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「みんな生きている~二つ目の誕生日~」感想

絶賛公開中の映画「みんな生きている~二つ目の誕生日~」

主演の樋口大悟さんとは、死生学カフェで出会った。
大悟さんは、白血病サバイバーである。カフェでは彼の口から、闘病体験を聞いた。私は恥ずかしながらものを知らないタイプであるから、病気について、そして白血病と戦うことについて、初めて知ることも多かった。
そんな学びを多く下さった大悟さんが映画を作ったというのだから、二つ返事で行くことを決めた。

あらすじ
桧山大介は空手の講師をしながら、競技者としても活躍する青年。ある日、白血病を発症し、長い闘病生活が始まることになるのだった。
「助かるためには骨髄移植しかありません」
骨髄移植を行うためには自分の持つ白血球の型と一致するドナーを探さなければならない。ようやく見つかったドナーは新潟県糸魚川市に住む女性、桜井美智子だった……。
これは、桧山大介演じる樋口大悟さんの実話をもとにした物語である。

一緒に観た先輩の書いたであろうあらすじから引用(丸写し)
リンクは下記に

感想

”何故、人は他者を助けるのか”

ドナー候補となった女性が、ドナーになるか否かについて夫と共に迷うシーンで、夫に対してこんなことを言う。
”でもそんなに難しく考えたい訳ではないの”
これが個人的に最も印象的なセリフだったように思う。

偶然、どこかの白血病患者と血液型が適合して(しまい)、偶然、ドナー候補になったとしても、ドナーになるか否かは本人とその家族に委ねられている。当然リスクもある。お礼などといった形での恩恵、すなわちドナーになるメリットは無い。
顔も知らない、何をしているのかも知らない、善人なのか悪人なのか、不細工なのか美形なのか、何もわからない”誰か”を、どうして助ける必要があるのだろうか。あなたの優しさはわかるけれど、他でもない私にとって大切なあなたが、何故危険を冒してまでその”誰か”を助けなければならないのか。ドナー候補の女性に対し、彼女の夫はそんなことを言う。

彼に共感する気持ちも当然ある。しかし、人を助ける際に”しなければならないのか”などといったように、その必要性を考え始めると彼女の言う通り「難しい話」になってくる。

”何故、人は他者を助けるのか”
”何故、人は他者を助けようと思うのか”

自らの経験から、私は”他者に生かされている意識”が関係していると考えている。
人は誰もが生まれし時から決して、決して、一人では生きていくことの出来ない存在である。
両親、友人、教員、隣近所の人、時には顔も知らない無数の“誰か”に支えられ、救われ、助けられ、私たちは今この瞬間生きて立つことが出来ている。私を助けてくれたその“誰か”も、私の知らない所で無数の誰かに生かされているのだろう。不思議なことである。

これを考えた時に、私は、目の前で困っている人がいたら、“助けたい”という想いが湧き上がることは、ごく自然なことでありたい、あって欲しいと強く思う。実際にその後どう行動するかは、また別の話である。
人を助ける、という事にはリスクや面倒ごとが生じる。”何故私が”という想いが湧くことも、自然なことに違いない。しかし、人を助ける際に、その必要性を掘り下げて考えても、どうにも答えはでないように個人的には思うのだ。

物語において、彼女はこういった想いから”そんなに難しく考えたい訳ではない”と言ったのではないだろうか。目の前に辛い状況の人が現れた際に、助けたいと自ずと思うことについては、“難しく考えたい訳ではない”のだ。

この”他者に生かされているという意識”は、私もやや強く持っている。そして大悟さんは、恐らく、より強く持ってこの映画を製作したように思う。
大悟さんの想い、そして大悟さんと全国の”誰か”の命を助けてくれたドナーへ”ありがとうございます”がより多く、届いてほしいと素直に思う。

・ラストシーンから

ラストシーンには、人は支えられるばかりでなく、支えることも出来るのだ、というメッセージが込められているような気がした。
当たり前のことであるが、人は誰かを時に気付かない内に、何かしらの形で支え、救い、助けているかもしれないのだ。私もそうであって欲しい。また、そうであったら嬉しく、誇らしい。
その誇らしさは、私にとっては、大きな希望に他ならず、またそれは私が堂々と生きる勇気を与えてくれているように思う。


・死すべき者として

人は皆、死すべき者である。誰にもいつか必ず”その時”は来る。また、自身の大切な人にもそれは訪れる。自らが死を目の前にした時、どうすれば何をしたら良いのだろうか。また、闘病中の人、死を前にした大切な人、死別を経験した人に対し、私たちはどのように声を掛ければ良いのだろうか。
それらを考えず、避けている間に、ある日突然”死”を目の前にする人が多くいる。物語中での大介、大介の友人、恋人は恐らくそうだったのだろう。そして、当時の彼らも。

私たちは考えるべきではないだろうか。
自分はどう死にたいのか、大切な人はどう死にたいのか、死を目の前にした人や死別を経験した人にどう声を掛けるのか………私たちは考え、そしてもっと語り合う機会を設けるべきなのではないかと思う。

考えるにあたって、知る、という事は重要なことである。死生学カフェで大悟さんの話を聞き、また映画を観たことで、知ったことが多くある。それらを基に、考えることを続けたい。

という訳で、まずは是非こちらを。

最後に、企画・原案・主演の大悟さんをはじめ、映画に携わった皆さま、一緒に映画を観た(誘ってくださった)先輩方、ありがとうございました。

あらすじを引用した(丸写しした)先輩の記事もおもしろいので是非。


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