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『16日目』7月31日の日記

夢日記。誰だったかな……学園バトルもので先生の誰かに自校の裏切り者に仕立て上げられてヤバいってなった瞬間に起きた。誰か覚えてないんだけど絶対に敵わない相手だったことは覚えてる。
とまあ、これはマシな悪夢である。不味いのは現実と夢の区別が付かなくなる嫌なリアリティのある夢なので。やるべきことをやったうえでその結果が最悪な夢とかよく見る部類で、明らかに夢だけど死ぬほど辛い目に遭うのはたまに見る悪夢だ。ちなみに今回は後者寄り。あとは、私が創作者であるが為に創作した悪人を殺される夢とかもある。その場合、大概モブ視点なのだが、起きた瞬間に「オメェじゃねえか!!」となる。生みの親を殺しにかからないで欲しい。それはそれとして死ぬほど辛い目に遭わせるし無意味な死を与えるけど。昔から悪夢をよく見る子供で、いつも何かに追いかけられては泣いていた。それが形になったと思ったら自分の創作のキャラになってるんだから、もしかしたら小さな頃の私も大きくて怖いものに追いかけられるという夢はいつか未来の自分が作り出す悪人だったのかもしれない。最悪のループか?
夢から発展させられる話題が最近睡眠障害が酷く、過眠症であることしか無い。現実から切り離そう。
いつか書こうとしていたキャラクターとある思想について話すとしよう。私は大のTYPE-MOONのファンであり、FGO最古参勢だ。その中で大人気を誇るオベロン・ヴォーディガーンについての、ちょっとした、個人的に面白かったことだ。妖精王オベロンとして生まれたヴォーディガーン、その姿は奈落の虫。空洞の巨体を持ち、飲み込んだ全てを底のない奈落へと突き落とす。非常に好ましい設定だった。終わりのない終わり。果てのない最期。ただ何も出来ず、落ちていくだけ。私はこの奈落を、オベロンというキャラクターが登場する前にひとつの出来事に喩えたことがある。それは『恋』だ。恋に落ちるとは、果てのない奈落の穴であると。我ながら露悪的なことだ。しかし、私はこれを否定しようとは思わない。自分ではどうしようもない憧憬を抱いてしまう、落ちれば手が届かなくなるのに。なので、私はとても面白くなってしまったのだ。青い空に手を伸ばし、罵りながら奈落に落ちゆくオベロン・ヴォーディガーンに。以前、愛は矛盾するものだと語ったが、恋は直線なのだと思っている。掴めるところもない、奈落の夢。目が覚めることだって勿論ある。予想外に引っ張り出された妖精王オベロンのことも、面白いと思ってしまった。勿論、再会も嬉しかったが。後々、他人の二次創作を見るなどして、最後まで走り切った彼を呼ぶのは無粋だったのではないか、と悩む人を見て、そういう捉え方の方が真っ当か……と思うに至る。昨年の夏イベを見る限りそんな思いを持たなくて良さそうだったが。寧ろ呼ばれてよかったなと思ったが。
彼からすれば私は最悪の思想持ち主であり、最低の人間だと思う。なにせ恋も愛も好き勝手に語る、物語の消費者だ。舞台に立つなんてとんでもない。ただ観客席で手を叩くだけ。
ただまあ、奈落の虫に落とされた人間はかなり居る、という事実もここにあるのが、面白い。奈落の虫に、形だけの妖精王に、言葉が捻じ曲がる彼の言葉に、走り切ったその行動に、星を見た人間だってたくさん居るというのは、笑いが止まらないというものだ。
いつか醒めない夢に落ちることを悪だと思わないことも、救いになる。

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