【短編小説】待ち合わせ

 “伝説の三人組バンドGVS解散! 年末ライブがラストステージ!!”
 スポーツ新聞の見出しにそのニュースが並んだ。スクランブル交差点の巨大スクリーンにおどる文字、しかし立ち止まってそれを見る若者はいない。
 ひと昔前、社会現象を引き起こし、一世を風靡した三人組のロックバンド。それがガボールスクリーンことGVSだ。しかしそれもひと昔、いや、ふた昔前のこと。今はもう当時若者だった中高年たちの記憶にしか留まっていない、忘れられたレジェンド。

 ジャーンと音が鳴った。エレキギターから最後のいち音をかき鳴らされ、ステージの真ん中でマイクを持った金髪を振り乱す男がジャンプした。彼の合図に合わせて、メンバーは楽器の余韻を消した。
この瞬間、修司たちの青春が終わった。
 この日、ギターの修司とボーカル兼ベースの雄一、そしてキーボードの美樹からなるアマチュアバンド『トライアングル』の解散ライブが行われた。とは言っても単独ライブでもなければ、対バンライブのトリでもない。悲しいかな、彼らの解散という名目ではライブの目玉にもならない。彼らではない別の人気バンドが本日のメインステージだ。
 雄一と美樹の三人で高校時代から7年間、いつかプロになるんだと夢見てここまできた。だが友人や知人しかいないスカスカな客席にまばらな拍手。それがすべてを物語っていた。
 舞台袖に引っこむと、三人は歓声を背に受けた。振り向くと次のバンドがステージに立っていた。
 修司は雄一と美樹を見た。二人も同じようにおたがいの顔を見て苦笑いした。
「こんなもんか」
 自虐的に修司が笑った。
 だから今日解散となるのだ。
「そうだな」
「最後なんてこんなもんなんなんやな」
 二人も諦めたように笑った。
 マンガや映画のように華々しいラストなど奇跡に近いのだと思い知らされた。
 機材を片づけて外に出ると、見に来てくれていた友人たちや数少ない観客が待っていた。寒露間近となり、吹く風に肌寒さを感じ、彼らとは少しだけ言葉を交わし早々に別れを告げた。言葉を交わせば交わすほど、三人の心におもりが重なっていく気がしたのだ。
 19時すぎ。日はとっくに沈み、待ちわびていたように空に夜が訪れていた。繊月が頭上に浮かび三人を見守る。
 本当の解散の時がきた。
「じゃあな」
 暗い顔で三人ともバラバラにライブハウスをあとにした。
 ギターケースを背負い電車に乗りこんだ修司は漆黒を映す窓を見ていた。
 今日で終わったという実感がまだわいてこなかった。窓と同じように心にも暗い靄がかかっている気がした。
 ピリンと小さな音がした。端末機を見ると、さっき別れた友人の一人からのメッセージだった。
“おい、ニュース見たか? GVSが解散するってよ”
 修司は愕然とした。
 気づくと立国駅のホームに降りていた。ここまでどうやって来たのか覚えていない。この駅に来るには何回か乗り換えないといけないというのに、三十分以上茫然自失となっていたようだ。
 そこは以前よく来ていた駅だった。体は覚えていたのだろう。
 人の乗り降りが少ない小さな立国駅。とぼとぼと駅前のロータリーにある花壇まで来た。
 ロータリーには照度が足りない街灯がほのかに辺りを照らしていた。傾き始めた細い月も彼を照らそうとするのに、それには明かりが足りなかった。
 見覚えのあるシルエットが目に入った。修司と同じようなギターケースを背負う影と四角いキーボードケースを背負う影。
 これまで何度も見てきたシルエットだ。見間違うはずがない。修司は二つの影に近づいた。
 やはり雄一と美樹だった。二人は別々の方向から現れた。
 修司が「やあ」と手を上げると、二人も照れくさそうに手をあげ歩み寄った。そして互いの顔を見合わせて、誰ともなく笑い合った。
 先ほどライブハウスで別れたはずの三人が約束したわけでもないのに集まってしまった。
「みんな忘れていないんだな」
 学生時代いつもここで待ち合わせていた。そしてここからスタジオに行ったり、ライブ会場に行ったり、時には遊びに行くこともあった。
 しかし、雄一が学生寮を出て、となり街に住むようになると、自然とここで待ち合わせることもなくなってしまった。
「おい、お前らも見たか。GVSが解散するって」
「ああ、さっき連絡貰った」
「あの人らも俺たちと一緒か」
「美樹、あの人たちと俺らとを一緒にすんなや。あっちはメジャーだし、四十年も活動している人たちやで」
「分かってるよ。でもなんか、縁みたいなもん感じないか。俺らと同じタイミングで解散なんてさ。あの人たちもこの街の出身だしさ」
 四十数年前、GVSの彼らも修司たちと同じようにこの街のスタジオやライブハウスで音楽活動をしていた。そしてこの街を足掛かりに彼らは飛躍していった。彼らはこの街の伝説のスターだった。いや、この街のみならず、この国の伝説のロックバンドとして名を派した。ただ今はメディアからはほとんど注目されなくなり、世間ではすっかり忘れられた存在となってしまってはいたが。それでも今回も号外が流れた。往年の勢いは落とし規模は小さくなっているものの、彼らは今でも細々とではあるけれど、音楽活動を止めることなくコアなファンを捕らえていたからこそである。
 彼らは修司たちと三人組バンドだった。同じ街出身の三人組ということもあり、修司たちにとってGVSは憧れの存在だった。ずっと彼らを目標にしてきた。
 結局のところ、彼らのようにメジャーデビューどころか、人気バンドにもなり得なかったのだけれども。

 ビルの二階にある喫茶”タイムマシン”。三人の初老の男たちがガラス越しに透けるように駅前の人の流れをのぞいていた。
「ねえ、あの子ギターケース背負ってるよ。あ、あっちはキーボードかな。待ち合わせかな。なんか昔の僕たちみたいだね」
「あーホントだ。ちょうど三人だし」
「うん、懐かしいよね」
「俺たちもあんなふうによく待ち合わせしてたな」
「なんだかさ、あの子たち見てたら、タイムマシンで戻って、あの頃の僕たちを見ている気になるよ」
「そうか?」
「ああ、ホントだ。だって冴えない格好してるし、覇気があるんだかないんだか、不安な顔してるし。今思えば、俺たちもあんな感じだったな」
「確かに」
 男たちは顔を見合わせて笑った。
 
「雄一はいつから修行に入んの」
 そもそもの解散のきっかけは雄一が本家の寺を継ぐと言い出したことからだった。
「ん、来週から。ひと月ほど山に入るんや」
 坊さんには山に入って修行しないと成れないらしい。
「でももったいないよな。雄一の歌が聞けなくなるなんてよ」
 彼らのバンドは雄一の独特な歌声で持っているようなものだった。
「んーまあ、ただ、うちの寺はお経に節つうか、メロディがついててね。なんとなく歌っているみたいなもんやから」
 雄一の親の実家は兵庫県の但馬地方という雪深い山奥にある真言宗のお寺だ。彼が言うにはその集落は家ごとに節が微妙に違うらしい。法事などで近所の人たちが集まると、みながそれぞれに自分たちの家の節で読経するから微妙な和音が重なり合い大合唱となるのだという。
 彼の歌が独特なのは子供の頃からの読経のおかげなのかもしれない。そのユニークさがもう披露されないのかと思うと修司と美樹は残念だった。
「え、お経で歌うのか。そうかお前は歌い続けられるんだな。羨ましいな」
二人は顔を明るくした。
「ちょっと違うやろ。それに美樹だって音楽雑誌の会社、内定貰えそうなんやろ」
「二人ともいいな、明日があって。俺、仕事もないし、明日からどうしたらいいのか」
 雄一が辞めると言い出し、美樹はすぐに就職活動を始めた。とは言っても知り合いの伝手を辿っての就職ではあったけれども。
 しかし修司は二人が違う道を模索し始めても呆然としていた。これまでバンドや音楽のことしか考えて来なかったから、違う未来を振り返ることができなかった。動き出した二人を見ながら、ただぼんやりとどうしようかなあと思った後、面倒くさくなって先を見るのをやめた。そのツケが今来ている。
「お前には作詞の才能があるだろ。今もいくつか依頼がきてんだろ」
「まあ。でもほとんどアマチュアだから微々たるもんさ」
「作詞できんなら、小説家になれんじゃない」
「美樹、それは違う。小説家はミュージシャンになるのと同じくらい簡単じゃないんだ」
 今の自分たちを考えれば想像せずとも理解できることだった。
「でも僕は修司の詞ならいけると思うけどな。もっと売り込んだらどうだよ」
「うーん、そうだなあ」
 自分の腕に自信も手ごたえもなくて、作詞という道にも先は見えなかった。
「明日はみんな同じようにあるんだよ。だからお前にも明日はある。だけど明日なにがあるかなんて誰にも分からない。だから誰にも明日を壊すことなんかできない。明日は誰のもんでもないし、でも、誰でも、みんなが持ってるもんでもある。手を伸ばせばすぐそこにあるはず。僕と雄一はお前とは違う明日に手を伸ばした。ただそれだけなんだよ」
「美樹、お前もたまにはええこというやん。あとは修司がどうするかや」
「二人とも好きなこと言いやがって」
 修司は苦笑いした。それでも必死に自分を励まそうとする二人に心が温かくなった。バンドは解散することになってしまったけれど、喧嘩別れではない。心のつながりまで切れるわけではないと修司は安堵した。こうやって自分のことを思いやってくれる二人に感謝した。

「あーあ、もうニュースに出ちゃったね」
 太縁メガネをかけた男が喫茶店に置いてあったスポーツ新聞を見て残念そうにつぶやいた。
「まあ。でも良かったのか。俺がやめるからって二人も一緒にやめなくてもいいんじゃ」
 サングラスをかけた長身の男が眉をひそめた。
「君がいなきゃ、どの道GVSは続けられないからね」
 二人より少し小柄な男が笑う。
「そうさ。誰か一人でも欠けたら、もうGVSの意味がなくなるんだから。それよりもお前の病気のほうが心配だよ。身体は大丈夫なの」
「大丈夫さ。今日明日すぐ死ぬもんじゃないし。まだまだ俺の明日はあるのさ。それよりもこれから何しようかワクワクしてるぜ」
「お前らしいな」
「じゃあ、僕らの明日もまだ終わらないってわけね」
「そう、生きてる限りな」
「あ、あの子たち帰っていくよ」
「ホントだ。でも別々の方向に帰っていくな」
「ホントだ。ねえ、あの子たちさっきより顔つきが良くなってない」
「ホントだ」
 ニヤリと笑った眼鏡の男が続けて口を開いた。
「あの子たちは、僕らとは違うタイムマシンで未来に帰っていくんだな」

  駅前のロータリーに三人以外、人がいなくなっていた。相変わらず心元ない街灯が三人を淡いスポットライトのように照らしていた。
 片手を上げた修司に、美樹と雄一が呼応して手を振った。
「じゃあな」
「うん、元気でな」
「たまには連絡くれよ」
「ああ、連絡くれたら返事くらいするよ」
「じゃあ、たびたび連絡するよ」
「ええ!? まあいいか」
 そうして互いに背を向けた。
 三人は笑顔でそれぞれの明日へと向かって行った。

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