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世界一であることの意味

二位ではダメなんですか?という言葉がかの民主党の蓮舫議員の発言。2009年の民主党政権下の「事業仕分け」で、スーパーコンピュータ「京」の予算を巡り発せられた言葉です。ご記憶の方も多いでしょう。

蓮舫氏の発言の真意は、世界一である必然性を否定したわけでなく、その是非をきちんと議論しようという意味でした。これはとてもよく理解できます。

私たちもとかく、世界一、世界初という言葉に多く触れがちです。かの北九州のプラネタリウム提案では、5つの世界一、3つの世界初を掲げたわけですが、それでは改めて世界一、世界初であることの意味はあるのか、あるとしたらどんな意味があるのか?考えてみましょう。

まず、あえて否定的な姿勢から考えてみます。

世界一、世界初であることが無意味である論拠1

世界一、世界初というのは、他と比べて成り立つ概念である。物事を生み出すからには何らかの目的がある。重要な事はその目的を達成する事であって、他と比べて上か下かに囚われる事は愚かである。

世界一、世界初であることが無意味である論拠2

世界には80億近い人がいて、インターネットが発達したとはいえ、何かを真に世界一、世界初であることを証明する事は困難。世界一であると思っていても、見えないところでその上がいるかもしれない。その可能性を考えずに、世界一、世界初を主張するのは無責任な事である。

どちらもすごく筋の通った話です。私もそう思います。私自身、モノを作る時、他と比べてどう、というよりも、それで何が満たせるか?を考えます。世界一や世界初なんかでなくても価値のあるものは無数にあります。世の中の99.99%はそういうもので成り立っているわけです。やみくもに一番であることを求めると、かえって本来の目的を見失いかねません。

では、世界初や世界一にこだわることは無意味なのでしょうか?それはちょっと違います。科学技術、特に啓蒙分野に携わる人たちを敵に回す覚悟で(汗 辛口のことをあえて書きます。

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