アシックスの本社が神戸にある理由

アシックスの話をしたので、アシックスの歴史について少しだけ書いておこうと思います。創業者の話でもあります。

アシックスは3社が合併してできた会社ですが、ここで書くのはその1社であるオニツカ株式会社のことです。他の2社(繊維系の会社)のことは詳しく知りません。かなり大きな会社であったことは間違いないです。

まず、創業者は鬼塚喜八郎さんですが、元々の名前は坂口喜八郎です。オニツカ創業の話と密接にからんできますよ。

坂口喜八郎さんは、今の鳥取県鳥取市で生まれていらっしゃいまして、優秀な方だったようです。昔、優秀な人は軍隊に行くのが当たり前でしたから、坂口さんは、陸軍に。病気が原因で、幹部にはなれず下士官になりました。病気でなかったら幹部になっていたと思います(戦死していたかもしれません)。この方の書かれた本を読んでもわかりますが、優秀な人ですね。

余談ですが、鳥取には銅像もあります。

さて、陸軍に入って最初の赴任地が、姫路(の師団)。ここで神戸との関係が生まれるわけです。人間関係もできます。

”鬼塚”という老夫婦の養子になっていたのが、坂口さんの上官。自分がいない間、面倒を見てくれと言われ、承諾したわけです。

その上官は外地(ビルマ)で戦死。坂口さんは、元上官との約束を守り、戦後鬼塚夫婦の養子になったわけです(終戦で一旦は鳥取に帰ったものの、見捨てられずに神戸に戻ってきた)。かくして鬼塚喜八郎の誕生となるわけです。ですから、元々の鬼塚さんは、事業にはまったく無関係と言っていいでしょう。

戦後、鬼塚さんは一旦、サラリーマン生活をしたものの、社長のやり方に納得できずに退社。独立して何かをしようと思っていたところに、戦友であり、兵庫県のスポーツ関係の部署にいた堀さんという方から、運動靴の製造を勧められました。

もともと、神戸は靴の町(履き物の町とも言う)でしたから、そういう背景もあったと思います。早くから港を開いていたので、ゴムの輸入も明治の頃から始まっていたようです。

そんなわけでアシックスの本社は今も神戸なんですね。

鬼塚喜八郎さんは戦後生まれた特筆すべき経営者の一人ですが、シューズほど有名でないのが惜しいです。もっと評価されるべきと思います。


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