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0歳の娘とニワトリ4羽を連れたひとり親移住。ビーガン料理のキッチンカーを起業|先輩移住者file.13

先輩移住者ドキュメントfile.13 江口優子さん

  • 生まれ:神奈川県川崎市

  • 移住タイプ:Iターン

  • 以前の住まい:神奈川県川崎市→群馬県前橋市

  • 移住時期:2023年2月(現在2年目)

  • 家族構成:2歳になる娘の幸来(さら)ちゃんと、ニワトリ4羽

  • 仕事:キッチンカー、事務のアルバイト

生後3ヶ月の娘さんを連れて高山村に移住した江口さん。庭付き平屋の一戸建てを購入し、養鶏所から引き取ったニワトリと暮らしています。持ち前のバイタリティでひとりで子育てをしながらビーガン料理のキッチンカーを起業。さらに、仕事を掛け持ちしながらプログラミングやWEBデザインのレッスンを受講しスキルアップ中です。もともと化学物質過敏症の症状に悩んでいた時期もあったとのことですが、高山村を拠点としてから、徐々に症状が改善されていったとか。高山村移住は江口さんにどのような変化をもたらしたのでしょうか。

ニワトリのぷうちゃんと一緒に、神奈川から群馬へ移住

 実は高山村は二度目の移住先です。実家のある神奈川県から、はじめ前橋市に移住しました。移住のきっかけは、ヒヨコを保護して飼い始めたことです。環境学を学んでいた学生の時からアニマルウェルフェア(動物福祉)という分野に関心があって、殺処分されてしまうオスのヒヨコをいつか引き取りたいと考えていました。就職先の企業がリモートワークに切り替わったのをきっかけに、実家の一室で一緒に暮らし始めたのですが……

ヒヨコは「ぷうちゃん」と名付け、家で一緒に暮らしはじめた

オスのニワトリなので、4ヶ月後には早朝から元気よく鳴くようになりました。住宅街にある家だったので、近所迷惑にならない場所に移住する必要があり、群馬県前橋市にぷうちゃんと一緒に移り住みました。

リモートワークに興味を持つぷうちゃん。
成長すると大きな鳴き声を出すことは知っていたので、移住前提で飼い始めたそう。

妊娠・出産を経て離婚。気持ち新たに高山村へ住まいを移す

 前橋に移住してから出逢った方と縁があって結婚して、ぷうちゃんも一緒に暮らし始めました。ところが、娘が生後3ヶ月の時にシングルマザーになることを決意しました。よく心配してもらえるのですが、自分にとって離婚は前向きな決断で、過程は壮絶でしたが、悲壮感はありませんでした。神奈川の実家に帰る選択肢もあったのですが、自立しながら気持ち新たに暮らしを始めようというフレッシュな心持ちだったんです。
 新しい住まいを探す時に、すぐに高山村を候補にしました。何回か遊びに行ったことがあり、その空気感が好きでいつか住んでみたいと思っていたんです。不動産屋さんで調べたらちょうど庭付きのコンパクトな平屋が売りに出ていて、スムーズに入居ができました。

DIYでニワトリ小屋、キッチンカーをつくる

 移住後にまず取り掛かったのは、ニワトリ用の小屋作りです。最初はぷうちゃん1羽でしたが、前橋生活の間に増えたので、のびのびと暮らせる広い小屋を作ってあげたかったのです。娘のお昼寝の合間と夜の寝かしつけの後の時間をつかってコツコツと作業をして、3ヶ月かかって完成させました。

ほぼ一人でDIYしたという大きなニワトリ小屋
ヒヨコ時代から見違えるように成長した現在のぷうちゃん

 実は娘の出産後に勤めていた会社を退職したので、高山村に来た時は職がない状態でした。おまけに、当時はもともと患っていた化学物質過敏症の症状が出ていて、室内で複数の人と過ごすオフィス環境がつらくなっていました。自分で事業をやってみたかったこともあり、体調面を考慮して屋外で一人で過ごせるキッチンカー事業を始めることにしました。軽トラを購入して、キッチンカーもほとんどの部分がDIYです。無事に保健所の許可をもらって、思い立ってから2ヶ月で起業しました。

高山村の道の駅「中山盆地」を拠点に群馬各地で出店している。

ビーガン料理をキッチンカーで提供する意味

 キッチンカーでは植物性の料理のみを提供しています。この事業は、ビジネスでありながらも私個人のライフワークの一貫です。学生の時から考え続けている人間と動物の関わり方について、ニワトリと暮らしながら何か具体的な行動に移したいと感じていました。そこで、「動物性の食材を使っていないビーガン料理がもっと身近にあっても良いのでは」という気持ちを形にすることにしました。高山村のある北群馬のエリアでは、ビーガンの人たちは決して多くないです。ですが、私はむしろビーガンでない人に、ぷうちゃんキッチンを気軽に利用してもらいたいと考えています。

たくさんの調味料やスパイスが並ぶ棚。
キッチンカーではカレーや大豆ミートの麻婆豆腐を提供している。

なんかとなる精神で楽しむ子連れ高山村暮らし

 ひとり親で、しかも無職の状態で移住して、周りの人達に心配をかけました。でも私っていつもそうなのですが、「絶対になんとかなる」という精神が常に頭にあるんです。一般的な生活不安みたいのを感じる力が欠如しているとも言えるかもしれません(笑)

「いいな」と思った友人の言葉をリビングの壁に飾っている

そしてその通り、高山村暮らしはなんとかなっていて、それどころか楽しんでいます。特に、道の駅に隣接された施設「さとのわ」が娘と私のお気に入り。広いキッズスペースがあるし、ごはんも食べられて長居できます。村民はポイントカードを持てるのですが、すでに8回は更新しました(笑)スタッフの方々が娘を覚えて可愛がってくれて、私たちにとってあたたかい居場所になっています。

ストレスの質が変わり緩和された化学物質過敏症の症状

 自然豊かな高山村ですが、スーパーは車で15分圏内にいくつもあるし、住むのに不便はありません。ストレスがまったく無いと言えば嘘になりますが、これまでの環境下のそれとは質の異なるものです。ストレスと化学物質過敏症の症状は密接に結びついているようで、いっときはスーパーに行くのも辛かったのですが、今は大丈夫になりました。人間って、環境が変わると体質も変化するんですね。最近はつらさを感じていたオフィスワークにも復帰することができて、事務の仕事を始めました。

リビングからニワトリ小屋の様子を伺える家。コンパクトな平屋で生活の導線がスムーズ。
この住環境が、江口さんの症状を少しずつ緩和したのかもしれない。

次のキャリアにむけてのスキルアップ

 今、キャリア面で実感しているのは自分の未熟さです。キッチンカーの活動は学びが多く、人間的な成長を得られている一方で、ソロでの活動のため発想が広がっていかないことを実感します。もしかしたら、まだ一人で起業して一人で継続的に活動していくには早かったのかもしれません。そういった反省も含め、現在、スキルアップのための修行中。仕事と子育ての合間を見ながらオンラインでプログラミングやWEBデザインの講義を受講しています。今29歳なのですが、30代はITの領域でキャリアを積んでいければ……と、探っている最中です。どんなキャリアになったとしても、「ぷうちゃんキッチン」と名付けたキッチンカーの事業/私のライフワークは、これからもお休みの日を中心に末長く続けていきます。娘が大きくなったら一緒に活動するのが何よりの夢です。みなさん、どこかで見かけたら気軽に声を掛けてくださいね。

夏場は豆乳のかき氷が人気だった「ぷうちゃんキッチン」。
もうすぐ2歳になる幸来(さら)ちゃん。数年後には看板娘になっているかも。

ぷうちゃんキッチン instagram
https://www.instagram.com/phochan_kitchen/

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●先輩移住者ドキュメントの連載について
移住にあたって一番知りたい、でもどんなに検索しても出てこない情報。それは、その地域の「住みにくさ」や「閉鎖的な文化の有無」、そして「どんな苦労が待っているか」などのいわゆるネガティブな情報です。本連載では、敢えてその部分にも切り込みます。一人の移住者がどんな苦労を乗り越えて、今、どんな景色を見ているのか。そして、現状にどんな課題を感じているのか……。実際に移住を果たした先輩のリアルな経験に学びながら、ここ群馬県高山村の未来を考えていきます。



2021年に夫と0歳の娘と高山村に移住。里山に暮らしながら、家族でアパレルのオンラインショップ「Down to Earth 」を営む。山中ファミリーの移住の様子は「移住STORY」へ。日々の暮らしやお仕事のことはinstagramへ。

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