昨日のライブとMCについて
昨日は久しぶりに26時でライブをした。
いつもMCをする時は、その日の朝から本番までに話したいことをぐるーっと考えて、対バンのMCや曲からも拾えるところを探して、なんとなくまとめた後、本番中の気持ちとぴたっと重なったら言う、って感じでやってる。
思いついても本番で歌ってみた感覚とハマらないと思ったら言わないし、なんなら曲だけやって話さないまま終わってもいいとも思ってる。
でも最終的には落とし所が見つかり何かしら話すことが多い。
でも昨日はなぜか朝から全く気が乗らず、メンバーにも、話せる気がしないから1曲増やさないか、とすら言ってた。
それが、蓋を開けたらああなった。
その場にいてくれた人はわかると思うけど、音響の井藤さんに提出したライブの流れも無視して、1曲終わるごとに話していた。(持ち時間内には収めました。)
恥ずかしながら僕はお客さんは全然呼べていなかったのだが(それでも僕らを見にきてくれた方、本当にありがとう。)、その会場の状況と、僕の普段考えてることとが、両立しないということに(やっと)気づいてしまい、こぼれ落ちたのだ。
僕は音楽活動をする上で、他人に興味がない。
自分のために音楽をやっている。
曲を作るのは、死ぬまでにどれだけいい録音物を残せるかという気持ちのためでしかない。
新しい曲ができると、そのときに感じていた形のない感情、無意識下の自分が結晶化する。
するとそれを客観視できるようになって、次に進める。
その繰り返しで、じゃあ60歳になった時にどんな音楽を作ってるんだろうとか、そんなことにしか興味がない。
ライブをやるのは、ミュージシャンとしての自分が、ステージというプレッシャーのある場所で、リアルタイムで、どこまで理想的な音が鳴らせるかという挑戦に近い。それも、老いと共に成熟させていきたい。
ここまで書いても、呆れ返るほどに自分しかいなくて、そんなものを誰が聴きたいんだろうとも思ってしまう。
しかし後者に関しては、絶対的に他者が必要なのだ。
昨日ライブをした新栄のクラブロックンロールは、現状、金銭的なフィードバックのほぼない僕をブッキングしてくれる数少ない箱のうちのひとつだ。
そしてコロナ以降、明確に苦戦しているのがわかる。
昨日みたいな集客の見込めなさそうな日には、音響の井藤さんや店長の本多さんが転換中にバーカウンターに立ってドリンクを提供している。
人件費削減のためだ。
最近はスタッフパスの経費すら削り、特別必要なイベントの日以外は出していないそうだ。
(書いてしまいました。ごめんなさい。)
だからライブに来てくれと、タチの悪い物乞いのようなことが言いたくて書き始めたわけではない。
MCをしたくなったのは、メンバーと、そこに居合わせてくれた人への感謝からだ。
どうしても気持ちを伝えねばと、その時に思った。
それを形に残したいから今書いている。
これはいろんなところで言ってるけど、前にやっていたシャビーボーイズというバンドでは僕はギターを担当していて、歌を歌ってはいなかったし、曲も作ってなかった。
自分がそんなことをやるなんて想像もできなかった。
だけどバンドが解散してしまって、それなら自分で歌ってみるかと、曲を作りアレンジをして録音し、SoundCloudにあげてみた。
そしたら思ったよりも反応が良くて、ああおれ歌ってもいいのかなと思えた。
それから運良くメンバーにも恵まれ、助けも借りて、ひとりでは作れなかったような曲もできた。それを大っきい音で鳴らせるというのは、とてもじゃないけど楽しいの一言で言い表せるものじゃない。
それがブッキングしてくれる本多さんや音響の井藤さん、対バンの方々やお客さんのおかげで成立する。
メンバーの生活もあるので、いつまでできるかわからないけど、できるだけ長く続けたい。
だから菊ちゃんがソロではなくバンドのために新曲を作ってくれたのは嬉しかった。
いい曲を作っていいライブをする。それは大前提で、じゃあその環境を守るために他に何ができるのか。
それがマジでわからない。笑
だから困っている。
けど昨日はいいきっかけになった。
メンバーと、ロックンロールと、対バンの方々と、居合わせてくれたお客さん、そしてこんな文章を最後まで読んでくれたあなた。
ありがとうございます。
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