【FX】あなたがダウ理論に飲まれてしまうその前に。「本当の理論」が備えているべき3つの要素とは?
◆ はじめに ◆
次点トレード理論考案者・高山です
私は考えます
有名・無名に関わらず
「その」トレード理論が本当に
理論と呼べる水準にあるならば
基本的に次の三つの要素が必ず
含まれて然るべきである
仮にその理論がそれらの要素を
含んでいないとすればそれは
理論と呼べる代物ではない可能性が
非常に高い、と
◆ 優れた理論に必ず含まれる3つの要素 ◆
最 小 単 位
観 測 基 準
評 価 基 準
上記3つの要素が一つでも含まれていないのであれば反面教師として学ぶ意味はあってもトレードの軸として学ぶ意味は何もない理論となる。参考までにこれらを「含んでいない理論」の代表例としてはダウ理論・エリオット波動論・サイクル理論等がある。
本日は優れた理論は当然の事として「理論」と言える水準にある理論に必ず含まれるこれら三つの要素について掘り下げていきたい。
※ 補足 ※
◆ 最小単位 ◆
最小単位とはそれ以下に割る事の出来ない情報やチャート或いはそれぞれの概念上の構造物(例:トレンド・サイクル等)を構成する部品の中で下限に位置する単位・モノを指す。
その情報はそれ以下でもそれ以外でも無く誰が見ても同じ認識で扱えて解釈に差異の無い情報である必要がある。こう話すと一見難しく感じるかもしれないが実際にはそうではない。なぜならチャート上に「無い」物は扱う事は出来ずまた観測も出来ないからだ。と、考えればひどく限定的な選択肢となる。
またこれらの最小単位は「作る物ではない」。作れられた単位には何の意味もない。あなたが類似性や偶然性から想像力によって主観的に勝手に作った単位はあなたが意味があって欲しいと願った創造物に過ぎず「チャート側」にとってはチャート構造においても未来の値動きに関しても何も影響を与える要素ではない。
観測の礎を担う最小単位は「見つける物」である。また完全には難しいかもしれないが最小単位を土台に組み上げていく理論もまた極力「見つける物」であれば有るほどのその価値は高くなる。人間原理を排除し常に「チャート側」にとって構造に矛盾を生じさせ無い流れの中で理論構築は進める必要がある。参加者はただのエネルギーであり加速・減速そして幅にしか関与していない。仕組みや構造は常にチャート側で考える必要がある。
少し話すぎたが本題に戻ろう。ではなぜ最小単位の情報・パーツ或いは下限にあたるそれらが無ければならないのか?
◆ 観測基準 ◆
観測基準とは最小単位・最小パーツから構成される厳密な定義を有し完全な再現性を持った観測可能な概念や構造物を指す。より簡単に言えば理論全体の環境認識における基準がそれにあたる。例えばトレンドの概念を前提とした理論であれば観測はトレンドという物の状態を把握する事が目的となる。
サイクルという概念を前提とした理論であれば最小単位・最小サイクルから構成される厳密な定義を有する観測可能な完全な再現性と一貫性をもった基準となるサイクルの状態を把握する事が目的となる。
要はその理論における状態を把握したい対象を指している。それら観測基準の状態を通してチャート右端に対する「分析」を仕分け的に行う訳だ。そしてそれらは誰もが同じ観測結果を得られる必要がある。なぜなら主観的な観測によってのみ得られる結果にはデータとしての価値は無いからだ。自分が見たいように見て人によって違いが生じる波であるとか、練習が必要なトレンドラインや支持抵抗線であるとか、人によってカウントが変わるサイクルに意味があると思うだろうか?
それはただのお絵描きに過ぎない
そして把握したい対象は当たり前だがその世界にある物で構成されており、その構成物質には下限がある。さらに言えば相場においてフラクタル構造が一つの原則とするならば下限・最小単位が無いとすればマルチフレーム的に考えた場合、無限に下限方向のパーツが必要となり、例えばトレンドを前提とした理論であればトレンドを構成する最小・最初の波一辺を認識・描写する事さえ出来ない。
故に最小単位或いは最小データ或いは最小パーツが必要となる。最小単位があるから観測基準を持つ事が出来る。ではなぜ観測基準に当たるものが無ければならないのか?
◆ 評価基準 ◆
最小のパーツを使い、観測したい物をチャート上で具現化する事で観測する事が可能になった。次に行うのはその観測対象を評価する評価基準が必要となるが無論評価とはその評価対象があって成り立つ物である。故に観測基準が必要となる訳だ。
最小単位があるから観測基準が成り立つ
観測基準があるから評価基準が成り立つ
では評価基準とは具体的にどのような物なのか?まずその理論における観測基準とは状態を把握したい対象と述べた。例えばトレンドを前提とした理論の場合、まずそのトレンドの状態を把握し評価する事でフローを次に進める事が出来る。
例えば単純なトレンドフォロータイプの理論があるとして順張りのみを戦略掲げる場合、まず現行トレンドの把握・評価があり次にチャート右端における現値の位置に対する把握・評価があり、その状態・評価によって次の行動や分岐が決まりそれらは「自動的」に出力される。(自動的に出力されないフロー化可能な性質を持っていない理論は順序が存在せず再現性も備えておらず循環しないので論外)
つまり評価基準とはフロー化された理論における各フェーズの観測基準に対して用意された分岐におけるル—ト選択のために必要な物である。これは各理論における各章或いは小フェーズそれぞれに設ける必要があり分岐上で判断や選択がとどまる事の無いよう定められていなければならない。
◆ 例 ◆
トレンドを前提としたトレンドフォロータイプの理論を例に最小単位・観測基準・評価基準がどのように役割を持っているかもう少し説明をしておく。
まず観測対象であるトレンドは上下方向の波によって構成されている。その波一辺は両端二点の高値(安値)・安値(高値)で構成されている。加えてこれら二点には位置情報が含まれている。この位置情報に関して具体的な根拠を背景に二点の取り出し基準が設ける事が出来れば位置情報はそれ以下にする事は出来ない情報であるため最小単位の条件を満たす。
最小単位が決まれば二点・波というパーツが認識でき、各理論におけるトレンドの定義に沿って波を統合していけばトレンドが認識が可能となり観測基準を満たす。
観測基準を設けられたなら各理論における基本戦略に順じたフローに沿って各フェーズ(描写・認識~分析~エントリー~決済~以下循環)における分岐地点それぞれの評価基準を確認可能となりフロー化された理論は流れ作業的にどの状態・どの時点そしてどの地点においても単一解釈のたった一つの解答を出力する事が出来るようになる。
この状態になれば理論全体が正確に運用可能になり、全体としての結果に対する単純な評価もこの時はじめて可能となり、その結果については誰が行おうとも差異無く把握する事が出来る。そうして得られたデータのみに対して価値が生まれる。それがネガティブな結果であれポジティブな結果であれまず判断出来るという事自体に価値が生まれるのである。ネガティブ・ポジティブな価値・判断はその先にようやく出来る訳でありつまりは検証可能な理論の完成となる。
それ以外はデータとして価値は無し
そしてそういった「価値無き理論・手法」に含まれる三大要素があるとしたらどんな物かはここまで読み進めてきたあなたならわかるでしょう。それらの代表的な物としては
セ ン ス・要 練 習・経 験 則
この辺りのワードを使用している情報発信者がいたならばその付近に落ちている情報は価値の無い可能性が非常に高いと言える。なぜならば今日、紹介してきた通り始点がセンスや要練習又は経験測に頼った観測から始まった理論・手法であるならば出力されるデータや結果に対して一貫した再現性も無くなにより客観的でない端的に言えば主観的なただの空想に過ぎないからである
また例えばこの三つに共通しているのは「感覚」ですが「感覚」や「直観」が役立つ場面があるとすればそれらは理論構築に際しての閃きや発見、構想等については重要なファクターではあるでしょうが運用や理論における各事柄に対する観測や運用については出る幕は無いし有ってはもならない物だと理解しましょう。
◆ 相場における常識は非常に低品質 ◆
この世界でもっともIQの高い集団がいるとすればそれは物理学者でしょう。現代において我々が享受しているテクノロジーは世界人口の1%以下、日本であれば0.1%にも満たないで「彼ら」によってほぼもたらされている。正確には我々の時代であれば今から約100年程度前の「彼ら」の理論が現代の生活を支えている。
そんな彼らが研究や理論の証明においてもっとも重要視する事とはなんだろうか?それはいかに正確にその対象となるモノ・現象・データを観測出来るかである。現在、技術的に観測出来ない事象等について数学的には証明されている事柄であったとしても最終的には観測によって証明されるまで未完の理論と言わざるを得ない。
正確な観測を最も重要視する「彼ら」だから相対性理論が予期していたいくつもの事柄を観測しその理論の中にあるいくつかの正しさに触れる事が出来、また量子論という存在に手をかける事が出来た。
もし「彼ら」がダウ理論やエリオット波動論又はサイクル理論等、この相場の世界におけるメジャー理論に触れたならどう思うだろうか?見る人によって認識の変わる波、人によってカウントの変わるサイクル、そういったあやふやな観測基準の上に成り立った机上の空論をみな深く考えず受け入れているその姿はどう映るだろうか?
私はその状況を想像する時、とても恥ずかしいと思う。なんだかとても恥ずかしく思えてならない。それは少なくともこの世界に身を置く者として理論や手法をまるで信仰対象のように向き合っている「大衆」に対してなんとも情けなくなってくる気持ちからくる感情なのかもしれない。
疑問を持つ事、言及する事
理論というものは正確な観測が行われた時にはじめて評価する事が可能となる。仮説段階の理論であっても例えば物理学で言えば少なくとも数学的な正しさを根拠に観測フェーズに移行しさらなる確証と次なる言及を求める。無論、観測過程或いは結果の中でより正確に理論が修正されたり逆に破綻したりする事もあるだろう。しかしそれらは理論構築の過程に起こる事であってトライ&エラーはあって然るべきである。だがダウ理論やエリオット波動論、サイクル理論等はその過程さえ踏んではいない。
考案者で無いのになぜそれがわかるのか?
それは厳密な観測によって体系化された過程があるのなら観測方法それ自体に再現性が担保されていて当然だからである。観測結果を体系化しまとめた物が理論の完成形であるはずなのだからその始点となる観測方法や観測対象の視覚化や描写ルールが一貫してないとすれば話にもならない。しかし各理論目次の1項目に記されるべき波やサイクルに関する単一解釈可能な厳密な観測定義はどこにも存在しない。そんな理論をなぜ受けれてしまえるのか、疑問に持たないのか私には理解出来ない。
理論・手法それらで最も苦労するのは考案・観測・体系化までである。その理論や手法が完成しているのなら完全な再現性の上に成り立っている訳であり、完成後の運用はただの作業であるはずである。そうではないと言うのであればつまりは再現性が無く一貫性がなく検証不可能であり、それは子供が空に浮かぶ雲に思い浮かべたパンと同程度の価値しかない。
◆ 最後に ◆
相場における有名な既存理論をはじめ
実際には理論と呼べる水準に無い物が
理論然としてふるまっている事へ疑問を
感じる事なく「常識」として受け入れる
相場の九割を占める一般大衆という存在は
あくまで相場のエネルギーであって
消費される側であってそれは
相場の養分以外の何物でもない
あなたがトレーダーとして結果を出したいのなら
まずはエネルギーの波の外に腰を下ろし
波を眺める「観測者」を目指すべきだろう
◆ ご報告 ◆
前々回の記事に続きまして先日公開した記事がまた公開週に投稿された記事の中でもっとも評価された記事の一つに選ばれたようです。ありがとうございます。選出された投稿をお読みになられる方は下記リンクからどうぞ。
追伸・次回の投稿の機会にはまた何かHOW TO記事を書こうと思います。気長にお待ちください。
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