。そのために何者になろうと必死に人生をもがく。それが当たり前である。その姿を見せたい。SMASHのテーマのようなものだった。
・人生に起きること、すべて死ぬまでの途中経過に過ぎない。
人生のすべては途中経過に起きること。TAJIRI選手の人生訓とも言えるだろう。
自分のプロレス観戦のことを振り返ってみると、WWEでTAJIRI選手が活躍していた時期、SMASH、WNCと続く流れのところがピークだと思う。彼の生き様にシンパシーを感じていたのだと今も思う。やはりおもしろかったし。今、あまりプロレスを見なくなったのはそういう刺激的な何かが欠けてるのではないかなと思う。だからリングを支配する「サイコロジー」を見せられる誰かが一番魅力があるのではないかと思う。そこかなと思わざるを得ない。
プロならば誰しも持っていなければならないのだけど、それを見せられる選手は限られてくる。そういう選手の試合や興行を今だからこそ見てみたい。
プロレス論というよりもいろんなところで「こうだろうな」と思いながら読んだ。人生のいろんなところで当てはまる何かなんだろう。その切り口がたまたまプロレスだったということだ。下手なビジネス書、人生を語る本を読むより説得力があった。