八百八橋

昨日、少し大阪のことを書いたので、続けて大阪の橋のことを書いてみようと思います。ちなみに私は大阪人ではないです。

大阪は橋の町で、とにかく橋が多い。今は埋め立てられて道路になり、地名のように残っていたりします。

昔、物流は水路(船)が主流だったので、川が多いことは、商都して発展した要因の一つではなかったのかなと思います。地理的に有利ということです。商売には向いていたんじゃないかと。

そんな大阪の橋ですが、これ、役所が架けた橋(公儀橋とか言ったと思います)と商人が架けた橋の2種類があります。

商人が架けた場合は、その商人の屋号が残っていたりしますね。有名なのは、心斎橋、淀屋橋でしょうか?安綿橋(今はない)もそのようです。心斎橋の心斎は岡田心斎、淀屋橋は、豪商「淀屋」が架けたということです。淀屋についてはまたいつか書いてみたいと思います。

他にも、「屋」がついたり、人の名前であろうと思われるものがあります。綿屋橋、樽屋橋、源八橋、太左衛門橋などなど。推測ですが、商人がかけたのではないかと思います。調べたことはないですが。。間違っているかもです。

大阪の橋を調べるだけで、大阪の歴史がわかって非常に面白いのですが、ここは経営者のためになる話を書くところなので、その視点で続けます。

なぜ商人が私財をなげうって橋を架けたか?これは二つ理由があったと思います。一つは単純に橋があった方が商売上便利だったから。もう一つは、商売で得た利益は社会に返すべきであると考えていたから、だと思います。

重要なのは後半の部分ですね。商売で利益を得て独り占めにすることは世間が許さなかったというか、単なる守銭奴で終わってしまい、少なくとも尊敬されることはなかった。立派な商人と言われるためには、利益を社会に還元する必要があった。当然と考えられていたのではないかと思います、世間の風潮として。

つまり、商売が繁盛して大金持ちになって終わり、ではなく、その使い方までが世間の評価対象になっていたと言えるでしょう。きちんと還元して始めて商人として成功した立派な人として評価されたわけです。

昔の経営者は橋だけではなく、多くの公共工事もやっていました。みな社会への還元です。別の記事でこのことについても書いてみたいと思います。

ところが最近の経営者は「儲けたのは自分のお陰だ。自分が何に使おうと勝手だ」とばかり、自分への還元だけをやっているように見えます。これは昔の経営者との大きな違いではないかと感じています。アメリカの経営者がとんでもない金額の報酬をもらって、豪華なヨットを買ったり、豪邸やら建てていますが、私からするとレベルが低すぎて、話にもなりません。あんな奴らを見習ってはいけません。

利益を社会に還元して、始めて事業は完結するわけです。実際なかなかそこまで余裕がないとは思いますし、自分も何もできていないのが現実です。もちろん、商売を通じて少しは社会の役に立っているかもしれませんが、橋を架けるほどの貢献はしてないです。

自らを卑下する必要はないですが、商売というのは、そこまでしないといけないものなのだ、自分はまだまだと思うことが大事だと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?