ディープリー・イン・ラブ・アンド・ウェルダン(上)
『実際安い』のネオンサインがバチバチと明滅するのをユキ・エモリは見上げていた。視界をサークル状になって重酸性雨が落ち、ユキの顔と身体を濡らす。
PVC製コートは今や剥ぎ取られ、眼の前にいる強盗と思わしき男達のナイフが、割れた分厚いメガネのレンズの先で、現実感なく刃を光らせた。
今日はユキが好んでいるカトゥーン雑誌の新刊の発売日であった。サムライ探偵サイゴの最新シーズンのことは分からず仕舞いだ。
「ろくなもん持ってねえ」
ユキの財布を放り投げ、なけなしの万札を取り上げながら男の一人が言った。働いているコケシ溶接工場の帰りに、急いでいたとはいえ若い女一人でノコノコやってくる場所ではなかった。自らのウカツを省みる暇など、マッポーのネオサイタマには存在しない。
「シロウ=サン、ドウスンノ?」
「決まってんジャン」
シロウと呼ばれたアンタイ・ブディストらしき男は、吊られたブッタの刻印が刻まれたナイフをネオンの光にかざしながら、それを覗き込んでいた。
「ファック・アンド・サヨナラ。それともサ、逆でもいいよオレ。進行形は結構ハマるぜ」
おお、ブッタよ寝ているのですか!? 暴力を振るわれ意識のピントが合わないユキですら、自らの生命の危機が迫っていることはなんとなく理解できた。
「ということでサ。お姉ちゃん、人生長く行こうよ。オレはどっちでもいいんだけどサ。大人しくしてりゃあ三回戦分くらいは寿命が延びるんじゃないの?」
シロウはそう言ってユキの襟を掴んだ。上着は新聞紙を割くように簡単に破れ、同時に彼女は絹を裂くような悲鳴を挙げた!
「アレーッ!」
「ヨイデワ・ナイカ!」
下卑た古典的セクシャルチャントをわざとらしく嘯きながら、シロウ達ヨタモノ三人は酒池肉林の宴へ突入しようとしていた。供物はユキただ一人だ。おお、ブッタよ、まだ寝ているのですか!? いかなマッポーの世に油断していたユキとはいえ、このようなことをされるいわれなどない!
しかしこのネオサイタマにおいて、降り注ぐ重酸性雨と弾けるネオンサイン──暗黒メガコーポによる欺瞞的広告音声に紛れ、ユキの叫びは溶けていくばかりだ。
殺される。
思えば、何も良いことがない人生であった。ハイスクールではカーストは最下位同然。サムライ探偵サイゴのウスイホン──つまるところの性的ファンジンで、サイゴとクロコのカップリングばかり書いて青春を消化した。それは彼女なりの幸せの形ではあったが、背も低く猫背気味で、ダサいメガネをかけたナードの彼女をだれも省みなかった。
卒業しても就職先はろくでもない会社しかなかった。コケシ溶接工場でひたすら鉄製コケシの頭と胴をくっつける。最初はそれなりに楽しかった覚えもあるが、3ヶ月も経つと飽きてきて、サイゴとクロコの唇を溶接する妄想をしながら耐えていたが、それもまた長くは続かなかった。
何もない人生だった。せめて昔のようにウスイホンを書くことを再開したかったが、生きることで手一杯の彼女にそんな余裕はなかったのだ。
そして、今そんな人生が終わろうとしている。安い下着を剥ぎ取られ、口に出すのもおぞましいような行為でファックされ、道端のゴミのように放置されるのだ。
彼女の視界の端に、溶接時の青い光が通り抜けていった。実際それは通りを横切ったバイオネズミの目の光であったが、彼女にとってはそれ以上のものに感じた。
せめてサイゴとクロコの本をもう一冊でも出せばよかった。妄想でも何でも構わない。なんだったらモブとクロコの絡みでもいい。
この頭の中にあったものを外に取り出して、この世界に溶接してやる。生きていた証を消えないように結びつけてやるのだ。
「そろそろ叫べよ姉ちゃん! オレは女が死ぬ前にキリキリ叫ぶのが興奮するんだ!!」
ハイスクール時代のジョックのカマヤツに似ているパンクスが叫ぶ。
ユキは自然に──そう、まるで促されるように叫んでいた。
「イヤーッ!!」
「ハハハーッ! 良い叫び声……」
シロウはさぞ喜んでいるだろうと仲間を省みたが、そこには予想しうる表情が──いや、顔がなかった。
表情ないのではない。
首から上がもはや存在しないのだ。
「エッ?」
シロウは思わず漏らした。
「ナンデ??」
もう一人の仲間がさらに後ろを見てぽかんと指を指した。
そこには、輪切りにされたバイオパインの上部めいて、ジョックの顔がコンクリートに縫い付けられていた。真ん中に突き刺さるは、十字形の鉄製武具──日本人ならよく知るそれの名前はそう、「スリケン?」
「スリケンナンデ??」
男共が顔を見合わせると同時に、アメリカンクラッカーめいて衝突!
「イヤーッ!」
「「アバーッ!!」」
まるで情熱的なキスのようにシロウと仲間の男は前歯粉砕!
「ドーモ」
ユキは──『ユキだったもの』は、まるで鼻持ちならぬ愛玩動物をなだめるように、愛情と殺意を等分に表現しながらアイサツした。
「ロイヤルウェルダーです」
その女の口元には、シロウが裂いて蹂躙したPVCコートが巻き付けられていた。透明度はもはやなく、濁った白いマフラーにも見える。
「「ニンジャナンデ!?」」
シロウ達はしめやかに失禁。日本人のDNAに刻み込まれたニンジャ──太古の昔から存在する半神的存在に対する恐怖は、モータルには耐えられないのだ!
「よくもおもちゃにしようとしてくれたな」
先ほど殺したカマヤツ──もちろんニンジャになる前の高校時代のことだ──とその取り巻きから受けた仕打ちが蘇る。
「たふけて……」
シロウが涙ながらに懇願する。かつての自分も、カマヤツのステディたるクイーンビーに目をつけられ、そのように懇願してドゲザしたことがある。
今は違う。
わたしはドゲザさせていい存在になったのだ。かつて自分をおもちゃのように扱った人間を、おもちゃにしていい存在になったのだ!
「キスしろ」
「ファッ!?」
「わたしにじゃない。仲間に。舌入れてキスしろ」
失禁しながらするシロウ達のキスは、なんともブザマだった。愉快を通り越して不愉快だった。ニンジャとなったユキは──いや、ロイヤルウェルダーは内なるソウルの声を聞いた気がした。
情熱的とは、もっと激しいものだ。熱く、長く──もっと接すべきなのだ。
「イヤーッ!」
ロイヤルウェルダーが決断的に縦にチョップ! するといかなる事象か、通過した地点で接していた肉の端が青白く発光し、一瞬でシロウ達の唇が溶接されたのだ。
「汚い! やっぱ死ね!!」
今度はロイヤルウェルダーが決断的に横にチョップ! するといかなる事象か、彼女の指先が青白く発光し、シロウ達の首が同時に切断され上空に八の字を描いて発射される。
残された抱き合ったままの胴体──その首の切断面はきれいに焦熱され、まるでそういうマネキンのようになっていた。
ロイヤルウェルダーは──ユキはしばらくそれを呆然と見ていたが、やがてその場を離れた。そうだ。やることはたくさんある。
わたしは妄想を現実にする力を手に入れたのだ。ユキは雑誌を踏みつけて地面を蹴り、重酸性雨を縫ってビルとビルの間の闇へと抜けていった。
続く