ホンダの技術開発

先日、ホンダと日産の提携について私見を書きましたが、ホンダの技術開発について、サイトで連載が始まったので、ご紹介しておきます。

ホンダの研究開発施設を紹介するようです。今1回目が公開されてます。

ホンダは技術開発が別法人で行われているわけですが、これについては、こう書かれています。

研究開発部門を独立させたのは、個人ではなく集団で新しい価値を創造していくためだ。Hondaの研究開発部門は他部門と密に連携しながらも目先の業績に左右されることなく、自由な発想ができる環境のもとで研究開発を行なっている。

サイトより

やはり重要なのは、「目先の業績に左右されることなく」という点だと思います。業績が悪化すると、研究開発費を抑えようと考え始めるのは、誰でもわかると思います。しかし、そんなことをすれば、将来さらに業績が悪化するかもしれません。本田宗一郎氏は、技術開発がいろんなしがらみにまみれてしまうことを恐れたのだと思います。著作の中でこのことについて書かれていたと思いますが、今出張中で手元にないので、すいません。

サイトを見ると写真が掲載されてます。これをよく見ますと、建物の壁面に「HONDA R&D CO.,LTD.」と書かれてます。

最近ではR&Dという言葉も一般的になってますが、1960年の段階でこの用語を使っていたことはさすがと思います。

どこがさすがかと言うと、開発(D)はわかるのですが、「R」を入れたところです。これ基礎研究なんです。リサーチ。つまりお金になるかならないかわからないところにもお金を投入するという意思の表れと思いますね。

ホンダは4輪に進出できるかどうかすら危うかったんです。国のアホ政策のためです。そこは興味ある方は調べてみてください。

この写真、1961年なので、まだ車は販売されてないはずです。最初の車はこの数年後かと思います。T360。軽トラックですね。なのでホンダにとって軽トラックは大事なものだと思うのですが、今は販売してません。なんだか少し残念です。

写真には、バイクが写っています。これ、多分ですが、例のマン島で走ったバイクなのかな、と思います。このあたりでしょうか?(すいません、バイクはそこまで詳しくないです)。やはり、技術陣としてはバイクも写真に入れたかったんでしょうね。技術陣の意気込みというか、誇りが感じられます。士気が高かったと推測します。これだけでも当時のホンダの雰囲気がわかるような気がします。

話がずれてしまいましたが、ホンダにとって技術開発は、会社の存在理由そのものみたいなところがあると勝手に思っています。なので日産との提携には「?」なんですよね、やっぱり。
本田宗一郎氏が生きていれば、提携はしなかったのではないかと思ってしまいます。私の希望といいますか、そうあってほしかっただけなのかもしれません。

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