公#7「90分間の集中した読書時間を獲得するため、そこに至るまで、7、8時間も要するのは、本末転倒って感じもしますが、この本末転倒が、つまりコスパ・タイパへのアンチパフォーマンスなのかもしれません」
「公共7」
「『鈍考』ゆっくり流れる90分」という新聞記事を読んだ。コスパ、タイパに追いまくられている都会生活に疑問を感じて、本の好きなブックディレクターのHさんが、仕事場のある東京とは別に、京都に『鈍考』という名称の私設図書館を開設した。
場所は、叡山電車の終着手前の無人駅から、徒歩10分と書いてある。叡山電車の終点は、鞍馬だったという記憶がある。が、鞍馬寺、貴船神社を訪ねたのは、もう半世紀くらい前のことなので、叡山電車は、もっと先まで路線を延長しているのかもしれない。
鞍馬寺付近だとしても、京都の市街地からは相当、離れている。叡山電車は、下鴨神社の南の出町柳からstartする。そこから鞍馬までは、たっぷり一時間くらいは、叡山電車で北上しなければいけない。
私設図書館『鈍考』のオーナーのHさんは「鈍行列車で来て下さい」と、取材をする記者にアナウンスしたらしい。東京から京都まで、鈍行列車で、どれくらい時間がかかるのか、調べてみないと解らないが、もしかしたら、丸一日、かけても到着できないかもしれない。JRは「鈍行」で長距離移動することを、推奨してない。鈍行で、終点まで行ったら、そこで、軽く3、4時間くらいの待ち合わせ時間があったりする。16、7年ほど前、バンドの(何ちゃって)全国大会で、名古屋に行った。鉄っちゃん(鉄道フリーク)のお母さんが、同行してくれていたので、彼女に時刻表を見てもらって、帰りは、鈍行列車に乗って東京に向かった。途中の静岡駅で、深夜に3時間ほどの待ち時間があった。
『鈍考』の利用時間は、一人90分。この90分を確保するために、東京から鈍行列車に乗って『鈍考』に向かうとしたら、その10倍の900分かけても、到底、到着できない。新幹線を使って、最短で行ったとしても、5時間くらいは移動時間が必要。
コスパ・タイパ至上主義的概念と照らし合わせると、途方もない時間の無駄遣いってことになる。が、まあ時には、そういう豪華な無駄遣いも必要ですと、Hさんはお考えになっているのかもしれない。
だったら、『鈍考』まで歩いて行けば、超ド級の時間の無駄遣いが、実行できる。徒歩だと、東京から(江戸からと言いたくなる)片道10日くらいはかかると想像できる。スマホがあれば、長距離であっても、道に迷う危険性は、多分、ない。
『鈍考』に置いてある蔵書は三千冊。「えっ、たった三千冊?」と、思わなくもない。私の自宅にだって、文庫本まで含めると、三千冊以上の本がある(ちなみにCDは1800枚)。三千冊は、どう考えても少ない。が、少なければ、自分が興味関心のない本にも、手を出すこともあるのかもしれない。手を出してみると、案外、面白くて、守備範囲が大きく広がることも、考えられる。私のような年寄りだと、興味関心が広がっても、今後の人生に、大きな影響を与えたりはしないが、春秋に富んだ若者の場合、新たに出会った本をきっかけにして、その後の人生が激変することも考えられる。
Hさんは「(コロナ禍が始まる少し前から)みんないきりたっているし、怒ってる。45分打ち合わせして、15分の移動時間にも連絡アプリを見ている。私にとって大事なはずの読書なのに、走り読みや斜め読みが増えて、本の大きな物語にどーんとたゆたうような体験が難しくなっていた」と、インタビューに答えている。本の大きな物語にどーんとたゆたうことができるように、『鈍考』を開設したと推定できる。が、利用時間はわずか、90分。
ウェブ予約で、一日、最大18人。一回の枠は、(集中し切った)90分で6人。関西、東京、北海道、近頃は海外客も増えていると紹介している。
まあ要するに利用客の数を、極端に少なくしていることが、希少価値を高め、話題を呼び、人気が沸騰している理由だと考えられる。
吉祥寺の小笹の羊羹(ようかん)は、一日の販売個数は300本。朝3時から人が並んでいる。一人5本まで購入可能(ほぼ全員5本購入する)。毎朝、60人並んだら、そこで締め切り。ウチの女房が、朝6時に行ったが、買えなかったと言ってた。
300本の羊羹ですらこの人気なんだから、Hさんが集めた良書に、全国津々浦々から、その18人の一人に加わろうと、ウェブ予約がスタートすると、間髪を入れず、秒でクリックしていると想像できる。
自分自身は、この私設図書館を利用するつもりはないし、読書活動啓蒙のために、尽力されているHさんに文句をつけるつもりもさらさらないが、集中しきった90分では、本の大きな物語にどーんとたゆたうことは、絶対にできない。読書は、そもそも集中しきった90分間といった気合の入った制限をつけて行うものではない。時間などは、掃いて捨てるほど有り余っていて、本で読まないと、時間の潰しようがない、たとえば、牢獄の中の独房とか、結核の隔離病棟の病室とかに閉じ込められている時に、「戦争と平和」などを、繰り返し読めば、大きな物語にどーんとたゆたう体験ができるだろうと、私は想像している。
4年前に、フルタイムの仕事をリタイアして、老後に突入した。ちょうどコロナ禍が始まったということも、影響を与えたのかもしれないが、時間の流れが、とんでもなくゆるやかになったような気がした。ヘミングウェイの「老人と海」のサンチャゴが、少年に「年寄りの睡眠が短くなるのは、老い先が少なくなったので、少しでも長く起きていたいと思うようになるからさ」と、伝える場面があるが、これは、アメリカ的なタイパ、コスパ思考だと感じる。
老人になると、夜の夢も、ゆるゆるとスローになる。起きている時の時間の流れも、自分自身の動きもスローになる。
「鈍考」を開設したHさんは、47歳。まだまだ全然、お若い。鞍馬の先にしても、貴船の手前だったとしても、洛北のこの付近は、山紫水明の地で、風光明媚な場所。山紫水明、風光明媚、Hさんがセレクトした良書、鈍行でのロハスな移動といった、ブランドを立ち上げて、それを、ウェブを利用したマーケットに出して、販売するという、新たな切り口のビジネスだと、思えなくもない。
学校の図書室の横に、ウッドデッキのスペースがある。土曜日の午後や、平日の放課後、そこに座り込むなり、寝転ぶなりして、ゆるゆる読書をすれば、武蔵野台地の片隅だって、「鈍考」は、普通にできる。
90分、60分、30分などと時間を区切って、学習効果を高めようとするのは、受験勉強方面のたとえば、スタディサプリのような教材を使って学習する時のみで、充分だと思う。