TOO FAST TO LIVE,TOO YOUNG TO DIE #7
全女の試合観戦から1ヶ月くらいたっただろうか?
変わらずバンドとバイト漬けの日々
そんな中上田くんの家に遊びに行った
彼は彼で新バンドのメンバーを募集したり曲を作ったりで忙しそうだった
「どう?メンバーのメドとかついた?」
「うーん、まあある程度は」
「そっかぁ、そういやメンバーにTAKAKIは入ってへんの?」
そう聞くと少し戸惑った様な表情で
「えっ?!あー知らんかった?」
「ん?なんのこと?」
「まだ聞いてなかったんや」
「全然なんのことかわからんわー」
上田くんは一瞬口を尖らせ一呼吸置いてから話だした
「いやーなんかオレもキツネにつままれた感じの話なんやけど、、、TAKAKIのヤツ東京行ったらしいわ」
「えっ?!てか、らしいって?」
「ドリチンがTAKAKIん家遊びに行ったらおばちゃんがTAKAKI東京行ったって言われたらしいわ」
「てことは上田くんにも何にも言わんと行ったん?」
「何も聞いてないよ。解散のミーティング終わって、続けて次のバンドも一緒にやろうぜって言ったんやけど考えさせてくれって。それが最後やわ」
「上田くんにも相談なかったんやぁ、、、」
「、、、なんかさびしいよなぁ」
そう言いながら上田くんはタバコに火をつけた
あの観戦から1ヶ月強
少し思い悩んでいたようだったがこんなに早く行動できたということはあの時にはすでに覚悟を決めていたのだろう
自分達は来年早々に上京を決めていることはもちろんTAKAKIも知っていた
どうせ上京するなら同時期に近くに住めばそれだけで自分達もアイツも心強いじゃないか
でもアイツは自分の力だけで勝負したくなったのかもしれない
そう考えるとさみしいとかやるせないという言葉だけで片付けるのは違うのではないか
人生の中で意味がある時、またどこかで会えるだろう
突然のTAKAKIとの別れ
でもあと少しで自分達もこの街を出ていく
それが少し早まっただけだと自分に言い聞かせた
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自分達は予定通りに翌年春を待たずに上京していた
こちらでもバンドとバイト漬けの日々
辛いこともなかったわけではないが好きなことをやれているという充足感が勝っていた
そしてその頃、この時は関東ローカルになってしまっていた
全女の中継にハマった
ここから自分のプロレス好きが本格化していく
ある日流れた「豊田、山田vs下田、三田」の同期対決
最初は豊田を応援していたはずが再結成されたラスカチョのあまりの凶暴っぷりに最後には心を鷲掴みにされていた
窮鼠猫を噛む
永遠の中堅
後一つ何かを手に入れれば
などと揶揄されていた二人
そんな追い詰められていた二人がとうとう覚醒した試合
スラっとした美人の二人が返り血を浴びてる姿はこの世のモノとは思えぬ美しさだった
そこから自分のラスカチョ狂いが始まった
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上京して一年程経ったある日
ふとしたタイミングでまだ荷解きしていないダンボールを開けてみた
その中には醍醐グランドームでもらったアジャ、豊田、京子のサイン入りのミニうちわが入っていた
「あーこん中に入ってたんや」
正直、一年ちょい前のモノなのでそこまでの懐かしさや感動はなかったが
「せっかくやし貼っといたろ」
と、壁に画鋲で貼っつけた
そして写るんです
これはフラグだろー!!
と、ずっと読んでくれてる方々は思うかもしれない
がっ!!
当時はもしかすると自分と周りの一部だけかもしれないが撮るだけとってほっといて後で何が何だかわからない写るんですが何個かあった
特に思い出とかプリクラも出始めの頃だったり写真を撮るのが好きな時期でもあったしバンドの記録用に撮ってもらってるのもあったのでみなさんが思うようなフラグなのかどうかもわからない
「なんやこのカメラ?何撮ったんやっけ?バンドのかープロレスん時のかなー?まあせっかくやし後で出しにいくかー」
この頃は写真屋さんに現像してもらわなければならなかった
最短当日というのも出始めてたように思うが基本は2〜3日後というのが値段も少し安くなるので待って取りに行ってた
「3日後かー長いなーでもまあスタジオ前に取りにこれるから丁度ええか」
SUZUKIのSEPIA ZZは地元の友人に売ってこっちではHONDAのCD50(通称ベンリィ)をセパハンに樽グリップでカフェレーサー風にイジって乗っていた
そう東京でも原チャリだ
続く
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