【その3】今度は登山マイブームがくるのか?! 初めて自ら山に登った話。
「登山とかされたりしないんですか?」
と職場の人に尋ねられてから、登山への興味が俄然沸いてきた私。今回はその第3話。
はじめから読まれる方は下からどうぞ。
遭難しても生き延びられるように、カロリーメイト、ミスドのドーナッツ×3、パン×2個と大量に食料をリュックに積んだ。
これでもう、ぬかりなし。何があっても1日くらいなら生きられる。
私のドキドキ初登山はスタートしたのだった。
「YouTubeで見たやつだ!」
事前にYouTubeで、私と同じコースを歩いてる動画をこの日までにたくさん観ていた。そのおかげで多少の安心感はある。
「誰でも登れる低山」だなんて言っているけど、その「誰でも」は私に当てはまらない可能性は大いにある。私はトップクラスの運動神経悪い芸人なのだから。
登山口に入って歩き出すと、向かい側から小学生くらいの子供と母親らしき人たちとすれ違う。
「なんかもう、終わっちゃったね」
「そうね、誰でも登れる低山だから、すぐ頂上着いちゃうのよ。また来ましょうね」
そんな会話をしながら下山してきた。
なるほど、こんな小さい子が物足りなさを感じるような山なのか。
私の安心感はさらに増した。最初の登山としてこの山を選んで正解だった。これから森林の中を清々しい気持ちで歩いていこう。
もしかしたら本当に登山が好きになってしまうかも。
そう思ったのだが、開始早々で心を折られそうになった。
「登山って、登るんだなぁ…」
最初からいきなりの登り坂に出会い、私は真実を突きつけられた。いや、本当は知っていたけれど、知らないふりをしてきたのかもしれない。登山とは「登る」ことなのである。
心拍数が一気に上がり、呼吸が荒くなり、体の重さがやってきて、汗が吹き出した。
私は普段から運動の習慣はあったので、体力の面では問題ないと思っていた。ジムでのランニングも、以前よりも速い速度で走ることができるようになれたし、体力は着実に身についていると自負している。
だから、登山も余裕だと思っていたのだが、登り坂はキツかった。しかもこの日は数日前まで体調を崩していたので、鼻水が出てくるのを必死に抑えながら歩いていた。
そしてランニングや普段通っている暗闇ボクシングにはない動き、それが「登る」ということだった。私は運動する習慣はあるものの、駅などでは絶対にエスカレーターを使っている。目の前に階段があっても、数10メートル先のエスカレーターまで歩く。それが私だった。
私は登ることから避けて生きていることを忘れていた。こんな私に登山なんて完全なミスマッチではないか。私こそ登山は合わない。
とはいえ、せっかく来たのだから、今日はとりあえず計画したコースを歩いてみようと思った。本当に体が動かなくなったら途中で帰ればいい。
「少しでも危険と感じたら諦める」というのはYouTubeの遭難事故を扱っている動画を観て学んだ。
しばらく登り坂を歩くと、天覧山の中腹に出た。
初登山と言ったけれど、小中学生の頃に校外学習などでは歩いたことはある。喉をカラカラにして、崖から落ちるかもしれない恐怖と、虫の羽音やクモの巣にビビりながらゴールが見えぬまま歩かされた嫌な想い出。
その私が今、自ら山に登っている。しかし、自分の意思で登っていたとしても、今、とても苦しいと感じてしまっている。これが学校行事だからと無理矢理やらされたら、トラウマになってしまうだろう。
この山はたくさんの人が登る低山だからか、ベンチや看板はたくさんあった。
そういう人工物を見ると、なんだか見守られているような気がして安心する。私にとって登山は「遭難して、誰にも見つけてもらえず孤独のうちに死ぬ」という危険な行為だと思っているので、こうして人間の足跡があるのはありがたい。とはいえ、何人か人にすれ違っているけれどね。
ベンチに腰掛け、ひと休憩をする。家から持ってきたペットボトルのお茶を飲む。この日は猛暑が収まらぬ9月の中旬だったので、汗もたくさんかいた。
とても喉が渇いているようだった。
喉が渇いているですって?!
「しまった、飲み物、これしか持ってきていない!!」
食料のことばかりに気持ちが向き、水分のことなど全く考えていなかった。水分はこの500mlの烏龍茶しか持ってきていないことに、今気づいた。
そういえば、人は飢えよりも渇きに耐えられないと聞いたことがある。優先すべきは食料よりも水分だったのではないか。
なんという失態。
もし遭難したら、私は飢えではなく渇きにもがき苦しみながら死ぬということか。予定よりも早く最期を迎えることになる。
とにかく水は貴重だということがわかったので、私はそれ以上飲むのを止めた。これからは休憩中に2〜3口程度に止めておく。
死ぬ原因が飢えだけではない、ということに気づき不安を抱えながら、大きな岩を登ると頂上に到達した。
YouTubeやネットの情報や『ヤマノススメ』では「あっという間に頂上着いちゃう」みたいに言われていた。
だがしかし、私はまったく「あっという間」ではなかった。上り坂にヒーヒー言いながら歩き、水分が無くなってしまうことに恐怖し、頂上直前の岩場で「もう登りたくない」と正直に思ってしまった。
それに、この後は多峰主山へ登頂する。ここはあくまで通過点なのだ。あともう少し歩く必要がある。
「登山ってなんて過酷なのだろうか」
しかし、ここまできたら次の山も登らないといけない気持ちにかられ、吹き出す汗を拭い、山頂の景色を写真に収め、次は隣の多峰主山を目指す。
またしばらくは山道が続く。土や草の匂いに包まれると、小中学生の頃の校外学習での登山(あるいはハイキング)のトラウマがフラッシュバックし、気持ちが落ちてきた。
それでもたまに平坦な道にさしかかると、呼吸も落ち着き、周りの景色を堪能するくらいのゆとりが生まれてきた。こういうところをのんびり歩くのも悪くないかもしれない。
そしてついに…
多峰主山に登頂した!!
しかし、他の人が言うような「あっという間」では全くなかった。ここまで何度か心を折られたし、暑さとトラウマで倒れそうになった。
それでも無事に頂上の風景を拝めるのは嬉しかった。
登山は「山頂からの景色を見たら達成感で疲れが吹っ飛ぶ」なんて言う人がいるけれど、正直、私は吹っ飛んだりしなかった。
山頂からの眺め、言うほど良さがわからなかった。それよりも、山頂まで苦労して登れたことの喜びの方が大きかった。
多峰主山が今日のコースで最も高い場所であるが、ここから下山して、またしばらく歩く。ここも通過点の一つ。だから思ったほどの感動は無いのかもしれない。
このあと下山して、吾妻峡という渓谷沿いを歩く。
あとは下るだけだ。下りは上りほど筋肉をパンパンにさせることはないだろう。「体力の上り、技術の下り」らしいから、滑らないように落ち着いて下ることにしよう。とりあえずの登山はここで終わり。
だがしかし、本当の苦しみはここからだった。
私が今いるのは、山。当たり前だけれどコンクリートで舗装はされていない。ひたすら山道を歩くことになる。
そして山道は土の上を歩くだけではない。木の根っこも跨がなければいけないし、さらには岩の上を乗り越えていかなければいけない。
おわかりいただけるだろうか?
このゴツゴツした岩の上を歩いて、下らなければいけないことを。写真で見ると大したこと無いように見えるけれど、実際は思った以上の岩肌が足底を突き刺してくる。
「天覧山・多峰主山くらいならスニーカーでも大丈夫だよ♫」
というネットの声があったので靴のことは気にしなくてもいいと思っていた。
私は買ったばかりのスニーカーを履いていた。しかもこれはオーダーカラーの靴なので、注文してから実際に手元に届くまで数週間の時間かかっている。
そんな手間と時間をかけて手に入れたので、「最悪壊れたら同じ物を買い直せば良い」と割り切れるものではない。
私はできるだけ靴にダメージが加わらないよう慎重に歩いた。だが、それをあざ笑うかのように山は私を攻撃してくる。
ネットで配色をウンウン唸りながら選んだ靴を、注文してから届くまでワクワクしながら待っていた靴を、自分好みの色だと喜びながら街を歩いた靴を。奴らは加減というものを知らない。
靴だけでなく、途中で何度も足を挫き転びそうになり、足首とメンタルにも攻撃をしてきた。足の指も痛い。靴の中で足が前に押され、つま先が強く圧迫される。特に小指が痛く、爪が折れ曲がっている嫌な感覚がある。
靴が壊れてしまう、岩が靴底から突き刺してくる、足をくじいてしまう、足の指が圧迫されて痛い…
これが本当に「初心者向け」なのだろうか。
岩と木の根を踏み越えていかなければいけない過酷な道。スニーカーが壊れそうになる悪路。
ネットや書籍では「整備されており、スニーカーでも歩ける初心者向けの山」と載っていた。私は今、スニーカーで歩いて非常に苦労している。
それとも、こんな山さえ歩きにくいと感じるくらい、私はへなちょこなのだろうか。
靴と足とメンタルをボロボロにされ、汗が大量に噴き出した頃、ようやく下山が完了した。
このときの喜びは一生忘れない、と言っても過言ではないなんてことはない。人生で4番目くらいの喜び。
民家が見えた時の安心感。よくアニメやドラマで、遭難した人たちが民家を見つけて喜ぶシーンがあるが、今の私はまさにそんな状況だった。ここの住民も何度か登山者を助けたのかもしれない。
数時間ぶりのアスファルトに足を下ろす。
「アスファルトの道、めちゃくちゃ、フカフカやぁ!!」
感動だった。コンクリートで固められた平坦な道が、クッションの上のようにフカフカしていたのだ。
近所に山などない都会育ちの私は、このアスファルトの道こそが故郷だと思った。
しばらく歩いて行くと、ドラッグストアが見えてきた。オアシスだった。
「これは…幻?」
しかし、そこに確かにドラッグスギはある。助かったという思いで店内へ飛び込んだ。冷房の効いた快適な空調、他の人という安心感。ここはオアシス。いや、オアシスを超えて天国だ。もう、これでいつ死んでもいい。それくらいありがたかった。
飲料コーナーへ行き、スポーツドリンクを手に取る。あと、炭酸を飲んでスカッとしたくなったので、無糖の炭酸飲料も手に取る。
水分不足の不安感が解消された安堵と、ここで水分を補給せねばという焦りがあった。
その場で開けて飲んでしまいたい衝動を必死に抑えてレジへ2つの商品をもっていく。
これで水分不足は解消された! と喜んだが、まだリュックの中にお茶は残っていた。また、炭酸水もすぐに飲み干してしまえると思っていたが、そんなことは無かった。
結果、お茶、炭酸水、スポーツドリンクの3本のペットボトルを積んで歩くことになった。
お腹がすいた状態でコンビニに入ると食べ物を爆買いしてしまうように、喉が渇いているせいで後先考えずに飛びついてしまった。また、水が無くなってしまうかもしれないことへの不安感の解消が、衝動に拍車をかけていた。
セイムス横から吾妻峡へ
この日は日曜日、しかも残暑厳しい日だったので、水遊びをするちびっ子たちでいっぱい。
橋を渡ろうとすると、ちびっ子のママが「ほら○○ちゃん、後ろ人通るから避けて」と声をかけている。私は「ごめんね、通らせてね」と小さくなりながらちびっ子の後ろをそっと通り過ぎる。
吾妻峡はBBQをしている客がたくさんいた。炭火焼きのいい匂いと、大音量の音楽と酒をキめてうぇいうぇいしている。まさに「陽キャがリアルを充実させてる姿」を見せつけられていた。
その横を一人で渡る私。だけど私はくじけない。BBQで盛り上がる人たちの間を縫いながら、汗と疲労感でどんよりしたオーラを纏い、計画したコースを歩く。
所々で人が途絶え、穏やかな川のせせらぎが聞こえる。心地よい。
だがしかし、足場は着実に悪くなっている。BBQ客がうぇいうぇいしているところもまた岩だらけなのだが、それ以上の岩を歩くことになった。
こちらを見てほしい。
木が倒してあるだけの道。不自然に倒れているから、誰かが置いた物だった。ここを歩いて岩を横切れ、ということらしい。この上を歩いて岩を横切る。
さらに驚愕したのがこちら。
YouTubeで見た過酷な山にあるやつだ。足場が岩で悪すぎるから、鎖を補助として使いながら歩くやつ。クサリ場というのだと事前学習で学んでいた。
この岩の上のウォークは多峰主山の比ではなかった。スニーカーが岩肌に削られていく。靴底が悲鳴をあげる。私も悲鳴をあげる。
やめろ、やめてくれ、私はこの靴とこの先何年も一緒に人生を歩んでいくのだ。ショップを何軒も回っても良いスニーカーが見つからず、ネットで探してようやく辿り着いたスニーカーなのだ。
歩きにくいことよりも、スニーカーが壊れてしまうのではないかという不安の方が大きかった。
「これが本当に初心者コースなのか。岩だらけで足が痛いし、少しでも足を滑らせたら終わりじゃないか!」
辛さは通り越えると可笑しさに変わる。苦痛を和らげるための本能なのかもしれない。しばらく歩くと私は、苦笑するしかなかった。ここからは過酷な岩の道を見る度に、
「マジかよ、ここを渡るのか。すげぇなwww」
と小さな独り言を呟き、苦笑した。
それでも、歩くしかない。いつでも逃げることはできたのだが、せっかく来たのだから最後まで体験していきたいと思った。
そして、歩きながら、私はこんなことを考えていた。
「なんか冒険してるみたいで楽しいかも…」
私は冒険というか、こうやって過酷なことを自分に課すのが好きだった。
高校生の頃に埼玉の自宅からママチャリで8時間以上かけて群馬県まで走ったことから始まり、終電を逃して都内から一晩中休まずに歩いて自宅まで帰ったし、最近では山手線1周を12時間かけて歩いたりもした。
自分を過酷な状況に追い込むのは好き。苦しめれば苦しめるほど、ワクワクする。どえむだからね。
男というのは、いくつになっても冒険と夢を求めていくものなんだぜ?
だから、汗だくになりながら山に登ったのも、岩に足をガンガン攻撃されたのも、鎖を掴み足を滑らせないようにしながら岩の上を歩いたのも、なんだか冒険をしているみたいで楽しいと思えてきたのだ。
登山とは冒険なのか。
悪くないかもしれない、登山。
今はスニーカー(しかも新品)だから、足が痛くなったり、滑りそうになったり、靴が壊れる不安感でいっぱいになっているが、ちゃんとした登山靴を履いて歩いたら、きっと楽しめるのかもしれない。
「もし、もっと登山をしてみたいと思ったら、最初は登山靴を買うところからだな」
そんなことを考えていたら、ゴールにたどり着いた。
あとは歩道を歩き、最終地点の飯能駅を目指す。
飯能駅の看板が見えてきた。ゴールはもうすぐ。
そして私は気がついた。まだ昼飯を食べていないということを。
ここに来る前、最寄り駅でカロリーメイトを頬張ってきた。山頂はすぐだったので、登頂したときには全くお腹は空いていなかった。結局、食べるタイミングを逃してここまでズルズルきてしまった。
このまま飯能駅に行ってホームのベンチなどに座って食べることもできたのだが、せっかくこんな大自然に囲まれた場所に来たのにそれでは味気ない。
だがしかし、この日はイスやレジャーシートを持ってきていなかった。座れそうな大きな岩はあったが、他の人が座っているか、日差しがカンカンに当たっていて食事をできる環境に無いかのどちらかだった。
仕方なく私は地面の上に直に座り、リュックから買ってきたパンとミスドのドーナッツを取り出す。そして食べる。
人生で3番目くらいに美味しい食事だった!
大自然だったからか、お腹が空いていたからか、死ぬ思いをして岩の上を歩いたことからの開放感か。いや、その全てか。
飲むように食べてしまった。食べるというよりも、飲んでいる感覚だった。それくらい、体にスルッと入っていった。
食事を食べ、少し川をピチピチチャパチャパして、飯能河原を後にした。
そして無事に飯能駅へ到着。
特に寄るところもなかったので、名残惜しさはあったが電車に乗ってまっすぐ帰宅した。
自宅最寄り駅からわずか1時間ちょいで来られた。これだけたくさん歩いたのにも関わらず、最寄り駅に着いた頃でも十分明るい時間だった。
さらに交通費も往復で1500円程度。これがキャンプだったら、レンタカー代でゼロが1つ違っていた。
食費もパンとミスドだけで1000円弱くらい。これがキャンプだったら、肉と野菜と海鮮と、あと焼くための炭とで3倍くらい違っていた。
交通費も食費も安く済み、さらに運動しているからどんな食事でも激ウマになる。
以前、キャンプブームがきたが「金がかかる」ということと「虫との格闘が鬱陶しい」ということですっかり止めてしまった。
だけど登山なら金がキャンプほどかからない。移動も基本は電車で行けるし、登山は食事をすることが目的ではないから、コンビニの惣菜パンだって満足できるかもしれない。
虫問題に関しても、キャンプみたいにその場に止まっているわけではないから大きく問題にならない。実際、山中で何度か虫の羽音に驚かされたけれど、少し急ぎ足になって逃げればいいだけの話である。
さらに体力と筋力がついて、痩せることができる。
自然に囲まれながら運動できて、食事が美味しくて、金もそこまでかからない。冒険心をくすぐってくれる。
登山、もしかしたらアリかもしれないぞ。
YAMAPでは活動記録を残せるので、残してみた。
行く前は遭難の心配をし、登り始めは上り坂で苦しめられていた。
そして終えた後は冒険しているようなワクワク感と、険しい道を歩き終えた達成感と、食事が激ウマになる喜びを味わえた。
「まさか、登山を始めてしまうのか。この私が、登山を…?」
その後、私はどうなっていったのか。
それはまた別のお話!!
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