自己紹介
「多発性のう胞腎」という病気をご存じですか?
腎臓に「のう胞」と呼ばれる血豆のような袋が多発する病気で、徐々に腎臓の機能を失っていく治療薬の無い、いわゆる「難病」です
(詳しくはマガジン内で追って記載します)
私自身を端的にお伝えすると「多発性のう胞腎」患者であり
そしてもう一つ「腎臓移植」患者です。
この「多発性のう胞腎」と「腎臓移植」という2つの結びつきについてここで多くは語らなくても想像に難くないと思います。
患者の方は初めてご自身の病名を聞いたとき、そしてその症状を深く知ったとき目の前が真っ暗になった方もいるのではないでしょうか。
真っ暗にならないまでも、この先この病気とどのように付き合っていけば
よいのかと情報を漁ったのではないでしょうか。
そういった方に向けて、またその方の周囲の方に向けて
そしてその方を見る医師の皆さんに向けて
私の実体験をお伝えしながら、この病気と向き合ってきた経験とノウハウを書き綴っていきたいと思います。
私の生きた証として。。。
念のためこのNoteのコンセプトですが、だれかを勇気付けたいとか
元気になってほしいといった類のものではありません。
あくまでも目的は私の経験した事実をお伝えすることです。
読んだ方のどなたかはその内容から「気付き」があるかもしれません。
あるいは次の行動の参考になるかもしれません。
何かの力を信じて行動を促すというような
高尚な行いを目指しているということではなく
あくまでも事実をお伝えしていくというスタンスで
考えています。
以下が現在考えている目次です。
大事だと思う部分から執筆を進めようと考えていますが
もしこの記事を読んだ方で「ここが知りたい」といった項目があれば
是非お知らせください。
その項目を優先的に筆を進めよう思ってます。
また、ただでさえ重い内容ゆえ、あまりまじめな文体だと
読み進める気持ちも重くなるかと思います。
意図的に軽快で読みやすい文体を心がけますが
逆に「重要な内容なのにけしからん」と思われる方もいるかもしれません。そんなときはお気軽にご指摘ください。
大事なのは必要な情報を受け取っていただくことなので
推敲を重ねていこうと思っております。
目次
多発性のう胞腎
20代後半に激務で上半身に痛みがあり2週間の自宅療養
病院のエコーで多発性嚢胞腎の疑いありとの見解
大学病院の精密検査で多発性嚢胞腎と診断
MRI画像で衝撃が走る
難病手当の申請
高校時代を振り返って思い当たる節
腰痛に悩まされる毎日
24時間蓄尿
治験「プロバプタン」
驚くほど赤い血尿
嚢胞の破裂
真っ赤な尿
激痛で食べられず
脇腹の痛みで横にもなれず
睡眠不足で体力消耗
2週間で体重が5キロ減
尿毒素の影響
常に動悸で日中横になっての休憩が必須
階段は1フロア途中の踊り場で休憩必須
高血圧
会議で血圧が急上昇し体が震え会話がままならなくなる
お腹の膨張
腎臓の膨張
胃の圧迫で食欲不足
満腹の前にお腹が張って食べられなくなる
体の後ろ側に余白が無いため前に出てくる
横になると背中に物があるように体が反った感覚
膀胱圧迫で頻尿
夜3時間おきにトイレ
恒常的な寝不足
クレアチニン6の重さ
コロナでリモートワークに救われる
人工透析を宣告
腎臓移植の決断
遠い手術予定日
心臓が止まる前の保険としてのシャント手術
病院を移動
人工透析
手術前の人工透析
血管から血液流出で腕が紫色に
腎臓移植
母の腎臓を受け取ることに
家族会議
全身麻酔との向き合い方
手術直後のモルヒネで嘔吐頻発
唾を飲み込むと吐き気
術後の経過
手術翌日からウォーキング開始
脇腹から下腹部に25cm程度の傷跡
大きなホチキスのような金具が線路のように
ズボンのベルトあたりがどうしても痛む
1ヶ月ほどで痛みはほとんどなくなった
シャントは手術の最中に閉塞
高血圧
一時的に180まで上がる
大量の薬
幸い薬による体調不良は無し
目が飛び出るほどの金額
更生医療の莫大な補助
生まれ変わったような感覚
動悸無し
階段を駆け登れる
とはいえ健常者ほどの肺活量ではない
腹の圧迫無し
残った腎臓は1年くらいかけて徐々に縮小
食事をしてもお腹がダイレクトに出ない
頻尿無し
横になった際の背中の圧迫無し
快眠
シックスパック
障害者手帳
想像以上に恩恵が大きい
都営交通無料
バス・地下鉄
介護者同伴でJR半額
市によるタクシー代補助
介護者同伴でエンタメ関連代金補助
映画館
美術館
ジョイポリス
以上