Deeper Learning Japan 2024:美しい作品が紡ぐ学びの深化と人格の陶冶
はじめに
こんにちは、たかゆきです。先日、東京で開催された「Deeper Learning Japan 2024」に参加してきました。2日間にわたるこの研修は、「美しい作品〜Beautiful work〜」をテーマに、深い学びの実現を目指す教育者たちが集う場でした。今回は、この貴重な経験から得た学びと気づきを共有したいと思います。
Day 1:美しい作品の本質を探る
初日は、教育者ロン・バーガー氏による基調講演から始まりました。ロン先生は学力を構成する三つの要素として、知識とスキルの習得、人格、そして質の高い作品を挙げます。特に印象的だったのは、日本社会では美しい仕事へのこだわりが評価される一方で、それが学校教育と接続されていない(disconnect)という指摘です。
小さな村での教育経験を持つロン先生は、教え子たちが地域社会で活躍する姿を通じて、教育の成果を実感できると語りました。私たちの社会は、規模が大きくなりすぎて個人の貢献が見えにくくなっているのではないでしょうか。
午後のセッションでは、フランス出身のアーティスト、シャーロット・スザンヌ・トゥルネ氏とDJみどりによる書道コラボレーションを体験しました。この創作プロセスを通じて、「美しい作品」とは何かを体感的に学ぶことができました。初めはゆったりとリラックスした雰囲気から書道のセッションが始まったのですが、後でMCの2人から指摘を受けてびっくりしたことに(全然気がつかなかった)、次第に参加者たちは皆自分の創作へと没入していき、しーんと静まり返っていた時間があったそうです。
ロン先生は美しい仕事には何度も何度もドラフトを書き直す試行錯誤が必要であることを指摘していますが、なるほど確かに書道の時間において私たちはいつもリビジョンを繰り返していますよね。
学びの共同体と批評の重要性
効果的な学習者共同体を構築するヒントとして、「作品をストロングにさせているもの」について考える批評というアプローチが印象に残りました。これは(後藤健夫さんから教えて頂いて、僕が座右に置いている)「評価とは学習者を励ますことだ」という評価観とも整合性があり、非常に興味深いものでした。
批評って粗探しになってしまいがちです。そうするとすごく張り詰めたしんどい時間になってしまうし、評価者と学習者を分断してしまう。カンファレンスとかピアレビューというものが苦しくなるんですね。だから、そうではない肯定的な(しかしお飾りではない)フィードバックの方法論として、ストロングポイントを考えて、それを転移可能なものにするやり方はすごく参考になりました(ストロング、という表現も実践の重なりを感じます。それは洗練や見栄えとも異なるものであるはずです。ある参加者は作品が見る人に訴えるものがある、ということではないかという仮説を示してくれました。)
また、模倣の重要性についても新たな視点を得ました。模倣は単なるコピーではなく、原作品の作者をヒーローとし、そこから学び、自分の作品に取り込むプロセスなのだと理解しました。インスパイアされることをもっと肯定し楽しむことができるようになると、Putnamが「広汎性の返礼」と呼ぶ、短期的な見返りを求めない貢献が生じる関係性へと形成していけるのではないかと思いました。
Day 2:実践とリフレクション
2日目は、前日の学びを活かして自分たちの作品を展示するという実践的なセッションでした。私の作品は「決断・渦巻・心」をテーマにしました。作品を展示することがこんなに即興的で創造的なプロセスだとは思ってもみませんでした。写真を見てもらった方が早いけれど、私たちのチームは白と黒のコントラストを表した背景にそれぞれの「夢」という漢字のモチーフにした書道の作品を展示することにしました。会場となっているUoCのマンダラというスペースの中の、焚き火をしたくなるようなくぼみをチームの展示場に選び、椅子を組み合わせたオブジェの上に白い大きな布を無造作に敷いて、半紙やクラフト紙をちぎって投げたり、発想と表現をお互いに繰り出しながら短時間に模索のサイクルを回すのはすごくわくわくしました。参加者たちはみな思い思いの展示をしていて、アイテムの意外な組み合わせやイメージの重ね合わせが独創的で、新たな気づきを得られました。
(UoCのホームページの3Dモデルで茶色いマンダラ・スペースのくぼみを確認できる。二つあるが僕たちが陣取ったのは図上ではテントで覆われている方。テントの白い布が一枚残して畳まれていたので、田村さんに相談してお借りした。)
この日の経験を通じて、ファシリテーターの役割の重要性を再認識しました。MCのお二人・かなさんとともたけさんの、オープンで親密な伴走のあり方は、本当にちょっとうっとりするくらい安心したし励まされました。ロン先生の「名人」としての立ち振る舞い、選ばれた言葉や声の温度、身振りや目配せの投げかけ方には、多くの暗黙知が含まれていました。
また、学習環境としての学習者自身の「心」の重要性も強く感じました。人間関係に苦労していることもあるし、何か別の文脈の課題や仕事の締め切りが迫っていることもある。そうしたレディネスが整っていない状態における仲間や教員がケアできる仕組みの必要性を痛感しました。短時間であっても、新しい仲間と信頼関係を構築し、協働に向かうことができた経験は、大きな勇気をくれました。
学びのオーナーシップと自己省察の重要性
ロン先生が紹介した生徒主導の三者面談の実践は、学びのオーナーシップについて深く考えさせられるものでした。生徒自身が自分の学びへの取り組みを語る時間を持つことは重要です。
この取り組みは、単なる成績報告の場ではなく、生徒が自身の学習プロセスを振り返り、次の目標を設定する貴重な機会となります。教師や保護者は生徒の語りに耳を傾けて受容に徹することで生徒の自己省察を促進します。
一方で、批評の難しさについても考えさせられました。往々にして批評は粗探しになりがちです。ショーンは「専門家の知恵」において、芸術家が作品を批評するときに「なじまない」「そぐわない」違和感についてはすぐに気づくのに「良さ」を直接に明示的に説明できないことがあるというパラドックスを指摘しています。だから誰かにアドバイスをしようとしてもどのようにダメであるかをあげつらう形になってしまいやすいのです(批評が具体的であるべきだという方針はまず一回り改善させるように意識を誘導するねらいがあるのかもしれません)。建設的な批評は生徒の自己省察を支援するものでなければなりません。でなければ知らず知らずのうちにガスライティング(心理的虐待)になってしまう危険性があります。
どうやって生徒の自己省察を促し、学びのオーナーシップを育むような環境を作り出すか? それは生徒の声に真摯に耳を傾け、彼らの思考プロセスを尊重することからしか始まらないことは確かです。
「美しい作品/仕事」の多義性
参加者たちとのインフォーマルな対話の中で、「WORK」という言葉の多義性について考える機会も得ました。これは個人と社会、自己と他者の繋ぎ目や出会いの場を表現しているように感じました。小さな作品でも美しさを込めること、関わるすべての人を大切にすることの重要性を再確認できました。
学びを未来へつなぐ
この2日間で得た学びと気づきは、あるいはわくわくと戸惑いは、私のこれからのチャレンジに大きな影響を与えることになると思います。美しい作品づくりを通じて、生徒たちの深い学びと人格形成を支援したいと思います。
Deeper Learning Japanは、来年も開催される予定です。教育に携わる方々はもちろん、学びに興味のある全ての方にお勧めしたいイベントです。私たち一人一人が「美しい作品」を追求することで、教育の質を高め、信頼に満ちた人間関係が広がり、より良い社会づくりにつながると信じています。
最後に読者の皆さんに問いかけたいと思います。あなたにとっての「美しい作品」とは何でしょうか。どういう作品や仕事に触れたとき美しいと感じますか。あるいは、あなたが、日々の取り組みにおいて顧客から要求されていないのにごまかせずにこだわっている美はなんでしょうか。共に考え、実践する仲間が増えることを願っています。