『13日目』7月28日の日記
またやりやがった! 継続は力なり、というのは継続という名の努力が出来る天才に使う言葉だ。やれ努力の天才だの、天賦の才だの、天上人の会話はよく分からない。
分からないから取り敢えず名前をつけて安心しておくのだ。名前がないというのはエモいけど、名前がないと怖いからね。そう、エモいとか推しとかも最近の言葉だよね。前までは萌えと嫁だった。ぶっちゃけ日本語力的には萌えの方が強いと思っている。エモーショナル、もちろん分かりやすい、というかそのままだ。萌えるは草木が芽吹く、育むの意図を汲んでるわけだ。枕草子かよ。推しは嫁からクラスタにかわって推しになった気がする。これは自我の強さじゃないか? 夢女子視点になってしまうが、同担拒否というか、嫁なんて強火単語を当たり前に使う人間は初めから排他的なんだよ。と言うか「アニメ好きとかオタクw」なんて言われてきた奴らが排他的じゃないわけが無いが。クラスタや推しはなんか、ど偏見だけど移ろうものじゃないですか? 排他的ではないが同担とは殴り合うよ、みたいな。うち内から外に変わった結果の一部というか、オタクくんが使ってたキモ用語使いたくないから使いやすくてウチらにも浸透させれんの作るね♡、みたいな。まあ、俺の嫁は俺の嫁なので金での殴り合いとかどうでもいいんですけど。愛は見せつけるものじゃなくてもいいと思うよ。
それはそれとしてVtuberやってる推しが痛バ見せて♡配信とかしてると、同担嬢の殴り合いを見せつけてもっと金入れさせるホストの手口だ〜! とは思うけど。俺はキラッキラにした痛バも、絶対こいつのファンメンヘラだろって思ったらバチバチにピアスあけてツインテして厚底履いてたらテンション上がるけど。
と、性格の悪さの露呈はここまでにして。これらは化粧と同じで、誰かに見られるためにやってるんじゃなくて、自分のテンション上げるためにやってるものだと思っているので否定したくないのは本音。痛バ作るにしてもまずブラインドグッズなら集めることから簡単に出来るものじゃないし、デザイン凝り出したら金も技術も必要になるし。ライブに行くとなったら動きやすい格好且つ、推しに見てほしい、他の担当から見て邪魔にならないような推しの印象を悪くしない服装とか、そのライブにインスパイアされたメイクやネイルとか、考える時間も楽しいから。鷹は田舎育ちなので一人で映画行く時とか、ゴーストタウンと化した老人しか歩いていないような道を歩くだけなのにバチバチのメイクをしたりする。
何が言いたいかを総括すると推しも好きだし、推しという概念を持っているファンたちも好きということだ。勿論、同担同士で喧嘩とか、他の推しに攻撃的だったりするのは良くない。とても。でも、勝手に高め合うのはいいと思うし、別箱からみたら見てて楽しいし。自分のためでも、推しのためでも、楽しみたいという気持ちはあるのだ。ま、使いやすいからエモも推しも使うし、「推しは推せる時に推せ」って心底思ってる今日この頃。言葉に出来ないことって心底多いけど、真っ直ぐな言葉は何度も何度も伝えたら相手に響くよね、ハム太郎! へけっ!
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