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ヒロシマ女子高生任侠史・こくどうっ!(33)

 荒いアスファルトがスニーカーの底と擦れて、じゃりじゃりと音を鳴らす。ヒロシマ中央総合病院裏手、その駐車場。太陽は既に沈み、西の空は青く燃えている。

 そう長くない先に、二人のうちどちらかが燃え尽きるだろう。それでいい。

 高子は大竹に向き直る。沈みかけた夕陽の光が、彼女の握った刃を照らした。


「日輪さん……あんたが死ねば、うちは会長に褒めてもらえる。役に立てる──」


「ようけ吠えよるで。ご主人様にそがあに撫でてもらいたいか」


 顔のそばに刃を近づけて、大竹はそこに自らの顔を映した。そうだとも。白島のために、数多くの人を殺めてきた。彼女に認められたい──それだけのために。

 お互いの刃が音もなく弧を描く。その戦いは、沈む夕陽と同じく、静かに──音もなく始まった。ふたりのこくどうの刃が交錯し、金属音と共に火花を散らす。


「死ねや、日輪ァァァッ!」


 鋭く何度も突き出される刃を、高子はいなすように滑らせて避ける。大竹はそれを読んだか、手首を返してナイフを掬い上げた。

 高子の握っていた長ドスが手から無理やり離される。その力強さに、高子は一瞬寒気を覚える。ナイフ捌きもさることながら、予想以上に力が強い。

 しかしそのままやられっぱなしではない。下から放たれたナイフの突きを、手首ごと払う。刃が通り抜けたのに合わせ、膝を合わせた。

 くしゃ、と大竹の顔にしたたかに膝がめり込む。ナイフが落ちて転がるが、のけぞる彼女は倒れない。ぐいと上半身を起こし、見えた顔は、血まみれの笑顔。

 腹筋のバネを使って、弾丸の如く放たれた頭突きが、高子の顔に叩き込まれる。文字通り頭が割れそうな衝撃──並の根性ではない。

 お互いたたらを踏んで、数歩下がる。

 先に動いたのは大竹だった。そばに駐車してあった軽自動車のドアに指をかけ、力まかせに引っ張ったのだ。メキ、とフレームが歪み、やがて耐えきれなくなった車はドアをその体から離した。

 彼女はまるでそれを盾のように構え、咆哮と共に突進を始めた。重戦車の如く迫るそれに、高子は面食らい、前に両手を突き出して受け止める。

 猛進する牛か猪──いや暴走トラック! 靴底がヤスリにおろされたように削れ、焦げた匂いが鼻を突く。大竹は構えた盾を一瞬引いて突き出し、高子を吹き飛ばした。

 こくどうの根性が実現したシールドバッシュだ!

 脳を揺らすような衝撃に、高子は吹っ飛ばされ地面に転がる。視界が揺れ、とにかく立ち上がろうと手をつくが、大竹はそれを見逃さない。

 盾の重さで叩き潰さんと、ズカズカ歩みを進め、高子の足めがけて盾を振り下ろす!

 衝撃の大きさが口をついて出る。痛い。こんなものを何度も受ければ足が千切れかねない!

 今度は足を断ち切らんと、大竹が盾を再び持ち上げる。その隙を突いて、高子は盾に足をかけて無理矢理体を滑らせる。何もない地面にぶつけた結果、盾代わりのドアの底はひしゃげた。痛みをこらえて立ち上がる。高子はサイドガラスに映る大竹めがけ、右ストレートを放った。

 ガラスが砕け、血まみれの拳が大竹の頬にめり込む!

 それほどの衝撃を受けても、大竹は血を流しながらにやりと笑う。こんなものか。言葉にせずとも意志は伝播する。

 じゃり、とスニーカーが地面を捉え、大竹はその体勢を崩さない。盾を下からけりあげて、貫通した高子の拳を、刃と化した割れたガラスで苛む!

 引っ込めた拳はまさに血だるまだ。高子の脳裏に浮かんだのは、意外にも安奈や御子、ゆりではなく──撮影会の直前に会った時の白島の、どこか侮りの混じったような笑顔だった。

 そうだとも。あの超然とした顔に、この血まみれの手を、拳を叩き込んでやるのだ。あのいけすかない聖人ぶった顔を歪ませてやる。それが復讐なのだ

 盾に拳を突き立てる。

 音と共に血が打ち込まれ、潰れたトマトのように広がる。それでも高子はやめない。何度も、何度も。


「盾のい、意味知らんのか、ボケェ!」


 大竹が叫び、敵の血で染まる盾を一瞬引いて、再びシールドバッシュで高子を吹き飛ばさんと押し出した。

 それが狙いだった。


「おう、知らんわい! そがあな鉄くずなんぞよォ!」


 バッシュに合わせ、高子はその血まみれの拳を、渾身の力で放った。樹脂製のドアの内装は衝撃に耐えられず、砕け、くの字へ曲がっていく。

 これでは耐えられない。

 大竹はすかさず盾から手を離し、地面に転がっていたナイフを見つけて拾い上げる。この根性は認めざるを得ない。

 しかし、いかに根性があろうとこくどうは血が流れる人間だ。刺せば苦しむ。いずれ死ぬ。大竹はナイフで空を裂き、袈裟懸けに斬りかかる。高子はそれを見越して左腕を立て、彼女の刃を止める。

 がら空きになった腹に、渾身の拳を叩き込む。今度は大竹の体がくの字に折れ曲がり、一瞬宙へ浮いた。

 たたらを踏んで後退する大竹を、高子は逃さぬように肩を掴み、今度は頭突きを繰り出し頭に叩きつけた。視界に星がちらつき、間を置かず頬の傷に激痛が走り、大竹の体が地面に転がっていく。


「立たんかい、コラァ!」


 荒い息の中に混じる血の痰、そして奥歯のかけらが、高子の消耗を物語っていた。

 大竹の手は、ナイフを握りしめたままだ。蹲ってなお、手をつき立ち上がろうとしている。


「ま、負けん……うち、負けられん……!」


 ずず、と這いつくばるように、彼女は顔を上げた。そこに突き刺さる高子のスニーカーのつま先。お好み焼きをひっくり返すように裏返る大竹の体が、血のアーチを作る。


「ボケ! ワシも負けられんわい! 白島のカスにナメられたまま死ねるかいや!」


「誰が……誰がカスじゃ、コラァ!」


 どこに力が残っていたのか、大竹は怒りのまま立ち上がり、ナイフを突く。払う。しかしそのスピードはすっかり衰えてしまっている。それでも、同じく消耗している高子には十分過ぎる脅威だ。

 右手から放たれたナイフの突き──高子はそれを避けようとせず、左脇に取って固め、膝蹴りを繰り出し刃を落とさせる。

 アスファルトにからからと音を残して転がり、再び虚しい響きがあたりに散らばった。


「おう、大竹ェ……ワレ、白島の犬の癖に、ようやるやんけ」


「謝れ……会長に……!」


 大竹が唸るように、まさに血を吐くが如く吠えた。顔もまともにあげられない彼女を、今度は首を脇に固める。


「お前だ、けは……ウチ、は……絶、対に……」


「嫌いじゃなあで、ワレみたいなこくどうはのう……」


 大竹は思わず寒気──自らを苛む死の気配、即ち高子の放った殺気を感じ取り、高子の腹に左拳を叩き込む。何度も、何度も。

 ことここの場面まで来ては、持っている根性の差は歴然としていた。高子はそれを憐れむように笑い、彼女を振り回すようにしてから離した。


「来いや、大竹ェ! 野良犬らしゅうえっと噛み付いて来いや!」


 ふらふらと立っているのがやっとのはずの大竹の目に、執念の炎が、憎悪の光が再び宿る。


「黙れ、日輪ァァァ!」


 挑発に応えるように、ふたりのこくどうは力の限りを尽くして右拳を放つ!

 高子の右拳が、大竹より早く彼女の鼻を潰すようにめり込む。彼女の体が浮かんで、駐車してある誰かの車に突き刺さった。

 まるで決着のゴングを鳴らすように、盗難防止装置のアラームがけたたましく鳴る。

 高子は息を整えながら、転がっていたナイフを拾う。こいつは白島の犬だ。殺さねば。

しかし──近づきながら、高子の脳は冷静になっていく。大竹が倒していた連中は、天神会本家──白島か世羅によるものだろう。なら、なぜ大竹と戦っていた。共闘でもしていないとおかしいではないか。

 そうしなかった理由は一つ。大竹は白島の命と共に、紙屋連合の誰かからけしかけられた。


「大竹。わりゃあ、もうこくどうとしちゃ終いじゃ。誰かにけしかけられた、言うんはわかっとる。……まあけしかけたヤツもたちまち想像はつくけどのう」


 ナイフの刃で、大竹の頬にピタピタと触れる。呼吸は弱い。全身の骨が折れていてもおかしくない中で根性が切れれば、命の終わりも近いだろう。

 高子は画面がひび割れたスマホを右手に持ってカメラを向け、彼女に尋ねた。


「コラ。ワレをこの日輪高子にけしかけたんは誰な。うたえや」


「そ、れは……」


「誰な」


 一瞬の出来事だった。大竹はナイフを高子の左手ごと掴み、自ら心臓に突き立てたのだ。溢れてゆく血、苦悶の声──そして笑み。


「大竹! ワレ、逃げるんか! よう言わんかい!」


 敵の声など、もはや大竹には聞こえていなかった。誰がそんなことを言うものか。宇品の姉妹の足をひっぱるわけにはいかないし──何より白島会長に申し訳が立たない。

 あの日、あの暖かい手を差し伸べてくれたあの人のためなら、その程度容易い。

自ら命を絶つ事に、これっぽっちも後悔はない。いつでも姉妹《うじな》がいて──親《はくしま》がいた。彼女らのためなら、何も怖くはない。あの暖かさのために、喜んで全てを抱いて死んでやる。


「うち……幸せ、もんよ、ひの、わ」


 大竹は笑う。かつてこの世こそ地獄と、存在をもって教え込まれた日々からの脱出を喜ぶように。

 高子にはそれがわからない。スマホをしまい、ナイフを抜く。血が溢れ、大竹から力が抜けてゆく。


「あんたは、どう……?」


 困惑する他なかった。幸せそうに息を引き取る大竹を前に、血染めのこくどうが一人立ち尽くす。同じく、血を出し尽くしたような夕陽が、夜へと変わっていく。


「そがあなもん……」


 言葉を探そうとして、高子は唇を動かそうとする。頬の傷がびりりと痛み、その思考を遮った。


「ワシにはよう分からんわ……」


 ナイフの先から血が垂れて、雫となって落ちていく。やがてそれはアスファルトに弾け、消えていった。




 ほぼ同時刻。

 ヒロシマ市内、本通りアーケード内呉服店『きものおおすぎ』にて。

 世羅が駆けつけた時には、全てが終わっていた。せらふじ会の子分から、本通りに銃を持ったこくどうが侵入したと聞き、小網会からも人員を集めて急行したが、それは無駄足に終わった。


「遅かったのね、伊織ちゃん」


 ご無事でしたか、というのが野暮と感じられるほど、彼女は平然としていた。

 紺の無地の小袖──夜空の如きシンプルなそれに、天神会に代々伝わる金糸入りの帯。境目には白地の帯揚げが覗く。帯締めもやはり紺。帯の中央には元町天神会の紋が帯留めとして静かに輝いている。

 着物姿だ。

 白島がなぜ着物を着ているのか──それには、こくどうの行事について語る必要がある。

こくどうの世界には『事始め』という習わしがある。これは十二月十三日に芸舞妓が師匠に対し挨拶をして、正月の準備を始めることから来ており、冬休みに入る前にこくどうとしての活動を区切り、一年の総括を行うというものだ。

 ただ、戦後から続く名門である天神会にとっては違った意味を持つ。

 それは、天神会の権威を示すため、友好団体を招待した上でその勢力を誇示することにある。原爆投下後、倒壊したヒロシマ城の再建に、当時の天神会が関わったのはとみに有名であり、事始めの日は本丸全体を貸し切って開催するのが毎年恒例になっているのだ。

 歴代の天神会会長は、都度着物を仕立て、受け継がれてきた帯、帯留め、そして、スカジャンを身に着け事始めの会場でお披露目を行う。

 もちろん、スカジャンの刺繍も歴代会長がそれぞれ決めてきたものを縫い直す気合の入り用だ。天神会が実施する最大級のイベントといって差し支えない。

 その事始めを二週間前に控えた白島は、おろしたての衣装合わせにこのきものおおすぎに足を運んでいたのだ。

 とはいえ、いかに白島といえど今回の襲撃には面食らった。確かにこの呉服店は天神会お抱えではあるが、紙屋連合の連中が、日輪へ鉄砲玉を送ってほぼ同時にこちらにも送ってくるとは。

 送られてくる刺客にのほほんと構えていられるほど、白島は自惚れていない。情報を得た彼女は店主を避難させ、武装していた数名のボディガードを配置し、飛び込んできた刺客に容赦なく銃弾を浴びせて挽き肉に変えてやった。


「私も舐められたものね。たかだか三人の鉄砲玉で殺れると思ったのかしら」


 少なくとも天神会本家や直系の人間ではなかった。練度は高かったので、恐らくかつてはそれなりに名があるこくどう団体の人間だったのだろう。紙屋連合の下部組織も、なかなかに層が厚い。

 白島は血の池を跨ぎ、平然と帯を解き、まだ無事な畳の上で着替え始めた。


「言いにくいのですが、病院への襲撃《カチコミ》は……」


「失敗したのね」


 世羅は神妙に頷いて肯定した。一瞬の逡巡に、着替えの手を止め──白島は何事もなかったかのように再開し始めた。


「同じ女の子とはいえ、着替えを見られるのは気分がいいものじゃないわね」


「……失礼しました」


 世羅は他のこくどう達を連れ、外へと出てゆく。一人残された白島は、白い肩に手を添え、金糸の如き髪を払う。

 急な喪失感が彼女をふと襲う。

 大竹は死んだ。日輪高子がSNS《サンメン》に流した動画が、トピックとなってヒロシマを席巻していた。大勢いる子分孫分達の一人──大竹の死をそう断じて切り捨てるには、彼女は失いすぎていた。

 日輪はまた自分に犠牲を払わせた。彼女は名を残すだけのこくどうになったが、それをお膳立てしたのは自分だ。潰す機会はいくらでもあった。それを無視したのも自分だ。

 屋台骨を賭けてでも日輪高子を潰してやると啖呵を切った以上、潰すか潰されるまではこの戦いは終わらない。

 そして、今年も事始めが来る。事始めでのお披露目が終われば、天神会においては数十年ぶりの『卒業後も会長を続投する』長期政権が成立する。その基盤こそが、日輪高子の死だ。

 自らの眼を、子分達を奪った宿敵を完膚なきまでに叩き潰し、逆らいようのない絶対者として神格化させるのが狙いだ。

少なくとも二週間後にはその目鼻をつけなくてはならない。今年の公式試合の日程は終了してしまっている以上、協会からのペナルティ覚悟で攻撃を続ける他あるまい。そうでなくても対外的には内部抗争なのだ。今更手段を選ぶ必要はない。

 制服を身に着けて、スカートの裾を直すのに、時間がかかる。

 仕立てた着物に問題はなかった。事始めも、抗争も──この流れは止められない。ならば流れに沿う他無い。店の外へと出ると、何事もなかったかのように、本通りアーケードの風景が目に飛び込んでくる。夜の匂い。人々の喧騒──。そして、子分達。


「伊織ちゃん。手は打ってあるの?」


 白島は世羅の顔を見るなり、そう言い放った。世羅は一瞬言い淀むが、己の意見を問われているのだとようやく思い至り、恐る恐る口を開く。


「ことこの場面に至っては、時間がありません。犠牲者のバランスシートも完全にこちらが下回っている状態です。連合の幹部を一人以上殺って──」


「殺って?」


 白島は繰り返した。その言葉に、いつものような苛烈さは含まれていなかった。先を促したのだ。


「……会長にとっては不本意ではないかと、その、思うのですが」


「良いわ。歩きながら話しましょうか。バスセンターまで行きましょう」


 白島と世羅を囲むように、子分たちが壁を作る。その歩みは遅い。どうせ迎えのリムジンが待機している。話をするには十分過ぎる時間があった。世羅は自分の心臓が大きく脈打つのを感じていた。


「……不本意かと思われますが、手打ちに持ち込むのが良いかと思います。事始めのことは、ヒロシマのこくどうなら誰だって知っています。もし何かあれば──」


「今後に差し支える」


「はい。ヒロシマ中が会長に注目される以上、事始めは万難を廃するべきかと。日輪は想像以上に厄介な敵です。紙屋連合を潰すとまで仰った以上、潰し切るのには時間が必要ですから。……それに、手打ちをした後なら、紙屋連合を懐柔する選択肢も取れます」


 世羅は既に、なぜ白島が助かったのかを推測できていた。ほかならぬ紙屋連合の誰か──それも消去法で言えば、大竹の姉妹分であった宇品が襲撃情報をリークしたのだろうと考えたのだ。せらふじ会は情報分析を得意としている。このくらいであれば容易な推理だ。


「懐柔、ね……」


「元は直系団体──それも会長のシンパだった紙屋クンの組織です。簡単に組織全員を日輪に向かせることなどできないはず。となれば、今回のことで絵を描いているのは、渡世のかけあいに来た不動院でしょう」


 つまり、不動院を殺れということだ。彼女の死が紙屋連合という組織の瓦解を呼ぶ。

 白島にとってもそれは容易に想像がついた。不動院は何かのきっかけで完全に日輪寄りになってしまっている。紙屋を謀殺したのが自分であると勘づいたから、というのももちろんあろうが、もっとそれ以前のきっかけがあったに違いない。現段階で簡単に懐柔できるようなこくどうでないことも確かだ。


「わかったわ。伊織ちゃん、あなたとさんごちゃんに任せるから、一週間以内に結果を出して頂戴。SNS《サンメン》には今日のことを強調して流させて」


「紙屋連合の動揺を誘えますね」


 日輪が大竹を含む十数名近くの刺客を返り討ちにしたのは、事実だ。しかし紙屋連合には情報操作力はない。

 噂は噂として広がるかもしれないが、このSNS時代においては情報発信力がモノを言う。事実がいくら凄くても、伝わらねばその価値はほぼ無と化す。せらふじ会は、少数精鋭ながらインフルエンサークラスの発信力を持つこくどうで構成されており、そのフォロワーにも特殊技能を持つものが多数いる。

 情報の操作と精査、発信力──せらふじ会を率いる世羅こそ、現代的なこくどうの頂点にいると評価して良い──と白島は考えている。故に、性格に問題はあるが重用しているのだ。

 バスセンターの奥にある、タクシープールを陣取るように、天神会のリムジンが停車している。白島はそれに乗り込む。


「伊織ちゃん」


「はっ」


「……正念場よ。私が残るか、日輪が残るか──あなたの進退もここにかかっているのではなくて?」


 期待をかけるような言葉に、世羅は身を硬くする。恐れ多いことだ。会長はボクに期待をかけている。ボクを見ている。今このときだけ、ボクだけを──。


「では、会長。おやすみなさいませ」


「おやすみなさい」


 走り去っていくリムジンに、世羅は頭を下げ続けていた。なんと幸せなことだろう。白島莉乃は、ボクを頼りにしてくれている。

 しかし、その期待に応えられなかったらどうだろう、ということを考えてしまう自分もいる。

 心が二つある。

 世羅は自分の中のブレを押し止めるように、子分達を解散させ、バスターミナルを後にし、タクシーを拾い──中で電話をかけた。


「会長から現在の方針で良いとお言葉があった。ボクとキミで進めてくれとのことだ」


『会長がご無事だったかどうかが先に来るもんじゃと思うとりましたがね』


 刺々しい言葉だった。

 小網はそんな言葉とは裏腹に、どこか余裕たっぷりに話を続けた。


『まあ、ええですわ。会長はご無事じゃったんでしょう?』


「ああ。全く問題なかったよ」


『ほうでしょうのう。襲撃の第一報──ワシがよお〜け伝えておきましたけん』


 引っかかりのある言葉だった。何故小網がそんな情報を?


「ちょっと待ってくれ。何故君が? 今回の襲撃、恥を忍んで言うがせらふじ会も掴んでいなかったんだ。現場も混乱してた。それなのに……」


『ワシが知っとるのはおかしい、言う事ですかいのう。ほらほうでしょう。こがあな話は蛇の道──知っとる連中から教えてもらわんと』


 まさか、と思った。しかし、考えてみれば近しい存在だ。小網は紙屋と五分の姉妹分。『その妹なら』、存在そのものが恐怖の白島にお恐れながら、と報告するより、容易であろう。


『宇品の。わりゃあ、ええ仕事したでえ。なんせ日輪のボケに見切りつけて、裏切り者の不動院にミソをつけたんじゃけえ』


 宇品の姿が、電話の先に透けて見えた。こくどうとして言えば、風上にも置けぬような行動だが──白島を救ったという一点に置いては自分以上の功績があるだろう。

 情報について世羅が先を行かれたのは、初めてのことであった。


『そういうことで若頭。宇品を通しゃあ、あんなあらの情報は筒抜けよ』


「……分かった。宇品クンがこちらの手駒になるならやりやすいのは確かだ」


『ほたら、宇品にゃじっくりと話、聞きますけん。会長からの宿題も、まあ三日の内にゃあ決着つけれるようにしますわ』


 返事も待たずに、小網は電話を切った。何故か心中をよぎったのは、焦りだった。

 会長は功績があれば、過去や出自──敵味方すら超えて引き上げる度量のあるこくどうだ。それは裏を返せば、無能をそのままにはしておかないということでもある。

 たとえ天神会という組織の長女である若頭──世羅であっても、その限りではない。

 小網は間接的とはいえ、会長への反逆を目論んだ女だ。これ以上の専横を許す訳にはいかない。自分は白島の元に居られれば何でも構わないが、会長に牙を剥きそうな人間をそのままにしていられるほど、肝は座っていない。

 いずれ排除しなければならないだろう。普通のこくどうであれば保身を考えるところだが、世羅は違う。彼女は白島のためならば、そういった保身を度外視できる。

 一度は小網の口車に乗った。それが組織の統制のために必要だと信じたからだ。

 だがそれが白島に取って代わる野心の現れだとすれば、容赦はしない。自分諸共でも排除する。となれば、引き込むべき人間がいる。筋の通ったこくどうで、小網に対抗できるかもしれない幹部──。


「長楽寺クンにコンタクトを取る必要がある、か」


 世羅はタクシーの窓の外を流れるヒロシマのギラギラとした光を横目に、スカートに指を通して折り目を正した。

 天神会の正念場は、今だ。


第三十一話 終

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