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ヒロシマ女子高生任侠史・こくどうっ!(6)

 お好み焼きはコテで食うに限る。こくどうの粋を体現した言葉である。

「もともと、戦後──原爆が落ちて更地になったころにこくどうの原型はできたんじゃ。あんなことがあった後、一番くいもんにされたのが女性での。やれいけんわ言うて、極道の真似事を始めたんがおった。それがこくどうの始めよ」

 ゆりは後輩──もっとも彼女はクラスが違うだけで同級生だが──ができたのがよっぽど嬉しかったのか、こくどうの成り立ちをコテを指示棒代わりに語った。

「極道もんより酷い道のりを辿る、言うてな。縮めて酷道(こくどう)もん。今じゃ極道より強いけえ、どっちが酷い道じゃったかわからんで」

「ゆり、コテで遊ぶなや。ふうが悪いで」

 当たり前のように、高子と御子はクレープのように生地をのばし、キャベツをそれにのせ、隣では豚バラをこんがりと焼き、焼きそばを作っている。これを合体させ、場合によっては複数階層重ねることで、広島のお好み焼きが完成するのである。

「すごいです!」

「安奈言うたの。東京はもんじゃのほうがメジャーじゃ聞いとるが、珍しいか?」

 御子は手早くおたふくの絵が描いてあるソースをかけ、マヨネーズで格子を描き、青のりをふんわり載せ、かつおぶしをこれでもかとかける。まるでグルメ番組だ。

「私、広島焼きって初めて見ました!」

一瞬、水を打ったように場が静まり返り、ソースが焦げる匂いと油が跳ねる音だけが響き渡った。

「安奈の姉ちゃん。……他ん店じゃ、そがあなことだけは言うたらいかん」

 コテでアツアツのお好み焼きを口に運びながら、高子は呆れたように言った。

「この『鯉柱』はうちのOBじゃけ、ええけども」

 祇園高校は山の上にある学校であり、坂道を降りたすぐの住宅街に紛れるようにして、お好み焼き屋『鯉柱』は存在する。
 糸目の店長さんが鉄板で作るお好み焼きにはファンが多い。もちろん小上がり席にある鉄板では、自分で好きなスタイルのお好み焼きを楽しむことも可能である。

「……あの店長さんもこくどうなんですか?」

「店長は確か、十代くらい前幹部じゃったかの。こくどうは一部を除いたら卒業でおわりよ。ワシらも後半年もすりゃあゲームセット──ほうじゃの、御子よ?」

 水を向けられた御子は、コテを置いて神妙な面持ちでこちらを見た。

「祇園会が終わりますで」

 終わる。それまで気持ちよく喋っていたゆりまでも静かになったことから、安奈はなにか重大な局面にいるのだと思った。

「こくどうは部活の前に互助活動じゃ。つまり、助け合うメンバーがおらんとなんの意味もない。今盃をやっとるのはゆりだけ。そこから子分を増やせば何とかなるかもしれんですが」

「盃……ですか?」

「会長から盃を貰ったら、そこで正式に部員になるんじゃ」

「あの、そんなに難しいんですか、それ? とっても高い盃とか?」

 ゆりが頭を振って否定した。

「あー、違ゃうで。昔はホントに盃じゃったけど、今はホレ、アレよ。自撮りよ」

 自撮り? あのスマホで撮るやつ?

「こくどうは極道もんと違ってな、仲良うなるのも嫌いになるのも早いんよ。そんなんで面倒くさい盃事やらなんやらやっとくのたいぎいけ、プリあるじゃろ?アレができた頃から、姉妹撮り言うて、盃交わす代わりに写真撮るようになったんよ。SNSに投稿すりゃ、あっという間に広がるし、便利なんじゃ」

 何が便利なのか全くわからなかったが、安奈はなるほど、と相づちを打ち、お好み焼きを口へ運んだ。キャベツがふわふわしていて、ソースの風味が絡んでおいしい。

「たちまち、協会に祇園会を復活させるように働きかけンとな」

 コーラでお好み焼きを流し込みながら、高子は一息ついた。

「姉貴、今の祇園会は──」

「知っとるよ。なんじゃ天神会のちんぴらが代行しとるんじゃろ。……全部知っとる」

 それ以上何も言うな、と物語るように、高子は目を伏せた。

「行く道行くにも、ちいと段取りを組まにゃやれんで。……まずは、相談役を引っ張り出さんとのう」

「安東を? あのセンセはこっちの味方にはならんですよ」

 ゆりが嫌悪感を剥き出しにして言った。

「あんなあは病気じゃ。姉貴がおった時もあったでしょうが。今は祇園会の下っ端がおらんけえ、長楽寺の妹を……」

 高子はコーラをあおるのを止め、身体を乗り出してゆりに顔を近づけた。

「……長楽寺言うんは、アレか。代行しとるっちゅう」

「あの……さっき、御子さんともめてた方はゆみさんでしたよね。妹っていうのは」

 その場に居合わせた負い目と、この場にもどこか馴染めていない引け目から、安奈はおずおずと話を合わせた。

「ほうよ。長楽寺悠。あんなあは妹。背は逆じゃが」

「なるほど、のう。……ほしたら、やりようはあろうで」

「やりようはええですが姉貴。安奈はどがあに扱うんです? 東京もんの素人じゃ。まさか盃やるわけにもいかんし……今日の今日でそがあに言われても、わからんじゃろ? 自分も」

 そう言われてみて初めて、安奈はこの中にいる自分を認識した。
 正直、言っていることはほとんど理解できていない。盃の意味もよく分かっていない。
 ただ安奈は、仲間外れになるのだけが恐ろしかった。鉄板の上に置かれた不格好なお好み焼きのかけらが、横で焦げてへばりついている。
 まるでそれが自分のように感じて恐ろしかった。

「高子さん。わたし、よくわかってないですけど……みなさんの仲間にしてもらえませんか?」

「そらええわ。ほんなら、この沼田ゆりの妹に……」

 ゆりがない胸を張って立候補したが、誰あろう高子がそれを遮った。

「……誘ったのはわしじゃが、安奈。こくどうっちゅんは、甘うないで」

 残りのお好み焼きをかりかりとコテですくって、高子はまとめて口の中に放り込んだ。

「バカでなれず利口でなれず、中途半端で尚なれず──ちゅうてのう。ええか、安奈。わしらは仲良しこよしの部活動とは違うんよ。すぐに盃やって終わりちゅうんものう」

 御子もそれに同意するように頷いた。

「わしゃ、姉貴に従いますで。……じゃが、素人さんにはちいと毒じゃと思いますが」

「それよ。……安奈、東京の一般常識からいや、わしらはわやするで。ほいで、それを見るからには合わんからハイさよならちゅうわけにもいかん。お前の人生が狂うかも知らんで。それでもええなら──」

「それでも」

 安奈は思わず、高子の声を遮っていた。彼女の脳裏には、東京に住んでいたときの光景が広がっていた。夕陽の差す寒々しいダイニング。冷蔵庫を開けると冷たい惣菜が入っていて、それをチンして一人で食べるのだ。
 安奈は母親が出ていってからずっとそうしてきた。高校2年生には、長過ぎる期間を。
 本気でものを言い合える友人は、東京ではとうとう得られなかった。
 こうして友達と一緒に温かいご飯を食べること自体、高校に上がって初めてのことだったのだ。

「わたし、皆さんと一緒にご飯が食べられれば、なんでもいいんです」

「変なやつじゃの」

 ゆりが指についたソースを舐めながら言った。

「変ですか?」

「……ええんじゃないんか。わしも、安佐会長にメシを奢ってもらって、この世界に入ったんじゃ。同じ会のこくどうは家族じゃけえ、当たり前のことじゃしのう」

 高子の言葉に、御子は頷く。家族。父親との生活、これまでの人生には実感がなかった概念だった。
 安奈は焦げたお好み焼きのかけらもコテでまとめて、口へ運んだ。がりがりと硬い音がしたが、お茶で無理やり飲み下した。

続く

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