スタンドアップミーティングをきっかけにアジャイルについて考える
最近、株式会社iCAREの開発部ではデイリースタンドアップミーティングのやり方について「形式的」な改善をする機会がありました。
ただ、これについては今なお満足のいく状態にはなっておらず、引き続きの改善が必要だと考えています。
では、更なる改善にはなにが必要なのか?
必要だと思っていること
自分が一番必要だと思っていることは「なぜデイリースタンドアップが必要なのか?」ということを、メンバー一人一人がきちんと考えることです。
自分も含めてメンバーがどこかで、スクラムフレームワークの中に、デイリースタンドアップミーティングというものがあって、そこで情報共有をしたり、困ったことがあったら声をあげて助け合えばチーム開発はうまくいくものだという、教科書通りの意義に基づいて、安易に、もしくは形式的にやってきた部分があるのではないかと疑っています。
フレームワークの意義そのものはその通りなので、ある程度の効果を発揮はするのですが、結局それについてメンバーたちが「思い」をはせずに行動しているために、言わば意義の表面をなぞるような効果が得られるだけで、十全な効果を発揮していない気がします。
ではどのようにしたら各々のメンバーがスタンドアップミーティングの意義について思いを巡らせることができるのか?
個人的には、今一度スクラム、もしくはアジャイルの本来の目的に立ち返ることが必要なのではないかと考えています。
スクラムもしくはアジャイルの本来の目的に立ち返る
アトラシアンのCLAIRE DRUMONDさんが、このあたりをじつによく説明してくれています。
スクラム
https://www.atlassian.com/ja/agile/scrum
スクラムのようなフレームワークを使えば、アジャイル型の思考を始め、日々のコミュニケーションや業務にアジャイル型の原則が根付くよう練習を積むことができます(上記サイトより抜粋)
上記説明からわかることは、スクラムのプラクティスを実践することそのものは、至上の行為でもなんでもなくて、むしろスターティングポイント(アジャイル型の思考を始め)であり、練習(日々のコミュニケーションや業務にアジャイル型の原則が根付くよう練習)だということです。
このスターティングポイント、練習がどこを目指しているか?
チームが変化の激しい条件とユーザー要件にスムーズになじみ、学習と改善を続けていけるように、スクラムは構造化されています(上記サイトより抜粋)
スクラムは「学習と改善をつづけていけるように」構造化されているのです。つまりは「学習と改善を続ける」ことこそが目指されるものなのです。
もし、そのスクラムのプラクティスから本来の目的(学習と改善の継続)が忘れられているのであれば、それは「屍」のようなものなので、今一度その「魂」を取り戻さなければならない、「魂」を吹き込まなければならない、と思います。
これは大げさな表現かもしれません。
しかし、チームのメンバーが、「スタンドアップミーティングなんてこんなもんだ」と、言わば盲目的にプラクティスの実践をする時、大なり小なりこの本来の目的の「死」が起きる気がします。
少し激しい物言いになってしまいましたが、僕は弊社開発部のスタンドアップミーティングをスクラム的にどうのこうのいうだけではなく、参加している全てのメンバーにとって本当に意義のある時間にしたいと考えています。朝の短い時間ではあります。でも全員にとっての貴重なかけがえのない人生の一部であることに違いありません。
どのフレームワークを選んだとしても、明確なコミュニケーション、透明性、継続的改善への熱意を中心に据えるべきだということです(上記サイトより抜粋)
今一度、スタンドアップミーティングを「学習と改善の継続」のクリティカルパスだと考えて「熱意を中心に据えて」本気で取り組んでみませんか?