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渡米20日目 脳内の用心棒に仕事をさせるな!?

今日はいよいよ子ども達の英語テストの日。ブルックラインに引っ越してきた9月1日に全てを書類を揃えてPublic School of Brooklineに提出し、9月5日オンライン面談を終えた。今回のテストはいよいよ最終段階となるプロセスの一環であり、このテストを経てようやく現地校への入学が許可される。

「授業料が支払われていないため、登録できません」

子ども達のテストは15時から予定されていたが、僕はそれまでに大学院の課題に加えて、履修手続きの際に発生しているシステム的なエラーを解消しなければならなかった。今季登録した3クラスのうちの1クラスを変更することを決断し、昨日学部長のジョンの許可もすでに得たのだが、履修登録のオンラインポータルにアクセスしたところ、上記のようなエラメッセージが出てしまったしまったのだ。

履修科目を無償で変更できるのは、秋楽器が始まって1週間以内と決まっている。期限は今日だ。授業料そのものはフルブライトから支払われることになっているが、どうもそのセットアップがうまく行っていないようだ。金曜日にこの問題を解消すべく留学生課のディレクターであるアンドレアさんにも動いてもらったのだが、状況は変わっていないようだった。朝から気が気でなくて3時半に目が覚めてしまったほど、僕は今日この問題を解決できるかどうか気が気でなかった。

メールや電話で問い合わせをしてもどれだけスピーディに対応してもらえるかわからない。午前中、直接Office of Financial Aid(会計課)を訪れ、米国側のフルブライト事務局にあたるIIEが発行してくれたTOA(Terms of Appointment)を直接見せると担当者のモニカさんがオフィスの奥に招き入れてくれて、支払いが滞っていた状況を素早く解消してくれた。

元々、フルブライトのホームページにも到着後一ヶ月以内にそのように対応するように指示が出ていたので、そのインストラクションに従ったところ状況が解決したわけだが、IIEの担当者に最初のコンタクト以来何度か連絡しても無しの粒で、何かこちらに落ち度があっただろうかと心配になるほどその対応に心許なさを感じていたので、今回のモニカさんの対応には救われる思いがした。

その後、諸々大学での手続き関係を済ませて15時の子ども達のテストに間に合うように最寄りのBoylston駅からいつものグリーンラインに飛び乗った。ここで再び事件が起こった。なんと目的地のBrookline Hillsを通り過ぎて、二駅先のReservoirまで止まらないという。

「なんでBrookline Hillsに止まらないんですか?」
「この列車は特急だから」

運転席の車掌に尋ねるとそう言われた。え、特急?そんな表示は乗る前にどこにもされていなかったし、いつ特急に変わったんだ?それに今Brookline Hillsで降りれなければ、子ども達のテストに間に合わなくなる。困った。困ったぞ。でももう不可抗力みたいだ。

特急というには遅すぎるぐらいのノロノロ運転でResearvoir駅15時過ぎに妻に連絡するともうすでに余裕を持ってついているとのこと。トラムが信用ならなく思えて、歩いて試験会場まで急ごうかと思ったが、それだと一時間近くかかる。仕方がなく折り返しのトラムを待つことにした。しかし駅の路線図のどこにも各停や特急の表示は見当たらない。次、また折り返したに乗った電車が特急だったら、またBrookline HIllsを通り過ぎてしまうことになる。

「次の電車はBrookline Hillで止まりますか?」

目の前にいたアジア系の学生に尋ねると、「あ、ひょっとして日本の方ですか?日本語で大丈夫ですよ」と言われた。彼はハワイで生まれ育った日系の学生で、今ボストンのバークリー音楽大学でビジネスを学んでいるのだという。特急の電車はどうやって見分ければいいのかを尋ねてみた。

「特に決まりはないみたいなんですけれども、路線が混み合ってくると間隔調整のために、急遽特急に切りわかるらしいんですよ」

そんなことって、許されるのか・・・。いかにもアメリカらしいというか、例えば様々な手続きが全てデジタル化していてそういうところは合理性を尊ぶ一方で、ことトラムに関してはまるで1980年代からもう半世紀近くまったく何も進歩していないような、レトロな佇まいを残しているし、時間は不正確だし、勝手に各停が急行に変わったりする。そういうところが、なんだかこのごちゃ混ぜでカオスで、システマティックに見えて、とてもおおらかでいい加減なアメリカそのものを体現しているように思えて、諦めにも似た境地で電車に揺られていた。文句を言っても仕方がない。そもそもこの地に好き好んできたのは、僕の方なのだから。

しかしここで彼に会ったのも何かの縁なのかもしれない。またバークリーに遊びに行く時には連絡しますねと僕たちは連絡先を交換して電車を降りた。

子ども達のテスト会場にたどり着いたのは15時半、すでにテストが始まってから30分が過ぎていたが、子ども達のテストはまだ続いていた。僕たちの他にも何組かの外国籍の家族がやはり英語テストを受けていて、サウジアラビア出身の心臓外科医のお父さんとしばらく話をしているうちに、子ども達がテストを終えて帰ってきた。テスト開始から一時間半ぐらいが経過していた。

「お子さんはとてもよくできていましたよ」

アメリカ人の先生が流暢な日本語でそう言ってくれて、2−3日以内に子ども達が通う予定になっているリンカーン学校から連絡があるはずなので、おそらく早ければ今週の後半か来週から学校に通えるのではないかと言われた。現地でも先週から新学期が始まっている。僕たちはできるだけ早く子ども達を学校に通わせたいことを伝えて、テストセンターを後にした。

「テスト、どうだった?」
「全くわからなかった」
「え? さっき先生がとてもよくできてたって言ってたよね」
「あの先生、全然僕たちのこと見てなかったよ」
「そうなの?」

帰り際、長男がそう話すのを聞いて、いかにもまたアメリカらしい感じがしてしまった。テストの内容は、新聞の記事の内容がパソコン画面に表示されて、それを読解するような内容で先日英検5級を取ったばかりの長男には難しすぎたという。一方、次男のテストは、画面に表示された、例えば「庭で花が咲いている」とか「空が青い」とかそういう状況を言葉で説明する程度のもので、本人は割と簡単に感じたという。最も今回のテストの結果は、入学条件に関わるものではなく、入学後、どの程度のサポートが必要かどうかを学校が判断するためのものなので、その良し悪しに一喜一憂する必要も特にないのだが、これも入学に関わる最終段階の大切なプロセスのひとつのなので、ひとまずテストが無事に終わったことにホッとした。

僕は18時からの大学の授業の参加するため、道の途中で家族と別れて再び、トラムに乗り、ボストン市内へと向かった。

「Bouncer in the Brain。Our job is give Bouncer the night off」
(脳内にいる用心棒に休みを取らせること、それが僕たち脚本家の仕事だ)

18時、再び大学院に戻り、いよいよ第一週目の脚本クラスに出席した。担当教授は、今年からエマーソン大学に採用された現役映画監督であり小説家であり脚本家のオーエン・エガートンだ。

「脚本家の仕事とは何度も何度もアイデアを捻り出して、書き直すこと。そのためにはどんなバカバカしいと思えるアイデアでもそれを否定しないこと。僕たちの脳内には、まるでナイトクラブへの出入りを妨げるでっかい用心棒(Bouncer)のようなメンタルブロックが存在する。子ども頃は天真爛漫でいろんなアイデアを思いついてはいくらでも話続けることができるが、ある程度の年齢になると”そんなことを言ったらどう思われるか”を先回りして考えるようになる。それは僕たち作家にとっていちばんの天敵だ」

次から次へと脳内で溢れてやまないアイデアを早口で捲し立てる彼の授業そのものがまさにエンターテインメントそのものだった。

「私たち作家の仕事とは、calling(神様の呼びかけ)を受けて行うVocation(天職)のようなものであり、それはとても神聖なものだ。もしでもそれが自分にとってどれだけ神聖なものであるかどうかを知っているのは自分しかいない。もしそれを自分がいい加減に扱ったり、趣味としか思っていないのであれば、作品もそれだけのものにしかならない」

僕は朝3時半起きで、もしつまらない授業であればすぐに睡魔に襲われていただろうが、僕の脳内でも新たなシナプスが化学反応を起こしているのを感じるほど刺激的なクラスだった。

「Time and Place」(自分自身が作品を生み出すための時間と場所を用意してあげること)

確かにその通り。笑い声が響き渡る教室で僕は彼の言葉に何度も共感し、4時間近い授業はあっという間に過ぎ去っていった。

DAY20 20230911月D2+1025ー2401ー0026

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